堀井On-Line



2972,閑話小題

2009年05月25日(月)

 
* 大相撲

 今場所は、白鵬と朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、
全てがモンゴル人である。 大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。
 相撲に対する熱意とハングリーさが、日本人とは格段の差がある。
今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。
彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入になるのもハングリーになる背景がある。
朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る限り一番強かったようだが。
日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。

* 自殺が10年で33万人

 自殺者が、10年続けて3万2〜3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。
自殺未遂が、その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、
33万人が自殺未遂、330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。
十数年前は、20万人前後というから、異常な数である。 一つ踏み外せば自殺願望者になる。
世界恐慌、パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺の環境も暗くなると、何時の間にか鬱気味になる。
その社会不安と環境が、何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。

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2608, 閑話小題
2008年05月25日(日)
                 ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
新潟市の古町近くの地下の西堀ローザが、去年の売り上げが前年度の30?減だという。
オープンから30年が経っており、16年前の売り上げが三分の一、11年前の半分、6年前の6割、
一年前の7割というから、壊滅状態といっていよい。テナントも47店舗のうち7店舗も開いている。
去年できた新潟駅から10分ほどのラブラ万代の影響が20?、郊外にできたイオンのSCの影響が10?。
まあ、手の打ちようが無いのが現状だろう。ダウンタウンの古町にある大和百貨店も撤退の意向のようだが。
新潟駅の再開発も、今後すすみ更に古町周辺は地盤沈下は避けられない。これも時代の流れである。
同じことを、知人が言っていた
「長岡駅と新潟駅の中にテナントとして入っているが、長岡は、ユニ系のアピタがオープンしたら三割減。
 新潟駅も三割減である。今年が勝負の年になる。新潟駅は新ビルが出来たところに移転するが、経費だけ増え、
 売り上げが元に戻るだけ。」
 ーー
 *柏崎原発「一月再開」という内部文章が露見?
柏崎原発が来年の一月に再開、という文章が外部に流れたという。
これも、穿った見方をすれば「やらせ」?とも思えるのも、東京電力への不信感が強いからか。
そうとすれば上手いやり方である。 従来の5倍の震度に耐えられる構造に作り変えるというが?。
 ーー
 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。
そんな繰り返しの中で自然の豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。
自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ生きられるのである。
雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いことも
アザナエル縄のごとく、交互にやってくるという意味もある。
                        (σ・з・)σホナ、マタ!
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2007年05月25日(金)
2243, 耐震偽装 ?1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
          (藤田東吾著 自費出版)  ー読書日記

インターネットで取り寄せた本だが、読み出すとなかなか面白い。
国家権力による偽装と隠蔽をそのまま暴いてる。ヒューザーや、アパグループのマスコミ発表は氷山の一角!
平成元年?17年の間にわたって200万棟?の偽装のビルがあり、それを許したのは国交省である。
政府と役人そして、それを周知の上でつくったマンション建売業者は、この問題は、
けりがついて、この世からイーホームズと少数の者が消える、そう考えていたであろう。
国の威信を守ろうとした策謀が、かえって国家そのものを傷つけていくことを、そのまま告発しているので
内容はクールである。「偽装物件を押さえようと思っても、雨後の筍のように後から後から出てくるな。
誰も止めることなんてできないと思う」まさに予言者の如くであった。
 (本文より抜粋)
また現行の建築基準法が定める、最低限の構造安全の規準を満たさない建築物は、
合算するだけでも、4500万戸のうちの半分以上2000万戸の数字を遥かに越えるという。
この建築業界に厳然と存在していたマフィア・システムが、1981年に施行された
新耐震設計基準法と結びついて、ビルなら二百万棟の偽装を故意に?作っていたことになる。
誰もがおかしい?と感じ取った「見せ金」での逮捕は、時の権力者と自民党が、
自らの失策を隠蔽しようと国家権力を振るい、力づくで隠蔽を図ったのである。
読んでいて怒りを覚えてしまうし、本人は無念だろう。
問題の本質をすり替え、「見せ金」という全く関係ない罪状で逮捕したのだ。
国交省の大ミスを告発したことに対して、政府が検察を使って隠蔽しようと逮捕した!
ということである。 立小便のような微罪で逮捕したのだから本当にひどいものである。
地元の三条市のアパのマンションで、露骨な隠蔽を画策して三条市長が激怒の記者会見を
していたが、これらに対する設計事務所などの対応が「あまりにも酷い!」と・・・。
この問題がおきてから新潟市内に建設中の200室あまりのマンション。
130室決まっていたのが、キャンセル続出?という話で建築関係者の間ではモチキリという。    
                  つづく   バ━━ヾ(●′ω`)ノ━━イ
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2006年05月25日(木)
1878, <不良>のための文章術
           おはよ?!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
?NHKbooks 著者 永江朗 ?長岡中央図書館・借

5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。
書き続けたからこそみえてきたのだろう。 何が違うのだろうか?
ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。
この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。そんなことは素人が書くことだという。
この本でまず、ガツンとやらえるのが、「自己表現を捨て、読者を愉しませることに徹せよ!」である。
私の5年間書き続けてきた、「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。
そこがプロと私の差である。もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。
こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!

  ーまずは概略を書いてみたー
   プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。
   読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。こんど行こうかしら」と、
   書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそがプロフェッショナルの文章である。
   おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
   ・・・美しく正しい文章なんて、退屈で眠たくなるだけです。そんなものはシロウトにおまかせしておけばいい。
   プロは客を退屈させてはいけません。客を眠らせてはいけません。良識ある人は顔をしかめるかもしれませんが、
   しかし、それでいいのです。(中略)というわけで、<不良>になればなるほど文章の商品性は増します。
   <不良>でたりなければ、極道でも悪党でもなんでもけっこうです。
   つまりこの本は、「出版社がカネを払いたくなる。読者が買いたくなる」ような文章の指南書である。
   名文はカネにはならない。美しく正しい日本語は良い子のもの。
   不良(プロ)は自己表現という考えを捨て、読者を愉しませることに徹します。
   「本書を読めば、誰でもプロのライターになれます」
   万が一なれなかったとしたら、それはあなたが『良い子』だからです」と。
  「自己表現を読みたくなるのは有名人、大家に限ってのこと。
   どこの馬の骨だかわからないやつの自己表現など見向きもされない、ことを自覚しておくべきだ」という。
   アマチュアの文章が「書き手」からの発想とするなら、「読み手」から発想するのがプロの文章です。
  「読み手」にとって役立つ情報とは何か、プロは「読み手」は何をいちばん知りたいか、から考えはじめる。
   読者が知りたいのは書き手の「私」ではなく「本」であることを忘れないよう釘をさしている。
   ーーーーーー
   図書館で借りてきて、買いたくなる本が三ヶ月に一度くらいある。この本が正に、これだ。
   プロになりたい人より、プロの技法を盗みたい人向けの本でもある。
   最近では[ローマから日本が見える][ずっとやりたかったことを、やりなさい」
   である。注文をして手元に届くと、それで安心して読まなくなるが,それでもよいと思わせる本が良い本である。 
   「商品としての文章を書くのがプロである。だから貴方の文章はつまらないのです」と自覚せざるを得ない内容である。
   文章術に関してベスト3に入る本である。
                    バイ♪(ノ´∀`*)ノ
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2005年05月25日(水)
1513, こころを凛とする196の言葉 ?2
               ー読書日記

美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して女の「こころのあり方」を見ているのだろ。
女も大変である。受けの立場であるからだ。さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。
こころを凛とすることも大事だが、もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。何事も努力・努力である。諦めたと同時に・・
 ーー
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。じつはこれ、私にとっては立派な美容法。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい。
 ーー
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、その喜びの量が、
そのまま艶となって人を潤すってことなのかもしれない。
 ーー
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、
自分は悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに
年上の女を思おう。辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。
つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
 ーー
・女は姿勢がつくるいちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、そして人をいちばん醜くしてしまうのが
「姿勢の悪さ」であると思う。背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。
美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・・。世にも簡単な、変身である。
 ーー
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・。「女の覚悟」はいつも人生に関すること。時に自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。いちばん美しいのかもしれない。
 ーー
・オーラは意志。 人間の意志の強さは、姿形にも現れ、人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、目に見えない「美しい緊張感」
みたいなものを全身に張りめぐらせて、それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。「強い意志を持っている人」を指すのだろう。

・・・・・・・
2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話

遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。
自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。」
人間の身体を支配するものは遺伝子であって、人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。
自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。これを読んでいると、論語など読むのがバカバカしくなるか、
だからこそ論語のような規範が必要と考えるか、分かれた解釈になる。

ーあるホームページからのコピーですー
なかなか解りやすくうまくまとめてある
 ーーーー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから
不滅であるといえるだろう。個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、
個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。
 (以下、字数の関係で中間カット2,009年5月25日)

ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。
個体を維持させることが目的でなく、遺伝子そのものが生き延びていくことが
目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になってきたことは確かである。
神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?

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2003年05月25日(日)
781, 父が亡くなって30年

 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。反面非常に厳しい人であった。
 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。 もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。 必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを教えたかったのだろう。
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・・
2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)
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2002年05月25日(土)
417,人生の負け組みと勝ち組み

だいたい20?が勝ちで、80?は負け組みである。何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。 その意味でやはり、あるはずだ。
社会的な勝ち負けの話しではない。 負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。
・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、
・現在それを過去の計画どおり実行しており、
・未来の計画をキッチリ立ててある人
そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。
刑務所など99?だろう。その共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。80?の人も然り?
ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。
何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。
自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」こう言える生き方が勝ち組だ。

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 2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設! ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていくものだが、
ーいつか実行したいと思っていた。そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。 しかし途中挫折しなければよいが? 
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。 どういう展開なるか自分でも解らない。 
小さな世界がますます露呈されていくが、しかたあるまい。
だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが

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