2009年07月02日(木)
「魂とは何か」池田晶子著 ー読書日記
池田晶子の「魂とは何か」という本に、「垂直な言葉」というがあった。 横に流れる時間に対して、垂直の時間=永遠の時間、という言葉がある。 「今という瞬間の中にこそ、永遠がある」を宗教的、哲学的に考えていくと、感動、感激の瞬間に 感じた垂直の時間の意味の一端を理解することができた。 ところが、今度は「垂直の言葉」である。 池田晶子は判りやすい。 いや、判ったような気にさせる、と言うほうが本当である。 ーまずは、その部分である。 P-217 * 考える不思議、「常識」の不思議 【対談】石川好×池田晶子 池田 当たり前のことを言われても、何を言いたいのか読み手がわからない、と受け止められているのではと。 石川 それは、あなたの言葉が垂直だからですよ。 池田 以前に、おまえは右か左かと訊かれたので、私は垂直だ、と答えたことがあったけど。 石川 そうそう、その意味。日本人の中で、言葉を横でなく縦に、垂直に降りていくものと自覚的に使っている人は、 めずらしいと思うんです。 なぜかというと、日本の風土の中に、垂直に考える習慣がないからね。 横の社会なんですよ。歴史的にも、現在で起こっていることをみても、横のつながり、比較の中でしか、 誰もものを言ってないでしょう。互いの巻尺を当てて、それで対象を測っているという仕方でね。 池田 横軸でものを語るっていうのは、事実でなく、価値を語っているのです。 たとえば、ある主義をかざす人は自分の主義を正義だという。ほかの主義をかざす人は、 ほかの正義を主張する。 だけど、「正義」という言葉の意味自体を考えようとしない。 彼らが語っているのは、事実ではなく、どこまでも自分の価値観なんです。 石川 あなたの動詞の使い方で面白いのは、「在る」という言葉だよね。「居る」ならばまだ比較対象となる、 横軸が出てくる余地があるけれど「在る」になると それが綺麗に払拭されてしまう。 池田 「存在」を語っているのですよ。 たとえ人について語る場合でも、性格とか生活とかは捨象されてますから。 今度の本にしても、人物批評のカタチをとっているですが、取り上げた方たちの私の意見は全くないのです。 池田 私は、自分が何ものでもないと思っているのです。何者でもないから、座標原点になれるのだと。 あとはひたすら考える。その宇宙的な座標原点からは、結構色いろなものが見えてくる。 価値を語っている人たちとは立つ位置が違うので、論争が起こることもないし、 私の周りは台風の目みたいにいつも静かです。 石川 池田さんの文章は、徹底したリアリズムで貫かれている。日本人は、リアルとは生活のことだと 思っているので、その辺のことは理解しにくいのではないかと。 ー以上だが、 「垂直な言葉」とは、言いえて妙である。「横軸でものを語るってのは事実でなく価値を語っている」とは、 思い当たる節が多くある。考え抜かれてない言葉の中で生きている我われは横軸の社会的な価値を話しているに過ぎない。 宇宙からの視点で、地球上に住む人間の知恵、そして価値を見直す時期に来ているが、宇宙からの視点の言葉も垂直である。
・・・・・・・・・ ・・・・・・・ 2006年07月02日(日) 1916, スペイン画家・堀越千秋ー7 才八∋ウ_〆(∀`●) スペイン七千夜一夜 集英社文庫 ー読書日記
スペインといえば、やはり闘牛である。何回か闘牛について書いてきたが、 堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。「俺と一緒にするな!」という著者の声が聞こえそうだが! 一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、観衆と一緒に興奮して、面白いと思えるようになった。 早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。 が、慣れてくると、それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。 そうしないと殺される確率が高くなるからだ。初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。 しかし、ここはスペイン!それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、と決め込み、 何度か自分の良心に言い聞かせて・・ まずは、その一部を抜粋してみた。 ー スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。牛は、平和な原野の牧場から ある日突然連れさられる。暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。 怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。 何が何だかわからない。 一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖があってよくない。 いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、 勝手なことを言う。 そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、拍手をしたり、 口笛をふいて避難したりする。人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。 人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。 牛の都合は、実は、無視されているのではない。スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、 つまり人間にとって良い牛は、恐ろしい野生の黒牛でもないし、敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、 気高い「自分」なのである。強い牛は自分の美点の反映なのである。勿論こっちの自分は、 牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、 牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。 こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、一瞬のうちに都合の良いほうへ 乗り移る「自分」というものを、日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって 支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。 ーーー スペイン人と日本人は違うのです!! ー以前の闘牛について書いた文章ですー 2002/09/07 パンプローナの牛追い祭り 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。もし神様が一日だけ もう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。 今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、 毎年放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容であった。 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、 (字数の関係でカット弐千八年七月弐日) ・・・・・・・・ 2005年07月02日(土) 1551, わたしの酒中日記ー番外
わたしの酒中日記を書き出して、驚くほど昔の記憶が戻ってきている。 居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、芋づる式に記憶が次から次へと出てくる。 その記憶をたどると、その時々に精一杯生きていた姿に驚かされる。 真面目?に不器用に生きていた当時の自分の姿が、輝いて思えてくる。 今まで後ろを振り返らないことをモットーにしてきたせいか、最近になって振り返ると、 その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。その時々の心のひだがドンドン思い出されてくる。 しかし書けないことは幾らでもある。 その辺がプロと素人の書き手の違いである。 本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。 それが若さなのであろうが。昔のことを書くのは気持ちが重いが、好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。 その切り口からのTPOSの背景を書き出すのも面白い。誰もがフラッシュ的な記憶の断片が脳裏に浮かぶ。 しかし、それを書き出すということはなかなか出来ない。そのフラッシュのように戻った一瞬の記億を、 酒場にからめて書けばよい。酒中日記を書いて、「人生は多くの何げない日常の断片から構成されている」ことに気づいた。 決して大きな塊ではないし、光り輝いた結婚式や旅行などだけにあるのではない。 何げない日常の中にこそ、深い人生の意味が詰まっている。酒席のことを書いていたら、いくらでも昔のことが思い出される。 それが果たして良いのか、良くないのかまだ判断できない。このレベルなら、いくら思い出せるものだ。 人生は、日常の根っ子の地中の中にこそ、味わいと真髄があるようだ。
・・・・・・・・・ 2004年07月02日(金) 1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5 ー感動は蓄積される
何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界がそこにあるからである。 そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて感動するからだ。 実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、ほぼ同じではないかということだ。 旅行のたびに期待していた数倍の感動と歓喜?がそこに待っていた。 とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。 その感動を得る為に、いそいそと飽きずに家内と一緒に出かけていく。感動の蓄積が磁力になり、 更により大きな感動を引き寄せる。そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。 私と酒を飲んだ人はわかるだろうが、酒を飲むと普段のブロックが外れて、その時の蓄積された感動の波動が開放される。 毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。 幼児期から青年期にかけて可能な限り、親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)や自然を見せて 感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。その量×質が、その人の人生を決めるという。 感謝・感激・感動は、その人の潜在能力のベースになるからだ。 今からでも遅くはないから、可能な限り一流なものを見て、触れて感激・感動を 意識的にしていかなくては!いまさら遅いか?豊かな人生とは、感謝・感激・感動の豊かな人生をいう。
・・・・・・・・ 2003年07月02日(水) 819, 恵まれていた時代に生きて
50歳の時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。 直感的の出た言葉が「恵まれていた!」「面白かった」「悔いはない」である。 特に思ったのは「恵まれていた」である。 ・第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連・北朝鮮など共産圏に 対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。 ・新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。 ・両親も含めて家庭にも恵まれていた。 多くの兄姉にも恵まれていた。 ・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。国に若さと希望があった。 歴史的にみても、20世紀は(特に後半)は、日本にとって黄金の時代といわれるだろ。 この時代を背景として事業チャンスもいくらでもあった。 また時代の変化も激しいのが特徴であった。 とにかく面白い事が多かった。時代が上向きだからこそ変化が面白かったのだ。 あと10年、恵まれていた時代に稼いだ資産の食い潰しをしていくだろう。 そしてその後は亡国に近い状態になることは明らかである。今の日本は、それしか選択ができないだろう。 魚は頭と尻尾から腐るというが、今の日本の姿がそうである。いま1968年の時代の日記を随想日記に 書き写しているが、時代の背景の違いが全く違うことに驚く。やはり経済があってこその国であり、個人がある。 そして特に「国が豊かで恵まれていた」ことが大前提であった。 話が変わるが、昨日12の宮のことを書いたが、その宮一つ一つとっても全て恵まれていた。 宮の意味はどういうことかと考えてみたら、ありがとうという感謝をする祠ということだ。 12番目の異性の替わりに国をあげたほうがよい。 その一つ一つにできたら100回、 計1200回あげるのが理想だろう。とりあえず50回「ありがとう」をいってみよう。 これを一年続けたら運命が変わるのも至極当然である。「ありがとう」を一万回以上続けて 「マイナス思考の毒が激減した」と実感を先日この随想日記で書いた。 「幸せの宇宙構造」というの中に、『3つの帝国』という項目に正にその理由が書いてあった。 人の心には『好帝国ー肯定国』と『悲帝国ー否定国』と『ありがてい国』の3つがあり、 それぞれの国民が住んでいる。一番良いのは「ありが帝国」であるのは当然で「ありがとう」と言っているうちに 無意識の中の否定国の住民が少なくなった為だ。 単純だが、しかし真理をずばり突いている。
・・・・・・・・・・ 2002年07月02日(火) 455,地球をサッカーボールに喩え
今回のワールドサッカーを新聞はどう捉えているか、毎日新聞の社説がダントツよかった 「・19世紀のナショナリズム、 ・20世紀の資本主義、 ・21世紀のグローバリズム化。 この3つが今の世界を動かす理念だとすれば、地球がサッカーボールに凝縮して私たちの前に現れた。 私達は本物のサッカーの興奮を始めて知った。欧州と南米で4年ごとに繰りかえされる祭りに加わった。 スポーツが野球などアメリカの影響下にあった日本、アメリカの影響から逃れたい無意識の願望に後押しされて、 アメリカが作らなかった国際標準を初めて選んだ」 この鋭い分析に納得した。「サッカーボールを地球に喩える」とは、書くプロはさすがに違うと感心した。 ・延べ500億の人が見たと予測されているという。大きいビジネスでもある。 ・「90分ナショナリズム」という言葉も新鮮だった。 ・朝日新聞に出ていた川柳もよい「球ひとつ生命あるようなゴール決め」 ・選手の過半数が何処かの国のプロサッカー 多国籍の選手ーグローバルの時代 印象的キーワードを並べてみる ・地球最大の運動会 ・国家の威信をかけた模試ー代理戦争 ・壮大な民族展示会
・・・・・・・・・・・ 2001年07月02日(月) [71] 夢についてー3
夢は犬や猿など他の動物も見るという。 子供の時母や姉が実際幽霊を見たとかの体験談をきいて、いい年をしていいかげんな事と、 気持ちの中で全く受け付けなかた。ところが経験を積むにしたがって、何か常識で考えられない 何かが存在している事を確信してきた。 特に‘夢’とか‘遇然の一致’そして‘死’‘自然現象’に何か人知を超えた存在を感ずるようになった。 ー以前の文のコピーをまたしておきますー H05 11 記 妙な夢 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。 夢だろうと腕をつねったが痛い、これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。 全体が白光色の黒髪の 27〜28才位の、のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。 ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、‘それって皆同じ顔しているんだよね’言われた時た時、 はじめてゾーッとした。 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえてウトウトした頃、 急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール” 的イメージであった。その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、これも乗ったら 危険と直観し去けた夢である。 あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。
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