2009年06月16日(火)
「スナック」という写真集を借りてきて、ママの姿と顔をジックリとみていて気づいたことは、 ママには「美人系」と、「癒し系」があることに気づいた。 それに「笑い系」もあるが。 先週の日曜日に朝の番組で、銀座のナンバーワン?と言われている「筆談ホステス」を取り上げていた。 本人が本を出版したところ良く売れた為にマスコミの目にとまったのだろう。 聴覚障害で喋れないので筆談で御客とヤリトリするのが、心に響いて売れっ子になったという。 私も毎日、この随想日記を書いているので書くことの魔力の一端を知っている。 クラブなどで言葉の替わりに筆談で御客を惹きつけるのだから大変なことである。 その大変な中から本人は言葉の持つ魔力と、不思議さを、体験の中で知ったのである。 お客にしても、筆談などの経験は殆どないだろうし、私もない。もし近くにあるなら 「行ってみようか」 と誘われれば行くだろう。 アマゾンのHPに、この本の紹介文がある。 ― 「筆談ホステス」 斉藤里恵著 ー 「内容紹介 ー聴覚障害を持つ青森一の不良娘が独自に編み出した“筆談術”だけで 銀座NO.1ホステスに成り上がる苦闘のすべてを描いた感涙必至の青春ストーリーです。 青森の厳格な家庭に生まれ育った里恵さんは現在25歳。幼少時の病気が原因で聴力を完全に失いました。 聴覚障害に端を発したトラブルなどからしだいに落ちこぼれ、酒、タバコ、盗みとおきまりの転落コースを たどった彼女が見つけた生き抜くための職業、それが“筆談を駆使した”ホステスの仕事です。 かたわらに常備したメモ帳とペンを巧みに使い、数々の夜の世界のワナをすりぬけ、健常者以上の売り上げをうみ出す 「筆談ホステス」と呼ばれるようになるのに、そう時間はかかりませんでした。 そんな里恵さんの“紙とペンを使った接客だからこそできる繊細な表現”や、“お客さんたちとの筆談のやり取りの中で 実際に登場した名言集”は愛の言葉のシャワーとなりすべての人々に癒しを届けます。 彼女が培った独自のコミュニケーション術はこのギスギスした時代にいちばん必要とされるスキルのはずです。 また、勤務している銀座のクラブでの実際の接客風景のカラーグラビア写真や直筆の筆談語録もふんだんに収録。」 ー以上だが、言葉を話せないギャップは想像を絶するだろう。それが銀座のクラブのホステスで ナンバーワン・ホステスになるには、言葉の奥にある心のヒダを知り尽くしてないと。 随想日記を書き続けていて気づいたことだが、頭の中にあることを書き出してみると、それは違う存在になってしまう、 ということだ。 声に出して話していることと、それを紙に書いたことは似て非なることになる。 恐らく、お客の何人かは、互いに話したメモを欲しいということも本人は知っている。 だから、それを意識して書いている。だから言葉の持つ力を知り、かつ客や本などから吸収していく。 彼女にとって頭を使うことは、筆記することであり、筆記する言葉が自分自身であることを知り尽くしている。 そうこう考えると、毎日書いている私は何にもなってないのは、心根の問題ということ?
・・・・・・・・・・ 2630, 閑話小題 2008年06月16日(月)
*台風と地震が何で土.日曜日に多い? 統計的にみれば、違うのだろうが災害の起こるのが土日に多いのは何故だろう。 特に台風は決まったように週末である。 最近では地震まで御付き合いのようだ。 中越地震が土曜日、去年の能登地震と中越沖地震が日曜日、そして今回の地震が土曜日である。 (中国の四川地震とミャンマーのサイクロンは月曜日だったが、外国である) 偶然なのだろうが、不思議といえば不思議である。 ーー *ワーキング・プアのテロ? アキバの大量殺人事件、ワーキングプアの若者のテロ?と思った。 テロは政治的、宗教的な原理的信念のもとで行われるから、これはテロではない。 挫折と孤独と、厳しすぎる父親や、希望のない職場への暴発である。 ネット劇場型犯罪である。 職場を転々としているうちに、滑り台を降りるように歯止めのない絶望感が育っていったのだ。 彼の優秀な弟も、挫折をして高校中退しているというから、ゆとり教育の敗者の姿といえる。 それが僅かではなく、若者の多くの傾向というから大きな問題である。 一度滑り台に乗ってしまった人は、元に戻ることは難しい時代になっている。 ーー *「ヤミ金に元本返済不要」と最高裁が判断 先日、最高裁が、ヤミ金元本も返済不要とは、思い切った判断をしたものだ。 「ヤミ金は反倫理行為の手段として、違法行為として貸したのだから返す必要がない」とは、 最近の裁判所としては、英断である。 これで、ヤミ金は危ない犯罪として大幅に減るのか、 それとも、更に巧妙に成るのか。ただ借りる方からすればヤミ金も無くなり犯罪に走るケースが増える? これも過去に遡って適応すれば、ヤミの連中は震え上がるだろう。 ただ、得体の知れない死体が 東京湾に多く浮かぶことになる可能性もあるが。
・・・・・・・・・ 2007年06月16日(土) 2265, 動物が家畜化されると、どうなる? *´・ω・)ノはよー! 動物学者・小原秀雄によると ー人間は、代を重ねて自分で自分を飼育し、家畜化して、 文化(檻ーおり)を発展させてきた不思議な生き物という。 ー家畜化した動物の特徴は ・体毛が部分的に長くなる傾向があり、毛深かった体毛が部分的に残って、しかも長くなる。 人間をチンパンジーと比べると、頭髪、眉毛、髭、陰毛・・など、明かに人間は部分的に長毛化している。 ・もう一つの家畜化した特徴は、発情期間が長くなる。 >(^┰^;)ゞ 例えば、野生に羊は年に一回しか発情しないが、ウール用に飼育されたメリノ種は、ほぼ一年中発情する。 人間も、コンクリート・ジャングルの‘うさぎ小屋’に住んで、会社という‘イヌ小屋'に通いながら、 胃潰瘍、糖尿、自律神経障害などの数々のストレスと闘いながら、一年中発情している。 ・また、うまく飼育されると、一部の動物は寿命が延びる。 野生のネズミなど、広い場所に飼われると、寿命が4倍も延びた例がある。 ・家畜には、幼児的な形質が長く残る傾向がある。その分、寿命も延びていく。 ・人が失った最大の能力は、体温の温もり、なめる感触、匂い、声の響き・・・ 言葉以外のコミュニケーションである。 人間は、言葉に頼りすぎている。 ーという。 ---- 成る程、肯けることだが、人間は自分を家畜化する動物とは言いえて妙である。 動物は自然環境の変化に対して、自分を変えて生き延びてきた。 それに対して人間は、自然を人工の物に置き換えて、文化(檻)を発展してきた。 自然を切り開き、人工の家を建て、村をつくり、町をつくり、都市化し、その中に自分を押し込んで家畜化してきた。 その結果、頭髪や陰毛がのび、年中発情をし、幼児化して、長生きをするようになったが、言葉のお陰で、 五感が退化して頭がおかしくなってしまったのである。そして、文化という檻をますます、堅固につくって、 最後はそれで滅びていく憐れな生き物ということになる。 全くその通りだから、恐ろしい。 論語を読んで、つくづく不自然な何かを感じていた。 あれって、王侯貴族のための大衆の家畜化のマニュアルじゃないのかい?と! 「互いの立場に立って互いを思いやりましょう」ということは、いいが。 一つの大きな基準は必要だろうが・・ ところで、私は家内の家畜化された哀れな亭主!!じゃないかい? (*^_^*)!!o(”>_<)っ( ̄(●●) ̄) と気づいた次第であります! (--; ξ\(・_・) *´・ω・)ばあい?! ・・・・・・・・・ 2006年06月16日(金) 1900, グーグルアースが凄い! おはよ?!(*^ワ^*)i
数日前にグーグルアースがバージョンアップした。 ・画面鮮度が3~4倍のアップ、 ・さらに飛行機ゲームの操縦装置が付き、水平の角度も簡単に変えることができる。 そのため、地球上を簡単に移動できる上に、街の上空150mを自由に操縦して飛びまわれるようになった。 実際に入り込んでしまうと、異次元にタイムスリップしたような気分になってしまう。 二ヶ月間、何度か使っているうちに、「画面がより鮮明になり、移動もスムースになれば面白いだろう」 と思っていたら、バージョンアップ版がタイミングよく目の前に差し出されたようだ。 5~6年前、ある本に、インターネットは奈良時代に下りてきたジェット・ヘリコプターのようなもの。 使うか、遠から眺めるか、どちらかである。」とあった。グーグルアースは、それをそのまま実感させてくれる。 最近、自分と同年代の人を見分ける規準が、インターネットを使いこなしているか、いないかである。 「麻呂や、今日の気分はいかがじゃ」と言っている奈良時代も楽しいが! ジェット・ヘリコプターに乗ってみるのもよい。別に知らなくてもよいが・・ インドのカースト制度の下層階級の子供達に、中古のパソコンを与え、教えようという運動がある。 知らしめることが幸せか不幸せなのかは別問題だろうが。 「麻呂よ、どうじゃ!」 (。・ω・)ノバイ ーー 以前、グーグルアース書いたものをコピーしました。 (字数の関係でカット二〇〇八年六月一六日) ーー 2006/04/07 1830, あちら側の世界 ?8 (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。 早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。 月の視線の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。 もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛回っているような錯覚になる。 殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。使ってみると、リアルな感覚になる。 「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、インド沖の大津波の写真、アメリカの本土の ステルス(飛行機)まで紹介されていた。数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」 という記事が載っていたが、これでは問題になるだろう。世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。 北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。 原子炉?らしき写真もあった。 大都市圏以外は地形認識までしかできないが、有名観光地にはクリックをすると、その情報の入った小さな箱が貼り付けてある。 検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、誰でも無料で見ることができる。 この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、 マップで日本中の都市圏の場所に矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の詳細を 紹介をするサービスがある。 現在は地図だが、近い将来は写真になるのだろう。 アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが、実際は顔の認識まで可能という。 最近の映画のスパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。 「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。 ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー ーー このソフトを開発した米キーホール社のジョン・ハンケ最高経営責任者(CEO)は 「グーグル・アースは、いわば地球を眺めるブラウザーを作ることを目指している。 (われわれの使命は)グーグル・アースを地球の仮想モデルにすべく最大限の努力をすることだ」と語る。 こうした目的を達成する最善の方法は、ソフトウェアのプログラマーが考えもしなかったような場所や建物に、 ユーザーが無数の標識を付けてデータベースに収めてくれることだとグーグル社が考えているのは明らかだ。 ユーザーはここ数ヵ月、米国のほぼすべての場所の地図を素早く簡単に検索できる 『グーグル・マップス』に夢中だった。このサービスでとくに人気があるのは、衛星写真を眺められる機能で、 家並みや市街の詳細な画像が閲覧できる。また、オープン・アーキテクチャーを採用しているので、ユーザーは、 グーグル・マップスと『クレイグズリスト』のようなサードパーティーのサービスを組み合わせた想像力豊かな 工夫(日本語版記事)を加えられる。 グーグル・アースは、グーグル・マップスの強化版だ。 グーグル社はまた誰でも詳細な情報を追加できるようにすることで、工夫の要素をグーグル・アースに組み込んでいる。 グーグル社が昨年、衛星写真を提供するキーホール社を買収した際に獲得した多数の技術的工夫やタグが、 グーグル・アースにはすでに組み込まれている。キーホール社はユーザーのコミュニティーに世界中の場所や 建物について知っているデータを投稿するよう勧めていた。ある工夫では、地図情報とコロラド州ボールダーの 路線バス・システムのデータを組み合わせ、ボールダーを走るバスの位置を3次元地図上にリアルタイムで表示する。 他にもたくさんの楽しみ方がある。米国の灯台を巡る旅、カリフォルニア州マリン郡のおすすめハイキングスポット、 ヨセミテ国立公園の特選キャンプ地、ポーランドのグダニスクにある中世の建造物。 ー°)バイバイ! ーーー 2005年06月16日(木) 1535, 秘境探検家の「幸福論」ー1 (字数の関係でカット2009年6月16日)
・・・・・・・・・ 2004年06月16日(水) 1170, 哲学についてー4
ー近代科学の芽吹き近代科学が16~17世紀にかけて登場してきた。 新しい科学がそれまでの世界観を根本的に変えようとした。まずはポルトガルのコペルニクスである。 宇宙はこの大地にあるのではなく太陽であるとすると仮定したら、数学的に解明できなかった問題が多く解決できると 指摘をした。地動説である。それまで教会が主張してきたことを、聖書に書いてあったことを根本的に否定することになった。 そしてガリレオ・ガリレイが時の権力者と地動説で真っ向から対立をする。 キリスト教の教義と対立をするため宗教裁判にかけられてしまう。結局は自分の地動説を放棄させられてしまう。 しかし彼は有名な言葉をつぶやく「それでも地球は回っている」と。次に、史上最高の科学者アイザック・ニュートンが あらわれる。1666年に自分の庭でリンゴが木から落ちるのを見て、引力の意味に気がついた。 彼はそこでリンゴを落下させるために働いている力は、月を地球に引きつけている力、 地球を回らせている力と同じであると気がつく。近代科学の登場で思想に対する教会の影響力が 薄まってくると、哲学の分野でも合理主義の芽吹きが出てきた。 つづく ・・・・・・・・・・ 2003年06月16日(月) 803、50歳の頃ー1
ー60歳までの人生 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。丁度私が50歳の時であった。 50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。 あとの人生を如何生きようかという自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で 南米のギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら息子と日本酒を 飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。 その時に考えたのは、「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を 60歳までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。 ・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが ・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう ・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようであった。 しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。 本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。 しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心』は良いのではと解釈した。 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。 「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。 その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今も こうして生きている。短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」 かなり深い人生の示唆であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた直後であったから、 尚のこと心に響いた。 あと2年半で、その60歳に近づきつつある。「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。 元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることができるのではないだろうか。 そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。 その意味では、逆に広い世界に飛び出せるのではないかと考えている。 最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどでアフリカや中近東には 以前ほど気楽に行けなくなってきた。この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。 あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
・・・・・・・・・ 2002年06月16日(日) 439,随想日記の不思議
毎日書いていて不思議な気がする事がある。 気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。 それが何か非常に気持ちが安定するのだ。心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。悪趣味?といえば、 そうかも知れないが、見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。 書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。 色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」のような不思議な感覚を受ける事がある。 ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。もっと面白いのは、過去の自分の文章である。 読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。 書き続けている事で、その日その時間の 心のメルクマールになる。過去に日記を書いておけばよかった。反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。 学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。 書くという事は排泄と感じることもあるし、昇華ということもある? メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、 発散でもある。一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。思考の再深耕が容易になる。 ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。
・・・・・・・・・・ 2001年06月16日(土) [54] つれづれに
朝20000歩歩く。前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。 更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。ホームページを開いてから、毎日が楽しい。 パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあいコミニケをしているという。 女性だからできるのだろうが、ある意味で理想に近いコミニヶだろう。 もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。 自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。
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