堀井On-Line



2960,藤を見るかい

2009年05月13日(水)

 「藤を見るかい」の招待を受けて、昨日の17時過ぎに長岡郊外の友人の別荘に行ってきた。
 設計事務所を経営している人の別荘だけあって、何ともいえない佇まいの家である。
 数年前に、彼から綺麗どころの女性を集めた藤を見る会の写真を見せてもらったが、
 まさか私たち夫婦が招待されるとは! 光栄の至りである。
 別荘の周囲に、藤の木などが植えてあって何とも言えない雰囲気を醸し出している別世界。
 奥さんが、「ここで二番目の子供を宿している娘と、3歳の孫と、連休からいるが、もう俗世間に
 戻るのが嫌になる思い」というのも充分に納得する別世界である。
 そこに今晩長岡グランドホテルでディナーショーで歌う歌手と、社長一家と、社長の友人など、
 十数人のガーデンパーティーである。 1000坪近い庭で採れたウドやアサズキなどを目の前で洗ってミソで
 食するのは最高の贅沢。 招待された人が持ってきた日本酒と、芋焼酎の一升瓶と、数十本のビールが
 またたく間に空になるほど盛り上がった会になった。 そこで一番ハイになってしまったのが私・・  
 一時間もしないうちに小雨が降ってきたが、そこが設計事務所の別荘。 
 玄関前がベランダ風に広く屋根がつくられており、机と椅子を移動して、二次会の場になってしまった。
 そして、そこで1時間ほどした後に、今度は家の中座敷が三次会の場と計算されている。 
 宴もたけなわとなり気がつくと何時の間にか八時半を過ぎていた。
 あまり人付き合いの良くない私にとって、接待を楽しんでいる?友人夫婦の姿に感動すら覚えた。 
 色いろな生き方があるものである。前準備など、奥さんと娘さんは大変なのは解っているから尚のことである。
 ところで、今夜のディナーショーに参加をすることにした。
 奥さんが主催で、長岡という小さな市で何と300人も集まるというから、これも驚きである。
 ゲストの名前は「福沢恵介」さん。300人も集まるのだから有名なのだろうが、私は薄ら覚え?
 その場で二曲歌ってもらったが、濁り気のない澄みとおった感動的な響きがあった。
   また一つ、感動という蔵に、良い宝が増えた。
 
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2596, 金融鎖国
2008年05月13日(火)
            ー読書日記ー
                  (朝´∀`){♪Good Morning♪}
  「連鎖するドル大暴落」「ドル覇権の崩壊」の二冊を立て続けに読んでショックを受け、
   それでは、その著者が以前に書いた本が、何処まで当たっているか見てみようと、
  「金融閉鎖」と「日本壊死」を図書館から借りてきた。そして、その7?8割は当たっていた。
   数年前に本屋で手を取ってみたが、気になってはいた本であった。
   読めば読むほど、先行きに対して不安になってくる。 やはり、その2008年になったのである。
   石油が120ドルという、とてつもない暴騰をし、世界経済が根本からおかしくなり始めたのである。
   穀物や油が高騰を続ければ、世界経済は大混乱をするのは時間の問題である。
   物は売れない、原価は止めの無い高騰。 企業は成りゆかなくなり、倒産、そして失業者が溢れかえる。
   資源を狙って隣国同士が戦争とマイナスの連鎖が続くだろう。 現時点では、金融閉鎖は無いにしても、
   アメリカのドルの暴落、債権の暴落等で金融鎖国的の事態もありうるというのも肯ける。
   悲しいことに日本は、その直撃を受けるのである。
 ー概略をまとめてみたー
「金融鎖国」
ー日本経済防衛論 副島 隆彦 (著)

(字数の関係でカット 09年05月13日)
   ーーー
   この本が発刊されてのが2002年の9月である。
   6年近く前になるから、読んでいて恐ろしくなってきた。
   既にアメリカの大不況に突入を予測しているが、巨大な双子の赤字から見て何時か来る道、
   と言ってしまえばそれまでだが。 テンポが遅いだけで、方向としてはこうなるしかない。
   金融封鎖に近い状態に一刻一刻近づいているというのも現実味が出てきている。
     それで困るほど大金も無いから、恐れることも無いが、
     一つ間違えば丸裸にされてしまうことも事実である。
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2007年05月13日(日)
2231, 男は女のどこを見るべきか
            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´_ _)o)ペコッ
    
  ー岩月 謙司 (著)  ちくま書房
 「女性は男性のどこを見ているのか」の著者・岩月謙司の女性論である。
 こういう女性論は探せば幾らでも在りそうだが、比較的少ない本である。
 彼の論によると、「男は女をあまり理解していないが、女の方は逆に男と較べると段違いに理解していて、
 理解できないのは、男の強い性衝動位のもの」という。男と女の違いより、共通していることのほうが多いが、
 極限状態のときに本質的な違いが浮かび出るという。雄と雌でしかないのを、割り切ってしまえばよいが、
 割り切れないから面白いドラマがあるのだろう。

ー概略をまとめてみるとー

女性の思考法の特徴を
1、自分の快・不快でものごとの善悪を決める
          ー女性が感じる快は、自然の法則に合っていることが多いが・・。
2、社会的配慮が苦手ー自分を守り、自分を愛してくれる人が一人いれば社会を敵にしてもよい
3、二分法的な発想 ーゼロか100かという二分法の発想
4、数の論理    ー「みんながしている」という数の論理で動いている、それで安心してしまう
このような発想で生きていると、多くの人から愛される人間になり、結果として、
愛を多くため込むことになります。女性は「愛の貯金箱」にたとえる事が出来る。
人を愛するということは、
「人の悦びが我がことのように悦び、悲しみも我がことのように悲しむことです。
人の幸福を願い、不幸を悲しむことです。」
慈悲深い人になるのです。その愛情の大きさは、男の数十倍?数百倍もあるのです。
男とは桁が違うのです。それ故に、素敵な女性は女神であり、慈悲深い天使です。
・男性は理論から感情を構築し、女性は感情から理論を構築する傾向にある。その感情も小さくできており、
 大きな感情を理解できない。大きな感情を持っている人は、小さな感情は理解でたとしても、
 小さな感情の人は大きな感情の人を理解できない。だから始末の悪いことがある。
・気まぐれ(個人的感情)による約束反故は(彼女らにとって)正当な理由になる。
・女性の善悪は自分がキモチイイ=善で、自分がキモチワルイ=悪となる 。
 逆にいえば割り切ってしまえば、簡単である。
・女性は過去の感情は記憶するが、客観的事実や結果は記憶しない。
・真の愛を貰った女性は天使となるが、真の愛を貰えなかった女性は悪魔となる。
これらから考えられるのは、女性は自分を客観視できない傾向が強い。その事例として女性の運転を上げている。
1姫、2トラ、3ダンプと恐ろしい女性ドライバーをあげている。怒れる女性は、欲望のままに行動するからである。
基本的に女性は、男性に騙されない。 女性は自分に騙されているのです。男に騙されたのではなく、
自分を騙した結果として男に騙されるのである。 結婚詐欺師は、それを見抜いている。
愛されて育った女性は自分に騙されません。「これ好き、あれも好き、あれもやってみたい、
という発言をする女性は、素敵な女性です。愛されて育った女性は素敵になるのです。
ーーー
前著の「女は男のどこを見ているのか」と、この著を重ねると、著者の言わんとするところは、
「子供の頃から愛されて育った女性と、若い時に英雄体験を重ねた男が結婚すれば、幸せになれる」
ということになるが。誠実に、相手の立場に立って優しく接し続けていれば良いということか。
女性は、我がままで、気が強く、直感は鋭いが、長期的視点で論理的に考えにくい。
それもこれも含めて、女性は好きだが、最後は品性である。
         ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪   ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪

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2006年05月13日(土)
1866, 売春合法 ドイツ
         おっ w(゚Д゚)w ハァョ?

一昨日の産経新聞の国際欄の「鼓動2006」で、「売春合法ドイツの実情」の記事が載っていた。
売春業界?のシステムが面白いので取り上げてみる。
自慢ではないが、売春婦を買ったことは一度もない! 良かったのか悪かったのか?
ー記事の概略というと・・   
迫るW杯を控えたドイツでは、顧客の増加を見込んだ売春業界が本格化しているという。
売春といえば、先進国では当然禁止と思っていたが、2002年にドイツでは合法化された。
犯罪組織が地下に潜るのを防ぐことが狙いだで、ドラッグなど何種類の麻薬も合法化した?
こうした女性の数は少なくみても17万5千人も存在、税金も払い、社会保障を受けるほか、労組も作っている。
ベルリン西部にあるオリンピック・スタジアム近くには最近、W杯観戦者の利用を見込んだ大型の施設が建てられた。
外観は地味だが、40室の部屋がある建物内部には、サウナやスイミング、レストラン、バーの他、
サッカー観戦用の大型スクリーンまで用意されているという。
(字数の関係でカット2008年5月13日)
               (* ̄(エ) ̄)ノ  バイ
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2005年05月13日(金)
151, 人生の敗北者とはどんな人か ー3

人生の敗北者が本当にいるのか? という疑問が生ずる。
敗北とは、自分が決めるもので他者の表層を見ての判断ではない。
しかし、「‘プライドと、それに対応した被害妄想’のために、
自分の壁になる対象を否定。それ故に一生を棒にふるってしまっている人」
を見ると、敗北者と観るのも当然である。もちろん誰の中にも多くの要素が存在している。
ー彼ら(自分)の心の呟きとは「そうでも思わなくては自分の精神を保つことが出来ない。
それと実際のところ、そう思ってストーリーの構築をしないと自分の正義は成立しない!」
「敗北者には、お互いに傷を舐めあう共通精神が必要だ。 その敗北者の共通根性こそ安らぎになる。
我われには共通の敵がいるのだ。その共通の敵は、絶対数が少ないので攻撃をしやすいし、攻撃することで
我われのプライドは満たされている。敗者の惨めさは敗者しか味わったことがなく、
この苦しみ、この惨めさは、勝者には解ろうはずがない」
「敗北というが、何を持って敗北と言うのか?決して敗北ではない! 立場が違うのだ!大体が人が嫌いなのである、
アクセクしているより面白おかしく人生を生きた方がよいではないか。何を一生懸命生きる必要があるのか? 
何を学ぶ必要があるのか?悪い奴らを疑い、憎悪するのは当然のこと、叩かれれば叩き返せばよい。
目には目をというではないか。何を奇麗事をいう必要など何処にあるというのか?」
等々と、それぞれの言い訳がある。(はっきり言うと、これは私の内面の声である。だから、スラスラ書けるのだ)
言い訳を先ず考えてから、ものごとに対処しようとするのが共通点にある。対象によって勝者と敗者に分かれる部分がある。
心の中は、この二人の会話の部分がある。だから複雑になってしまう。 でも敗者の方がいつも勝ってしまう。
心は否定の方が勝つ構造になっている。だから知識が必要なのだ。この年齢になって教養の必要性が今更のように解ってくる。

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2004年05月13日(木)
1136, 「世界がもし100人の村だったら?(2)」

以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、?(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられるものであった。
これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々にとって、大きくかかわってくる。
ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに世界の富を独占しているか、
そして貧富の差が世界を覆っているかが一目瞭然と解る本ともいえる。
イラクのアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら考えると不気味な感がする。

 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を、ず抜粋してみると 
<世界には63億人の人がいますが、もしもそれを 100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。>
  
  ー100人のうち
  52人が女性です  48人が男性です
  30人が子どもで 70人が大人です そのうち7人がお年寄りです

  90人が異性愛者で  10人が同性愛者です
  70人が有色人種で  30人が白人です

  61人がアジア人です  13人がアフリカ人 13人が南北アメリカ人
  12人がヨーロッパ人 あとは南太平洋地域の人です

  33人がキリスト教  19人がイスラム教 13人がヒンドゥー教 6人が仏教を信じています
  5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています
  24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか あるいはなにも信じていません

  17人は中国語をしゃべり 9人は英語 8人はヒンディー語とウルドゥー語を 6人はスペイン語を
  6人はロシア語を 4人はアラビア語をしゃべります これでようやく、村人の半分です
  あとの半分はベンガル語、ポルトガル語 インドネシア語、日本語ドイツ語、フランス語などをしゃべります

  いろいろな人がいるこの村では あなたとは違う人を理解すること 相手をあるがままに受け入れること
  そしてなにより そういうことを知ることが とても大切です

  また、こんなふうにも 考えてみてください 村に住む人びとの100人のうち
  20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです でも15人は太り過ぎです

  すべての富のうち 6人が59%をもっていて みんなアメリカ合衆国の人です
  74人が39%を 20人が、たったの2%を 分けあっています

  すべてのエネルギーのうち 20人が80%を使い 80人が20%を分けあっています

  75人は食べ物の蓄えがあり 雨露をしのぐところがあります でも、あとの25人は そうではありません
  17人は、きれいで安全な水を 飲めません

  銀行に預金があり、財布にお金があり 家のどこかに小銭が転がっている人は
  いちばん豊かな8人のうちの1人です

  自分の車をもっている人は 7人のうちの1人です
  村人のうち1人が大学の教育を受け 2人がコンピューターをもっています
  けれど、 14人は文字が読めません

  もしもあなたが いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに 信仰や信条、良心に従って 
  なにかをし、ものが言えるなら そうでない48人より恵まれています

  もしもあなたが 空爆や襲撃や地雷による殺戮や 武装集団のレイプや拉致に 
  おびえていなければ そうでない20人より 恵まれています

  1年間に、村では 1人が亡くなります
  でも、1年に2人 赤ちゃんが生まれるので 来年、村人は101人になります

  もしもこのメールを読めたなら、 この瞬間、あなたの幸せは 2倍にも3倍にもなります
  なぜならあなたには あなたのことを思ってこれを送った 誰かがいるだけでなく 文字も読めるからです

  けれどなにより あなたは 生きているからです
  昔の人は言いました めぐり往くもの、 また巡り還る、と

  だからあなたは、 深ぶかと歌ってください のびやかに踊ってください  心をこめて生きてください 
  たとえあなたが、傷ついていても 傷ついたことなどないかのように 愛してください

  まずあなたが 愛してください あなた自身と、人が この村に生きてある ということを

  もしもたくさんのわたし・たちが この村を愛することを知ったなら まだ間にあいます
  人びとを引き裂いている非道な力から この村を救えます
  きっと           『世界がもし100人の村だったら』
                                池田香代子 
・・・・・・・・・・
2003年05月13日(火) 
769,「私が20歳の頃」ー読書日記

 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。
二十歳というと、人生の節目である。その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。
どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、試行錯誤しながら生きていた。
このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。それとそれぞれのバックグランドとしての
時代背景があることが。その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。
こんど「私が20歳の頃」を、このコーナーで書いてみようと思う。
 以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーーーーーーーー
ーまえがきと目次と書評ー                新潮文庫
「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
?二十歳のころの生き方が、その後の人生を決める。
立花ゼミ生が熱い思いで突撃取材! 安保闘争、バブル崩壊、オウム真理教事件、
NY同時多発テロ……世界が再び混迷の時代に突入する1960?2001年に
「二十歳のころ」を迎えた多士済々39の足跡。 二十歳のころのインタビュー集

・・・・・・
2002年05月13日(月)
405, 新潟駅前界隈ー3
           ー 駅前の変遷
駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、
そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。それがここ数年で殆どなくなった。
その反面、専門学校と予備校、そして1DKマンション 大型のビジネスホテルが
眼につくようになってきた。  若者の比重がどんどん増えている。
飲食店がどういうわけか殆ど、増えていないし減りもしてない。殆どスナックは行ってないが、
感じでは4割がたは減った? 夜が以前と様変わり、客引きが多く立つようになっている。
新潟駅構内がセゾンとか専門店がどんどん増えて、集客力を増している。
駅に隣接して、APAの百数十室のマンションができ、更に再開発ビルが完成しようとしている。
これが完成すると、感じが変わってくるだろう。更にJRの高架の工事が始まる為、当分はー20年近くは
辺はエネルギーが溜まる話しは少しそれるが、新潟は住みやすい街である。仙台と長野が好いというが、
新潟もそれに匹敵してよいだろう。都会の好さと、地方のよさがうまく混合している。
また結構自然に恵まれている。 若者があまり東京に憧れを持たないのも、その為だ。何処も住めば都か?

・・・・・・・・・
2001年05月13日(日)
図書館通い

毎週土日に一?2回は必ず図書館にかよっている。大体好きなコーナーの好みの本は読んでしまった。
ただ好みが偏っているのが良くわかる。自分の空間の1部になってしまっている。
1回に10冊かりる事ができるのが良い。その内1^2冊あたればよい。
その当たった本の中で買えばよいのだ。図書館も慣れてくるとなかなか良い空間である。
散歩に図書館に居酒屋に通勤の新幹線、そして会社のパソコンの前と自宅のTVが私の空間の殆どを占めている!
図書館は読もうかどうかのファジーの本を気楽に借りられるのが最大の利点だ。これから出かけるところだ。

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