堀井On-Line



3076,120年の物指し

2009年09月06日(日)

 
 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。
  ーまずは民主党の大勝の長短の4つの物指しを要約
一、麻生の一年足らず政権、永田町の政治記者レベルの内容。今後、民主党が、
  そのレベルとして参院選挙まで、いかに実績を積み重ねることができるか。
二、次は、四年前の小泉劇場の大勝で、今度の選挙のように逆ぶれで民主党に政権が転がり込んできた。
  4年後の衆院選挙も同じ道をたどることになるかどうか。
三、小選挙区制度ができて15年で、ここでようやく政権交代が実現した。1993年の国会は、
  「政治改革国会」と呼ばれ、翌年には小選挙区比例代表制を含む政治改革関連4法が成立。
  今後、15年で二大政党の交代システムが出来るかどうか。
四、120年という物指しで、これが最も本質的な物ざし。明治憲法ができて120年になるが、
  この間の政治は実は官僚に従属してきた。 今度の政権は120年の「中央集権国家」を廃絶して新たに
  「地域主権国家」を樹立しようというのである。 自民党も「地方分権」といい、その具体策として
  「道州制度」を導入しようとしているが、あくまで「中央集権国家」が今後とも続くという前提である。
   その官僚主導体制とその中核である財務省による徴税・国債管理・予算分配の「財政中央集権」も続く
   ということであり、分権といっても、うやむやにされることは目に見えている。
   これに対して、民主党のものは、国民生活に密接な権限と財源を基礎自治体に渡してしまうもの。
    ーー
   以上だが、その15年間、延命を繰りかいした自民政権があまりに狡猾であった。
  それも120年続いた流れで、国民が騙されていたことが露出してしまったのである。 
  二度とあの威信は戻ることはない。 あとは民主党の自滅を待つしかない。

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2711, 臨死体験を経験できるヘルメット
2008年09月06日(土)

何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きを今でもリアルに憶えている。
それを契機に、キュープラ・ロスや、立花隆の臨死体験などの本を読み、その経験の意味を知った。
ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発したゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、
これ装着すると万人が体外離脱できるという。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上やっていて、
その手術の際に側頭葉のシルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激すると、体外離脱がおこることを発見した。 
これで体外離脱した意識が、遠くのものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体をジャックしたイメージも起こるという。
これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気で脳を刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。
体外離脱とは、脳の中の幻覚ではなく、アストラル体のような意識が、抜け出している状態ともいわれる。
実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。
それまで一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか経験できなかったことを、科学者は誰にでも体験できるようにする。 
何年もしないうちに、家電の店頭で並ぶかもしれない。 これを被って気が向いたら幽体離脱をするのも面白いだろう。
そういえばアルファー波を発生させる器械を買ったことがあった。
またマリファナを吸ったと同じ気分になるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分の状態になる。
私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・
恐らく、これを被っても、私の経験した幽体離脱の緊迫した感覚とは違うだろう。
色いろな状況の中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから神秘的なのであって、
ヘッドギアの器械で幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。 しかし、面白そうである。
前に書いたことがあるが、欧州の帰りの飛行機の中での夢。
「自分の身体が突然にフワフワ空に向かって上昇していく、電信柱が下に見えてきた辺りで恐怖心が出てくる。
 夢から早く覚めて布団に身体を戻さないと、我に返った。 ところが、そこは飛行機の中で、身体が地上に在るはずなのに逆に、
 その遥か上を猛スピードで移動している。 そこには、飛行機も、シートも、周囲の人たち消えて、独り宙を移動している」
 身体が凍りつくとは、このことだろう。 恐らく、死ぬ瞬間とは、あの感覚になるのでは? 絶叫をしそうになったが、
 ギリギリ抑えることができた。人間は大地の上で生きているのである。 死ぬと、大地から離れるのである。
 幽体離脱で元の身体に戻ってこれないで、狂ってしまうケースもあるというし、。
 自分が外に出ている間に、動物か彷徨っている霊が入り込む場合が往々にあるという。
オウム教が騒がれていた頃、ニュースなどの映像で、ヘッドギアをしている信者の姿を見かけたが、
あれがゴッドヘッドだったのか? 集団維持の手法や、典型的カルトの教えは、否定されるべきだが、
宇宙からの視点とか、こういう幽体離脱の手法は、なるほどと感心する。脳はまだまだ未知の世界である。
脳は3?しか使われておらず、10?も使えば天才になれるという。神様(自然)は何を脳にさせよとしたのだろうか。
我われ凡人は、パソコンなど、道具を有効に使ってせめて5〜6?を使えるようにすればよい筈だが?

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2007年09月06日(木)
2347.ベナレス・・・3

出家した兄に対する妹の思いがそのまま伝わってくる。
出家をした目線がなかなか興味をそそられる。
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 P-126
兄の品々を懐かしそうに見せてくれるサルラーさんの振る舞いは、
まるで、亡くなってしまった兄弟の遺品を大切に保管する遺族のようであった。
実際、出家遊行僧とはすでに死んだ存在であるとされている。
サンニャーシーとなる際に、ガンジス河の岸辺で白い団子を流すという一つの儀式が行われる。
白い団子は通常、先祖の供養に流すものであるが、それを自らのために流すのである。
つまり、死者となる自分を自分で弔い、世俗の生活に別れを告げるのである。
出家を志した今、スワループさんの生活の場は限られたものになった。
ガンジス河のほとりにある僧院に住み、毎朝五時には屋上で、対岸から昇る太陽に祈りをささげ、瞑想を行っていた。
ガンジス河が見下ろせる二階のバルコニーからは、金網越しに右手には火葬場の茶毘の風景、左手には密集した
べナレスの街並みを望むことができる。ここはスワループさんがもっとも好きな場所であるという。
「この景色は美しいだけでなく、輝いています。 果てしなく続く空が眼前にひろがっています。
そしてここからは、生きることと死ぬこと、その両方を目にすることができます。見てください。
こちらの街では、まさに今、幾つかの建物が建てられようとしています。新しい人生の物語が語られようとしているのです。
一方、こちらではまさに今、誰かが茶毘に付されようとしています。一つの人生の物語が終わりを告げようとしているのです。
この街は人間が必ず死ぬということを教えてくれます。欲望を追い求めてばかり生きると、死ぬ存在であることを忘れてしまいます。
私たちのことを世捨て人と言う人もいますが、私は欲望を捨てることで、生と死、その中間の道を進みたいと考えているのです」
ベナレスは不思議な街である。ここでは火葬場がもっとも聖なる場所の一つとされ、
欲望を追い求めるのではなく、欲望を捨て去るという幸せのかたちが、多くの人によって模索されている。
私たちの世界では火葬場は忌むべきものと敬遠され、欲望を追い求める幸せのかたちが模索されているのではないだろうか。
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解)
死ぬための街は、インドにも他にも幾つかあるようだが、それにしてもヒンズー教以外の人から見たら異様である。
火葬場近くの川の中で、死者が身につけていた金銀などを流された骨の中から拾う人がいるのである。
背筋が凍る思いであった。

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2006年09月06日(水)
1982, ある首斬り役人の日記 −3
           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning    
                     −読書日記                    
215、1602年9月14日
  ゲオルク・ブラウン、マンスフェルト出身。  彼は蜂蜜・胡椒入りケーキ職人で、流れ者の剣客であった。
  旅の道連れだった青年から13ターラを盗み、その代わりに石を入れておいた。
  その後、コペンハーゲンでも同じ青年からまたしても8グルデンを盗んだ。その他にもある車夫から車を盗んだ。
  同人を当地にて処刑した。その後たっぷり7〜8分、彼の首は石の上であちこちを向き、さながら、
  四方を見回すように動いた。また、何かをいいたいように、舌を動かし、口をあいた。
  私は、今までこのようなことを一度も見たことがなかった。
   感想) このような文章を見ていると、時代を超えた何が伝わってくる。
229、1604年10月13日
              (+>∀<+)ノ ホンジャ!
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2005年09月06日(火)
1617, 楽しく生きる−2

大不況の中、毎日を楽しく生きることができれば、これにこしたことがない。
図書館で借りた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著が、なかなか含蓄のある内容であった。
ー概要をまとめてみた。 (時間をかけて書き写すだけの価値は充分にあった)
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人の欲求が新たな希望へと向かう心の軌道とは?
欲求の生起ー>否定ー>欲求不満ー>絶望(対象喪失ー>茫然自失ー>否認ー>怒りー>自失−>怒りー>自責)
−>抑うつー>悲しみー>孤独の自覚ー>諦めー>新たな希望の獲得ー
この過程のどこに「私」はいるのか考えてみようと提起している。望みが叶わないといって絶望や諦めを恐れる必要はない。
人の心は絶望や諦めを超えることで、孤独の中の本当の自分と出合い、自分が何を望んでいたのか、
欲求の全体構造を明らかにする。 そして、その先にある新たな希望へと導く。
挫折から、諦め、そして孤独の底から、新しい自分に出合い、新たな希望を創っていく中から、
真の楽しみ方を見出していくのである。何を考えても埒があかない。どう望んでも解決が見えない。
そんなときには、一度すべての欲求から離れるしかない。自分の心、身体、他人や環境のあらゆるものから離れて、
濁流や、澱みや流れの全体を見渡せる場所に自分を置く。そこで自分を作り直す。そこで、もう一人の自分に自分に出会う。
我われがあらゆる欲求から離れることができるとすれば、それは時間が止まったときだけだ。 時間は二つの場合に止まる。 
絶望の中と、満足の中で。欲と向き合う、そして自分を満たして、自分から離れる
<諦めて得た楽しみ>
 追いつめられて見つけたもの、孤独と正面から向き合って心の安らぎを得ることである。
 それは、世間的な色・金・名誉を断念することで初めて可能になった心の安らぎ。その引き換えに諦めを得たのである。
 諦めは怒りへの固執を解く。諦めは生まれてから長く慣れ親しんできた自分の外界の世界への固執も解く。
 もう、表象の欲に振り回されることもなく、静かに居られる場所を持ったのである。
 人の精神が新しい世界に飛躍する時は、静粛に一度立ち戻らなくてはならない。
 静粛の中で起こることは、古い欲求構造の破壊と新しい欲求の誕生である。
ー 雅ー欲を楽しむという意味
(以下、字数の関係でカット08年9月6日)

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2004年09月06日(月)
1252, オーストリア旅行記ー3
 ーシェーンブルン宮殿

シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。
その名を持つこの宮殿は、女帝マリア・テレージアをはじめ、その娘マリ-・アントワネット、
皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。
そのきらびやかな部屋からは、華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。 その幾つかを書いてみると、
・ナポレオンの部屋
 1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に居室として使用していた部屋である。
 18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセルの 写実的なタベストリーが部屋を飾ってあった。
・マリー・アントワネットの部屋
 マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで
 殆どをこの宮殿で過ごした。 その後はダイニング・ルームとして使われていた。
・鏡の間
 1762年に、当時から神童として名だかかったモーツァルトが、マリア・テレージアの前で初の御前演奏を行なった場所。
 そこで演奏後、けつまずいたモーツァルトを助け起こしたのがマリー・アントワネットであった。
・漆の間
 マリア・テレージアが亡き夫を偲んで改装した部屋は濃茶の漆塗りに金で描かれた花鳥や東洋的な
 風景が壁一面に覆っていた。そこにはフランツ1世や、ジョセフ2世などの肖像画が飾られていた。
 そこでマリア・テレージアが夫の思い出に浸っていたという。
ー聖シュテファン寺院 Stephansdom
 市内中心部にある大きな教会。塔は一部修復中であったが、屋根の模様は見ることが出来た。
 エレベーターで、その屋根の上まで昇ってみてウィーンの街を見下ろしてみた。
 その後、ケルントナー通りの聖シュテファン寺院から国立オペラ座あたりまでを ぶらぶらと歩いてみた。

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2003年09月06日(土)
885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ

 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の2時間番組を放送していた。
昨年末にアルゼンチンに行って、本場のアルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており
丁度よいタイミングであった。 (感想文は後にコピー)
 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた内容の濃いものであった。
アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の悲哀と愛を歌い続けてきた。
バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリンなど中心としたタンゴオーケストラもある。
ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。
 禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。その隅々までタンゴの一部になっているようである。
パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。
 その時パリにやってきていたカシミール・アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。
それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話がある。 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。
南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに世界中の踊りや歌を携えて船乗りたちがながれてきた。
そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い
出来上がっていった。執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴというようになった。
 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。
変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。男女が身体を離して踊るのではない。
二人は密着しあって一つになる踊りである。 彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。
 ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。
ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。
音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、
それがアルゼンチンタンゴである。
ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。スペインのフラメンコは一人踊りか、
集団で踊るかだ。それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。
 ・・・・・・・・・・・・・
ータンゴの歴史
 (以下、字数の関係でカット08年9月6日)

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2002年09月06日(金)
511,こころの添削

「文章を添削することは心を添削することだ。
その人の心が添削されないかぎりはその人の文章も添削されようがない」
            ー藤村藤村の「初学者のために」より
なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが自分自身である。
思っていることを書き出して、添削を続けていると心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。文章の上達は「量を書くことと添削しかない」
と立花隆が書いていたが、そのとおりである!添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、その前提に
なっている自分の視線・視点を治す事だ。言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!
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人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。
ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
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「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、林真理子が書いていた。
なるほど、そのとおりである。 毎日書き続けていてそう実感する。「こんなことを知っているぞ」とか
「こんな経験したことがあるぞ」 とかだ。それでは外に何を書けといえばいいのか? 
やはりその類のことしか実際のところない。勝手に書いて、公開しているんだからと開き直るしかない。
何か書いている原動力が自慢話とは、それも面白いものだ。「毎回見ていただいてありがとうございます!」
いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」

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2001年09月06日(木)
[135] 熊

「熊に追われ逃げてきた、そこに大きい池がある、その横に木が立っている、その向こうに家がある」 
さあ貴方はどうする。「木に登るか、池に飛び込むか、家に逃げ込むか?」
 木は理想。 池はセックス。 家は-実家ー昔の思い出ー
ー木に登りしがみつき、池に飛び込み溺れ、家に飛び込み熟睡,でもすぐ飽きてしまう。
これが人間の姿だ。熊は何かーもちろん現実そのものだが、自分の影か父親か。
この質問を第三者にしてみると本当に面白い。そのものずばりだからだ。
この喩えを知っているためか、よく熊に追われる夢を見る。 「何処かの家の外に熊がいる、
いつのまにか家の一階にいる、そのうちドアの外まで来ている、どうしよう」というところで目が覚める。
どういう訳か熊に襲われる前に目が覚める。

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