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2009年08月17日(月)
『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、 沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄の言葉があったので、その幾つかを紹介してみる。 〜〜 ・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」 ・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」 ・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。 その解決プロセスが人生も旅を豊かにする。 ・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところになる。 その街での偶然と奇遇などの出会いがあり、それにより次の展開が違ってくる。 そこは人生の交差点であり、人と人との交差が人生も旅を作りあげる。 ・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。 それは歩く旅ならバックの中の食料に喩えられる。 ・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。人生でも、それが大きな要素になる。 ・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければならない。 〜〜 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にもチャレンジする必要性が分かってくる。 そこで出会う感動と、未知との遭遇こそが人生を豊かにしてくれる。 人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も我われは殆ど知らないが、旅の多くの経験を通して 様々な邂逅が可能になる。 地球に知的生物として生まれてきたからには、大自然も、文明も、 文化も可能な限り見聞し、感動することで世界を広めた分が自分の世界になる。 旅に出る前の、あのワクワクした高まりが青春であり、晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感である。 そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、書きながら内省をしている。 まだ与えられた人生の有り難みが足りないような気がする。 旅路の果て。 パタゴニアの果ての街で夕日を見ながら老齢の残り日とはこんなものか、 アレが人生の全てを照らしたイメージか、と思ったが。 そう新幹線からみえる弥彦山の日没にも。 あと12年で後期高齢者。 一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。 さて何をするか、何をしないかを真剣に考えないと。
・・・・・・・・・ 2691, 強者同士相互扶助婚姻 2008年08月17日(日) 希望格差社会 −2 ー読書日記ー
「構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェートな相互扶助組織を自己創造していく。 「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に考えることのできる人間」は巧みにリスクヘッジすることができる。 彼らはリスクヘッジをさらに確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」を強化する方向に向かう。 その端的な表れが、「強者同士の婚姻」である。 これまでの家族社会学の常識では「夫が高収入の場合は妻が専業主婦となり、夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。 この常識はもう覆えされつつある。 話は逆になっているのである。 「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、夫が低収入であるほど、妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。 高度専門職についている「強者」の男女が婚姻し、さらに豪奢な生活を享受する一方で、 不安定就労者同士が結婚した生活能力のないカップルに「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。 不安定就労者の若年男性は、事実上、自分と同程度に社会的弱者である不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。 (高度専門職に就いている女性強者が男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。 だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大させるだけ。 不安定就労の若年女性が、男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」の)確率はそれよりはずっと高い。 しかし、リスク社会では、かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や人脈などの文化資本を要求する。 言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた強者の家庭のご令嬢」であるというかたちで、予め限定されている。 未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた「結婚したくてもできない弱者」 の急増という事実がある。 リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバックを 繰り返して短期的に二極に分化する。その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。 「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。 『一生』大学教員になれない博士課程入学者は年に一万人ずつ、『一生』上場企業のホワイトカラーや技術職につけない大学卒業生は、 多分、年に数万人ずつ、『一生』中小企業の正社員にさえなれない高校卒業生は、年10万人ずつ増えてゆく。 これに呼応して、正社員と結婚するつもりだが、一生結婚できないフリーター女性は、年20万人ずつ発生していくのである。(…) いつかは受かるといって公務員試験を受け続けても、三十歳を過ぎれば年齢制限に引っかかる。 どうせ正社員に雇ってくれないからと就職をあきらめ、単純作業のアルバイトをしていた高卒者は、仕事経験や能力が 身に付かないまま、歳だけとり続ける。 よい結婚相手に巡り会えないからと結婚を先延ばしにしていた女性は、 四十過ぎれば見合いの口もかからなくなる。当の若者は、考えると暗くなるから考えない。 若者自身が、不良債権と化すのだ。(…) 結婚や子供を作ることなく、高齢を迎える元フリーターの中年男性、 女性が100万人規模で存在する社会はどのようなものになるだろうか。」(127−8頁) −−−− これを読んでいると、末恐ろしくなる。自由の裏返しが弱肉強食からくる格差の問題であり、それは差別につながる。 我々の年代は、地方では振り分けされない最終の学校が中学校であった。 (都会は、大学の系列の幼稚園・小学校の付属で選り分けされていた)その時は意識しなかったが、振り返って考えてみると、 ハッキリとした格差があった。その時の成績が、そのまま一生に正比例して拡大しているだけ。 そういえば、私自身、「5つの項目・両親のレベル、学歴、容貌、性格、相性という要素を考え、 それが70〜80?に近い女性で、バランスの取れている人」を基準にしていた。 そして色々あって、ご覧の通りである。「御前自身を考えてみろ!」という声が聞こえてきそうだ。 姉達のレベルからは段差はつけたくなかった。 現在振り返ってみると、嫌な奴!だった。 (・・・・今もそうか?) しかし、5つのバランスは長い人生を連れ添っていくのに、一番重要な気がする。 それが破綻原因のケースを多く見てきた。 それもこれも、我慢、我慢、忍耐、忍耐ができるかどうかである。 「出来ぬ堪忍、するが堪忍である」お互い様だが。
・・・・・・・・・・ 2007年08月17日(金) 2327, ベナレス −2 。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。) インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、本当のところホッとした。 聞きしに勝るインドという国の文化に、良きにつけ、悪きにつけショックであった。 ヒンズー教とカースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・マハールなどの霊廟や城、ガンジス川とベナレス、 そして古代から現代までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。 その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。 そしてガンジス川からみた日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。 そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。 この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。 生も死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま露出されている。 それが日本とは対照的なのである。人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた老夫婦や、 老齢になったことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、死期を間近に感じる前に移り住む人もいる。 この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、深さを増している。 インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体になる。また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も 毎日数千人もいる。なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。ここは死者の為の街であり、 その準備の為の街である。ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、 「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。この街が私を呼んだのだ」 と答えて、平然としている。彼らにとって、ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、 その家族にとっては、連れてくることが喜びなのである。 死が喜びとは!素晴らしいではないか! ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ ・・・・・・・ 2006年08月17日(木) 1962, 「事業百訓」を読み直してみて おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ ねむ!
二十五年前から書いてきた社内報の事業百訓を、明日から十数回のシリーズで振り返ってみる。 このHPのコーナーにあるものだが、書いた私自身、この数年殆んど読み返してない。 丁度良い機会なので、纏めつつ回顧しながら読んでみる。必死に書いたのだろうが、まあ真面目なものだ。 「そのわりには現在の貴様は何じゃい!」と赤面してしまう。読みかえしていると、大きな変化がわかる。 特に50歳前後が大きな転換期のようだ。母を見送り、下の子供も大学に入学。事業も、目標の500室を新潟駅前で完成。 さて、これから如何生きようか?と、深く考えていた時である。 そして、出した結論は、『60歳過ぎの人生を全て(30数年)を、10年間の50代で生きてしまおう!』である。 実際にそれが出来たかどうか疑問だが、その時に結論を出して、色濃く?生きてきたのは事実である。 (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? その時期の文章は、どれも気持ちの入ったものが多い。それまではインプットした内容を列挙したものが多かったが、 その時期から自分の気持ち・経験等のアウトプットのものが多くなっている。 また、外に向かっていたエネルギーが、内面に転換したことが、読み返してみると解る。面白いものだ。 哲学的になったことと、文章化の面白さに目覚めたようだ。 この数年後にHPを開いたのは、この時期と、 それまでの貯めが原動力だった。 それと事業百訓から、人生百訓に何時の間にか転換していた。 5年前の、このHPの開設も大きな転換期であった。それも含め、5年ごとに大きな内面の転換がみてとれる。 アップ・スケールしたのか、ダウン・スケールしたのか? 時流が読めないと、破滅する時代である。 デフレに関して、あまり深く書いてない。もっと、書いていてよい筈だ。インフレの時代から、デフレの時代に転換、 これからは悪性インフレ?、鍵は、9・11のテロ。 経済とテロは違うのでは?というが、密接に関連している! 100年?戦争が始ったのだ。 白、赤、そして黄色の人種間の戦争が、
・・・・・・・ 2005年08月17日(水) 1597, ひらがな思考術 −2
ーまずは第一章のほどくの内容の概略をまとめてみた。この本は、読めば読むほど深い。 難しいことばを、簡単な優しいことばに置き換える以前に、ひらがなことばで考える習慣をつけてしまえということか。 それにしても、若いときの自分を振り返ってみると何をしていたのか。 わざわざ難しいことばを並べ立てて、 解ったふりをしていたのではないか。 つま先だって考えていたのではないか。 現在もそうか? ーまずは第一章のポイントを抜粋してみる。 第一章 ほどく まず、解きほぐしてみる その問題に無縁の時は、物事は単純だとおもえた。すべてを大胆に、言い切ることができた。 ところが少し、それに対して知識が増えてくると何がなんだか解らなくなっていく。 何も考えてない時は、解らないということにきづいていない。 解らなくて悩むということはないのです。 ところが突き詰めて考えると、その問題がよく解ってないという事実に気づきます。 (以下、字数の関係でカット、2009年8月17日)
・・・・・・・・・ 2004年08月17日(火) 1232, 「こころ」の出家 -読書日記
この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、等、 何らかの大きな転換期に直面してくる。情報化社会に翻弄されて深刻な危機に何らか陥っているケースが多い。 この本は現代中高年論であるが、なかなか味わいのある内容だ。人生の後半にとって、「真に豊かな時間とはなにか」 を問いかけている。 特に、自分の内側に向けての豊かさが問われる時期になってくる。 *ふと書いていて気がついたが、この随想日記は内に向かって問いかけていることになる。 自らの経験と思索を、そのまま書き綴っていることは、豊かな時間ということだが?書けば書くほど、 自分の深層の階段を一歩一歩降りている。今のところ、まだ地下2〜3Fだが、書き続けているうちに地下10Fまでいく 可能性がある。ユングや横尾忠則の世界に近づくかもしれない。いや、それは無いか! この本の最後のまとめになっている「第5章ー もう一つの座標軸―豊かな時間を求めて」がよい。 その中の気に入った部分を抜粋してみる。自分の好きな映画の「男はつらいよ」の寅さんへの気持がそのまま書いてあった。 ー27年間に48作、多くの人が寅さんとともに充足をした至福の時間を共有してきた。 寄せられた手紙の一つ一つが、映画「寅さん」がわたしたちに残してくれたものの重さを物語っている。 (以下、字数の関係でカット、2008年8月17日)
・・・・・・・・・・ 2003年08月17日(日) 865, 同級会−2
昨夜は中学の同級会いや同期会があった。 小学校は一学年の同期が100人足らずのため、 5年に一度の同期会になっている。 中学校の同期会は今回が初めてであった。 クラスで親しい男が卒業して以来初めて出席していた。名刺を見たら「日本レコード協会」の専務理事の肩書。 ということは、日本の歌の世界の隠れたドンだ。ビクターの取締役になり、その後関連会社の設立に参加。 その後今の仕事をしているという。かなり重い仕事と言っていた。早稲田を卒業後、ビクターに入社。 初めの仕事が、桜田順子など3人娘の教育係だったという。森進一など有名人は殆ど旧知の仲とか。 「自分ほど面白い経験をした人間は少ないのではないか」とシミジミいっていた。 中学だけをみてみると、その時の成績順で人生が決まってしまっている。ちなみに一番だった男が 慶応大学の教授(数年前死亡)、二番がこの人、三番が自衛隊のえらいさんになっている。 後は保険会社の支店長、学校の先生など。成績の悪い人はあまり恵まれた人生ではないようだ。恐ろしいものだ。 「何を持って恵まれた人生か?」という疑問があるが、あくまでも表面的なことだ。 あと二年で60歳、皆その歳を目安に生きてきたようで心境は複雑のようだ。 しかし会えば、心は今だ中学生だ。クラスでは50人中既に7人亡くなっている。 そのうち男は5人で2割になる。 最近亡くなった人の殆どが癌だ。 地元に住んでいると、小学校、中学校、高校の同級会に出席する機会が多くなる。 30歳すぎから仕事や子育てに余裕が出るためか、それぞれ頻繁に開かれる ようになってくる。私も30歳前後に地元に帰ってきてからは出席をするようにしている。 学生から社会人に脱皮の20代は、学生時代の人間関係から一度離れることが人間形成で必要である。 その為に30代辺りから自然に開かれるのだろう。同級会は40歳が社会的に最前線に立っているときであり、 担任の先生の定年時期も含めて一番良い時である。クラスによって全く開かれないか、頻繁に開いているかどちらかだ。 地元にまとめ役がいるかどうかで決まるようだ。 前も書いたが、私の従姉は地元で中学の同級生13名が 3ヶ月に一度も欠かさず50年近く開いている例もある。 こうなると賞賛すべきかどうか迷ってしまう。 小学校は5年に一度、中学と高校は毎年のように開いている。 ほとんど出るようにしているが、 年齢を重ねるとともに段々子供時代に帰っていく。最近感じてことは、50歳を超えたら間隔を置くほうがよい。 特に学歴が上がっていくにつれて間隔が開けたほうがよい。家庭や会社の変動がおきてくる時期で不安定になるからだ。 大学の10年に一度の大学主催の同期会がよい。500人ほどが出席。教会でお祈りをした後、 大食堂で立食パーテー。その後に記念写真を撮る。集合時間の2時間前に行き友人と会い近況のなどの情報交換。 2次会はあるグループ、3次会は違うグループとハシゴをする。 それが楽しいのだ。 ー以前この随想日記で書いたものをコピーしておきます。 まあ真面目に書いたいるものだが、読みなおしてみると、殆ど同じことを書いている。歳をとったという事か。
・・・・・・・・・・ 同級会 −1 (以下、字数の関係でカット2008年08月17日)
・・・・・・・・・ 2002年08月17日(土) 490, 随想テーマ日記の効用
毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。 何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。 多くのエネルギーが、その為に取られていることは事実だ。 しかし、エネルギー対効果比率から考えても充分その価値がある。 「何のために毎日こうも書き続けているのか?」という疑問があると思う。 ・それは簡単だ、自分の為に書いている。 ・公開することで、あらゆる人に見られていることを意識、その為に客観化が必要になるからだ。 ・毎日、その都度思いついたことを書き続けることにより、過去に考えたことを、一づつ引っ張り出し、 外部化をしていく作業が記憶と行蔵の整理になる。 ・またその時その時の自分の気持ちや心境のメルクマール化が可能になる。 ・その時点のホットな情報の中期記憶化・デジタル化をしていることになる。 デジタル化をする事で、あとで組換えの時大テーマの要素の構成部分のパーツとしてつかえる。 ・書きつづけることで、外部の情報に対する感覚が鋭くなってきている。 ・心や内面の公開が、結果的に自分を積極的に主張出来る。 ・これをチップに記憶させておけば、数十年先数百年先に見てもらえる。 結局は波動の蓄積という事かもしれないが、 死んだあとも残る。とりあえず3年1000のユニットを書き続けることが目標だ。 実際、世界が毎日激変?している。内部の入れ替えがおきていることだ。
・・・・・・・・・ 2001年08月17日(金) [111] 数ヶ月ぶりの古町
数ヶ月ぶりに古町に出る。16日の為か店は半分ほど休んでいて、飲み客も少ない状態であった。 昨年の暮れ行った店で‘安寿’という店で、「人生楽しく!」が本人と店のコンセプト ということをこの笑い顔を見て今思い出した。このように笑えるのは大きい財産であろう。 「楽しいから笑うのでなく、笑うから楽しい」ということを本人がよく知っているのだ。笑いは訓練でできる能力だ。 古町は少し高いがやはり面白い。私のミニノートにジョークと駄洒落の索引がかいてある。 いつも鞄かポケットにいれてある。 開いたと同時にアルファー波が出てくる。
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