2009年06月26日(金)
「世界は感情で動く」 ー5 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」 まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、 【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。 つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、 他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、 ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、 自らの「常識」に固執するようになる。 その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。 世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。これは世界一般のことだが。 しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。 考えてみると我われの思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。 思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。 おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうか している」まで叩き込む。自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。 これを自分に向けると、良くいうと信念。 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。 松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも使いようということ。 それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。 で、その偏見で、偏見を解釈しているのだから、 ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何? この随想日記も、「私の偏見日記」ということになる。 他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。 まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。下手に説得力が あるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
・・・・・・・・・・ 2640, ブランド品 ー2 2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、 これは面白い対象である。もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。 それまでは、嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。 それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40?50年前からでしかない。 特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちで はないのが悲しい。それにつりあわない若者とか、そのランクから何段か下の人たちである。 ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、 自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。 それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで心の空洞を埋めようという行為でしかない。 またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。 知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。 人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。 フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。それは階級コードではないのである。 それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。 だから、銀座のブランドショップで買い物をする人は、それを買うに相応しい人ではない。 成金か、その家族か、自分に自信を持てない、その階層?の人たちである。 「中村うさぎ」がブランド品偏執狂と自認しているが、カタチは色いろあるが、ああいう人たちがメインの客である。 考えれば直ぐに分かるだろう、ファッション関係の人は、ブランド品は身につけない。 付けていたら、その人はファッションセンスが疑われてよいはず。 頭の軽いタレントや成金の類が、それを飾り立てた姿をみれば解るだろう。 ぶっちゃけた話、家内が、旅行に行く度に一品は買う。 見ているだけで腹が立つが、 喧嘩をすることもないが、常に誰かを想定して自慢をするのが見え見えである。 それも・・・まあ、止めておこう。 ――― 2001/12/19 261,ブランド品 ー1 2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー 1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。 それも不釣合いのノーコーデネート。 一品豪華主義の典型 2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。 3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。 ?野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか! 4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。 5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。 したがって大金持ちの贅沢遊び! 収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。 したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い!それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2?3年か、それ以前の「投げ捨て商品」。 その筋のシンジケートから「売価の一?二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の 6割か7割の家賃を取っていることでそれが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 大手の代理店がそれを熟知、一時かなり稼いでいた。黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象であった。
・・・・・・・・・ 2007年06月26日(火) 2275, 希望格差 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。 会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」 と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は ・将来に希望を持って取り組める人たちと、 ・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか? (そうだ、そうだ!と聞こえてきそうだが。それでは希望の持てる会社って、 何処なのか?あったとしも、ミスマッチで受け入れるところは無い? 希望のある会社だって選ぶ権利がある!いや、あるのかもしれない? その辺を間違うとフリーターへの分岐点になる?) (以下は字数の関係でカット2008年06月26日) ・・・・・・・・ 2006年06月26日(月) 1910, スペイン画家・堀越千秋? 「スペインうやむや日記」?1 読書日記
先日、図書館で何げなく手にした本が「スペインうやむや日記」 ?堀越千秋ー集英社 であった。 文章は、10年以上前のものだが、現地に長年住んでなくては書けないことばかり。 さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーをネットで取り寄せた。 (まだ読んでないが・・・) 画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。読んでいると飾らない著者の言葉が、 「自分より自分自身の存在が彼のなかにある」というような錯覚になってしまう。 それと、文章の書き方を教わった。 結局は人は自問自答をしているのである。とくに随想日記は独り言で良いはずだ。 著者に、こう言われているようだ。「何を改まってないで、もっと自分に語りかけるように書きなよ! ブツブツとさ。だいたい頭の中で繰り返している言葉からして何だよ。 そうつまらないよ。言葉を変えなよ。 ヘラヘラしてさ。いいじゃない、それで。アンタなら、そう書いても誰も何とも思わないよ。」 そこで単純だから、素直に少し文体を変えることにした。直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。もどるだろう。 ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな?・・ 「うやむや日記」の =第一章 スペインの黒い雨=から、 スペインの世界の引き込まれてしまう!まずは、ご覧あれ!これで何も感じなかったら、脳が少し鈍感になっている、 と思ってもよい? ーー 私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、さぞ大酒飲みで貧乏であろう、 と人は皆思うらしいが、そうではない。ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、ましてやもののうまいまずいなどは とっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、マットレスのクッションは札束、というのが私の実情。 が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間着たままのシャツが「着こなし」に見えなくなってしまうし、高級料亭に お招ばれされるべきところを「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、 貧乏な友達にはたかられてしまうであろう。それでも、長いスペイン暮しで、いやおうなくワインやシェリー酒は 飲みつづけているから、金曜日だけが安ワインの日、という普通のジャパニーズよりはワインの味は分かるかもしれない。 だから、たまに日本でのお招ばれでフランス料理なんぞをゴチになったりすると、先方がせっかく張り込んでシャブリ だのボルドーだのと開けてくれても、こっちは値段を知らぬものだから、平気で正直に首を傾げて「うーむ」 などと言ってしまう。 あとできくところによると、そういうものはまあレストランにもよるが 一万円以上するらしい。そんな高価なものを口に含んで「うーむ」と唸る当方が、さぞかしワイン通にみえるのは、 東京の金曜日の安ワインファンにはやむをえまい。 でもまずいんだから仕方ないよ。そもそもフランスのワインなんぞ というものが、どういうクワセモノであるかは、先頃一九九五年のシラク大統領の南太平洋における核実験再開をみても 察しがつこうではないか。いや何も私は、このごろになってそんなことを言っているのじゃない。 シラクがパリ市長だったころから、右翼的で尊大で野心的で人種差別主義者的なこの男の顔が私は大嫌いだった。 この手のツラは、スペインにもちらほら、いやこのごろはぞろぞろいる。 特に一九九二年のバルセロナ・オリンピック以後。 スペインは今(一九九五年)、銀行家や警視総監や政府首脳を含む一大汚職にまみれており、そやつら、 亡国的売国的利己的な連中の顔が、スペインの湿った裏庭パリにもいた。 それがシラクである。 (以下は字数の関係でカット2009年06月26日) (*^ワ^*)i バイ ・・・・・・・ 2005年06月26日(日) 1545, エホバの証人ー1
誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、自宅への訪問伝道で、彼らの姿をみているはず。 といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に載る位のことである。 学生時代の友人が入ったが、みるみるうちに異様な男に変容していった。 (しかし、自力で脱会してきたが)中学校の同級生が自宅に訪問伝道にきたり、 前の会社の元部下が街角に立っている姿をみたりしていた。 貰ったパンフレットなどは馬鹿馬鹿しいのでみたことがなかった。 街角に立っていた元部下に偶然、10年ぶりに会った時の話。 「抜けることができるのか?」と聞いたら、「もう無理でしょうね!」と答えた。 「あれだけ本を読んでおけと言ったのに!読まなかったのだろう。 だから洗脳されて抜けだせないんだ!自業自得さ。」と冷たく言ってしまったが、 それはそれで仕方がないのか。基礎教養が少ないと、こういうものを盲信してしまうのだ。 ある本に彼らの概要が解りやすく書いてあった。成る程、こういうことーシステムーだったのかと、 納得できるものだった。典型的なカルト?の異常集団である。しかし、教徒を盲信させる教えや、 洗脳システムは凄いとしか言いようがない。 ーこの教団の要点をまとめてみた。ー ・エホバの証人は19世紀半ばにチャールズ・ラッセルによって始められた アメリカ生まれのキリスト教の一派である。 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
・・・・・・・・ 2004年06月26日(土) 1180, 秘境・異郷ツアーレッスン ー2
このツアーで出会う人が素晴らしい?私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。 それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。 金を出してまで南米やアフリカやインド・パキスタンなどのシルクロードに危険を 冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何かすばらしい体験がまっているのを知っている人である。 旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しにやってくるか、何らかの理由でその地域に興味がある人か、 人生の癒しを求めに来ている人である。 また写真や絵や小説の題材を探している人とか様々である。 職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。 その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。そこでは普段聞けない面白い話や人生を垣間見ることができる。 一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に聞けない濃厚な話が聞ける。 遠藤周作の小説「遠い河」のような、それぞれのおもい人生を背負った人の集団と赤裸々な日々を過ごすことにもなる。 もう二度と会わないから、本音の話になる。そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。 旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。旅行をしていて気がついたことは大まかに ・自然派と遺跡派と欧州派 ・アフリカ派とインド派と南米派と中国派 に分類することができる。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2003年06月26日(木) 813, 日暮里界隈
一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。 谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような場末の飲食街があった。 それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。 知人の会社の東京事務所があったため、よく通ったという店があった。 沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の小さい店であった。 店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。 石垣島出身で、具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。何とも沖縄料理がおいしい。 豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。 そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる。スーパーで売っているが、ブレンドされた泡盛がいやにおいしい。 店の中の全員がお互いの話を旧知のように話し合える感じがよい。それこそ若い人は皆無という雰囲気がまたよいのだ。 たまたま若い女性が一人入ってきて飲んでいた。話しかけると「2~3日うちに石垣島に亭主と行く」とのことで、 女将に知り合いの店を紹介してもらっていた。何か楽しくなって、下の息子を呼びだして一緒に呑むことになった。 本人も目をクリクリさせて、「今時、凄いところがあるものだ!」と驚いていた。 その後にもう一軒、谷中銀座の中にある居酒屋にいったが、ここも印象深い店であった。 大きいメンチカツが何とも美味しい!
・・・・・・・・・ 2002年06月26日(水) 449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2
「歴史」ー岩波文庫 に書いてあるが、紀元前ギリシャのヘロドトスがピラミッドを見たときに、 近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに「王の墓ではないか」 と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで、数千年それが信じられてきただけだという。 最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。墓や出勤簿が出てきたという。 それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。 二日酔い、兄の結婚式等々。発掘で事実がまったく変わってしまう。日本では中ぐらいの川が3000本あるという。 エジプトはナイル川一本だけ。しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。 ピラミッドは公共事業という説がある。それも無用の長物だから意味があるという。収穫の50?が王様、25?が地主、 25?が農民が取った。する仕事がない時に王様が25?をその公共事業のために放出したという。 一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と判ると二度とそれをやらなくなった。 その後神殿造りに変わっていった。今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。 当時のエジプトで神について以下のように考えた ・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え ・二番目に良いのは、神が本当いると信じること ・三番目は神はいないと思うこと ・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと{これが今回一番面白い内容であったー現代人と変わってない} 日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。新しい国だ。 AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。エジプト中には83のピラミッドがあるという。 ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。王様にも最大5個のピラミッドを持つ者や、 ゼロのものもいる。今は3年に一個の割合で発見されている。最終出るまでに後200年かかるといわれている。
・・・・・・・・ 2001年06月26日(火) [64] おまいり
毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4〜5年続けている。 「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、 祖父さん祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。 仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。 そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。特に大変な人こそより良くありますように。 かさねてお父さんお母さん有難うございます。今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」 大変な人は、今周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。 これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。
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