2009年04月27日(月)
ーブラックアウトについてネットで検索をしたら、以下のようにあった。 blackoutは、飲酒中やその直後に自分の行ったできごとについて、翌日に一部の記憶がなくなるアルコール性記憶喪失をいう。 例えば、飲んでタクシーで帰ったが、友人に乗せられたまでは覚えているが、その後はまったく記憶がないなどである。 社交飲酒家でも認められるが、アルコール依存症者ではしばしば認められる。 ブラックアウトの出現は、アルコール依存症の入門切符である。 ーー 「元スマップの草薙剛が、ブラックアウト?で逮捕された」と報道された。 深夜三時ごろに全裸で騒いでいるところを逮捕されたもので、何と猥褻罪という。 深夜に素っ裸で公園にいたところで誰に見られた訳でなし、やりすぎではないかと思うのは私だけではないはず。 有名人でなければ、これだけ騒ぎになるわけでなし、酔っ払い保護センターもあるし、騒ぐほうも騒ぐほう。 これが情報化の恐ろしいところである。 私など20数年間で新潟で酒を飲んで6回も新幹線を乗り越した経験者。 以前から「酒を飲んだ後の記憶がなくなったら、要注意」と酒の先輩格の人から聞いていた。 思い返すに一番酒を飲みまわっていた時に、何度かブラックアウトの経験がある。 それにしても、これだけ酒の失敗を重ねても警察の世話になったことがないのは、不幸中?の幸い。 草薙の場合、8合というからやはり飲みすぎ。 しかし酒癖の悪い私としても、どうしても甘くみてしまう。 二軒目からは焼酎のお湯割りだけにして、楽しい酒にすること。 そして、馴染みの店以外は行かないこと。 酒で人生を多くの失敗したが、その数倍は楽しく面白い思いもしてきた。 昨日のマスコミは全体的に、「警察のやりすぎ」というのが論調で、警察そのものを批判するもの当然。 結果的に警察のレベルの低さを露呈したということになった。 鳩山とかの何が、偉そうな批判をしていたが、 「御前さん、そんなことを言える柄かよ」の一言で失言の取り消しで、逆に嘲笑をかってしまった。 ブラックアウトといえば、精神的に追い詰められて蒸発をした人が、その間何をしていたか まったく記憶がないケースがある。 これもブラック・アウトという。 「男はつらいよ」の中で、寅が知り合った男を捜すストーリーがあったが。 「酒、特に日本酒は口から脳に入れる魔物である!」 魔物に支配されて破滅は、長い歴史上、数知れずである。
・・・・・・・・・ 2580, 閑話小題 2008年04月27日(日) \(⌒∇⌒)/おはよ?! ー哲学と思想の違いー 池田晶子著の「暮らしの哲学」で 「哲学」と「思想」の違いについて次のように書いている。 『「哲学」と「思想」の違いは「哲学」とは考えることであり「行為」である。 それによって導き出された言葉なり文章なりの結果が「思想」である。 だから「哲学する」とは言うけれど「思想する」とは言わない』と。 解りやすい説明である。 「哲学は考えること。思想は思いこむこと」 というと、何か違うような気がする。 人の考え、思い込んだことを言語化したもので、貼り付けることが出来るのが思想で、考える行為が哲学ということ。 一般的には、哲学も思想も同じように論じられているから、話がややこしくなる。 ここの差異をハッキリさせおくと、哲学・思想書関連の本を読んでも整理がつく。 ー何でも半分ー 最近、何でも半分ずつ家内と食べるようになった。 ショートケーキも、バナナも、回転寿司の二貫も一つずつ。 居酒屋やファミレスの料理も半分ずつ。焼き鳥も、食べる前に串からはずして半分ずつ食べる。 これはケチるより、少量でも多くの品を食べたいことと、健康のためもある。 半分でも、一人前食べたような気持ちになるからよい。 しかし、お品が良い?ので、皿から一方が小皿にとってから食す。 少し話は変わるが、以前に昼間の法事があり、終了後に居酒屋チェーンに入った。 発注役は私が得意だろうということで、私の腕のみせどころ。 8人位であったが、既に酒と料理でお腹が一杯だったが、何か注文しなくてならない。 それで酒とビールを三本ずつと、メニューの品を八品、全て一品ずつ頼んだ。 ところが、人間は面白いもので、一品だけ出てくると何だろうかと注目する。 一つずつを2?3人が分けあって食べるのを見ていると、食べない人の食欲が出てくる。 結果的に、更に一人一品ずつ注文することになった。何でも半分は、これに似た感覚。 とにかく半分となると物足りないため、おいしく感じるもの。 けち臭いと思うか、それとも、それが楽しいと思うかである。
ー改めて考えてみても、おかしいと思わない?ー アメリカの大手のナンバー3,5の航空会社が経営危機で合併。自動車最大手のGM,フォードなども経営危機。 そして三大金融機関のシティ・バンク、モルガン、メルリリンチがサプライム問題で危うく倒産。 やはり、ただ事ではない。 世界の変わり目。 それにしても脆いものである。 「日本経済はアメリカが風邪を引けば肺炎になる」というが、 今回の危機を発端としたアメリカの危機は中程度のガンとすると、 日本は末期ガンになる?が、どうも実感としてピンとこないが、地方で、この事業をしていると 何か底知れぬウネリの音が聞こえてくるようである。 ヽ(。ゝω・)ノ ホナ また! ・・・・・・・・・・ 2007年04月27日(金) 2215, 買い物依存症の女 ^O^ノ オアヨーン 海外ツアー、それも秘境に行く人は、心に大きな負担を持った人が多い。 ある年代になれば誰もが何らかの問題は抱えている・・・ 特に刺激を求めてアフリカ、中近東、シルクロード、南米などに行く人は 人生の究極を求めている人が多い。その中で、「買い物依存症」の人が何人もいた。 明らかに病的の、「やり手?ブランド嗜好の金ぴか中年女」である。 店側の尤もらしい口上、お世辞に金をばら撒いている姿が悲しく映る。 買物で心の空虚を埋めようとするとするのは究極の癒しである。 亡くなったが、何度かガンの手術の死線から生還してきた人と、その直後、酒を飲んだことがあったが、 その時の言葉が印象である。「もう帰ってこられないと思っていた娑婆に戻って(退院して)、 何をしたいと思うか分かる?買い物だよ、無性に買物がしたくなるのだ。 セックスと思っていたら、そうじゃないんだ、何かを買いたくなるんだ。 何でだろうか、考えてみたんだ。動物の本能が出てくるんじゃないか!ということだ。 生きるということは、何かを欲すること、それも女じゃないんだ!物を得るという行為なんだ!」 なるほど、その通りなのかもしれない。
ーー (以下、字数の関係で中略2009年4月27日) ・・・・・・・・ 2006年04月27日(木) 1850, 2008年、日本は大きなクラッシュに? ?1 おはよ?!(*^ワ^*)i 昨日、池袋で開催された『資産防衛セミナー』での第一声の講師の言葉が 「平成20年に、日本は大きなクラッシュになる!』である。 そして「その対策を、具体的手順にふむべき時期がきている」という。 二年半前に同じ講師で同じテーマのセミナーに参加したが、再び参加してみた。 5回も参加している人もいるという。その衝撃的な内容は絶望度をましていた。 景気回復など論外。 現在の日本の事態は生やさしいものではないという。 本屋で、数年前まで悲観的な表題の本が平台に積まれていたが、最近は見かけなくなってきた。 少し温かい微風がふいているからだ。この講師の話を聞いていると、その絶望的な話は不変であった。 2~3年以内のクラッシュも、あながち有得ない話ではない。 ー印象的に残った部分を列記するとー ・金(ゴールド)など現物に替えておけ、グラム6000円も有得る(現在2000円) ・ハイパーインフレはもう始まっている ・銀行閉鎖も最悪の場合ありうる(その場合は貸し金庫も閉鎖される) ・金利が5~10?を覚悟をしておいたほうがよい ・日本はアメリカの植民地国家 ・三井住友銀行の貸し手に対しての、脅しもどきの取立て現場の生々しい話 これからの日本の混乱の生々しい予測と現状の内容である。 現在は明治維新時、第二次大戦の敗戦時、と同じ有事の時。 それを明確に意識をして、ことに当たるべきだという。 思い切った決断しか、これからの時代は生き残れない!ということか。 私が感じているより、遥かに事態は深刻のようだ。日本は、これから何処に漂っていくのだろうか? 「日本という国は、潰れない。ただ、国民の財産を根こそぎアメリカ資本に持っていかれるだけだ! その防衛は、それぞれの自己責任で防衛するしかない!」が印象的であった。 つづく ε(´',_c')зβyё ・・・・・・・ 2005年04月27日(水) 1485, 24歳の日記ー3 3月31日 1970年
昨日、最終的に実家の会社の一員になることが決定した。恐らく三年後あたりが目途であろう。 それまでに、自分の力をつけなくてはならないのだ。もう許されないのだ、いい加減な姿勢は。 息苦しい感じがしたが、それでもハッキリとしたものが見えてきた。 これからは、衣料店だけでなく他の事業も考えなくてはなるまい。もう、サイは投げられたのだ。 これから大事なことは、「自分を自分の相談相手にすることだ」この時期は二度とない大事な時期である。 足元を見つめなおして一つずつこなしていかなくてはなるまい。 ー私の現在思っている言葉の定義を、そのまま書いてみようー ・「贅沢」とは、他人の目を意識をして、そのために意識や金や物を使うことなのか。 ・「生きがい」とは、自分の価値を明確にして、その追求をするプロセスの一瞬に感じる満足感 ・「言葉」は大事な要素である。しかし、それは行為にあとに出てくるもの。 その行為は、生きた言葉、生きた人間そのものである。 ・「神」とは、真善美の理想形として人間が創りあげたXである。 ・「真」とは、ものごとの本筋・本質をいう。 ・「決断」とは何だろうか?その裏づけになる理論と、その後の行為が肉付けされて達成に至るものだ。 ・「善」とは、道徳のいや、価値の側面である。 道徳は社会の中の規範であるが、その社会の規範は過去のものでしかない。 ・「誠」とは、裏切りを知りながらそれを乗りこえて生きることである。 ・「美」とは、美を感じる心が無くては。美を感じる心とは、対象のバランスを 自分の中のバランスとして受け入れる感受性である。それは、真善においても同じだろう。 ・「克己」とは、自分の壁を乗り越えること。人に勝つ前に、自分に勝たなくては! ・「価値」について、それぞれの社会の固定化された欲求? それとも目標? 外部に価値を見出すべきではない。そうなった時は自分に迷いのあるときである。 ・「力」とは何か、人間がただ頼れる一つのエネルギー? 今の自分は自分自身を信じて自分の足で立つことだ! 見えない未来に向かって。 おやすみ! ー2005年4月27日5時半ー 記 よくぞまあ、35年前にこんな難しい?ことを書いたものだ。 難しいことというより自分の頭の中の言葉を引っ張り出して曝しているのが有効である。 深くは考えないで、その時に気ままに日記に書いたものだが、言葉の重要性に気づいたのだろう。 この一年で、情報と言葉の「切断」の重要性にも気づいた。 カレーライスをつくるのにそれぞれ素材を目的に合わせて切断する。 情報や言葉も同じであることに。この一年ほど、自分の一生にとって有意義な年はなかった。 一見、無駄に見えたが基礎の再構築だったようだ。常に社会と一線を引くスタンスが、この一年で身に付いた。 姉夫婦が、小さな城下町の価値観の世界を全世界と信じて疑ってない姿を身近で観察できたこともある。 内海にいる魚は海そのものがどういうものか知ることがない。陸に上がって海そのものを見ることができない。 まして、自分が内海にいることも知らない。 人間全てにいえることだが。 ・・・・・・・・ 2004年04月27日(火) 1120, 「ライフ・レッスン」ー7 ー時間のレッスンー
・時間のなかで、すべてのものは変化する。内面も変わり、外面も変わる。 外観も、内的自己も変化している。人生はたえず変化をつづけているが、ふつう、変化を好まない。 それに抵抗しようとする。そうこうしているうちに、周囲の世界のほうが変わってしまう。 変化の速度は、かならずしもわたしたちの内的速度と一致しているわけではない。 たいがいは早すぎるか遅すぎるか、である。変化とは慣れ親しんだ状況に別れをつげて、不慣れな状況に直面すること。 あたらしい状況そのものでなく、そこにいたる間の時間に不安を感じることもある。 「一つのドアが閉まっても、別のドアが必ず開いている。・・・ でも、それぞれドアにつうじる廊下にいるときが、いちばんつらい」変化はたいがい、 ドアがバタンと閉まってしまった場合始まる。先が見えなくなり、人は不安な時間を過ごす。 この時期はつらいものだ。もうだめだと思った時、何か新しいことが始まり、 ドアが開く。変化に抵抗しようという人間は、自分の人生そのものに抵抗して いることになる。必要なことは変化に乗じること、少なくとも変化を受け入れることである。 (以下、字数の関係で中略2009年4月27日)
ー感想ー 「時間がすべてを解決をする」ということを長く生きてきた人は 誰でも実感することである。だいたい深い傷でも3年が目安である。 ただし、深いところで自分で手当てをしておかなくては後々まで引きずるが。 振り返ってみる時、時間と供に自分も変わっていくので、客観的にその変化をみることができる。 時間が経つと同時に、何が大事で何が大事でないかもみえてくる。冷静に屋上の上から見ている自分が 「魂」である。その時々に思い悩み、笑い楽しんでいる感情が「心」といってよい。 時間と供に魂の目を、その時間に伴って上方に上げてくれる。 ただ今日、今という時間に意識を集中しなくては魂は上方には上れない。 一期一会とは、すべてにいえることである。
・・・・・・・ 2003年04月27日(日) 753, 孤独について考えてみた
自分の強みは何だろうと考えてみた。「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。 若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、8人兄姉の末っ子だったこともある。 一人でいつも遊んでいたという。創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。 孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。 青年期はそれほど強くはなかった。実際は空元気であった。 「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分の中の内在化された他者の声である。 それが多くの人の心を責めさいなまし、安らかな心を破壊してしまう・・・」とある本に書いてあったが、 私の場合そのような内在化された他者の声は全くない。独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地が なかったのだろう。それと行蔵が整理?されていたこともある。幼児期に両親や姉兄に愛情をそそがれた事が大きい。 日本というのは孤独を白眼視する、同調的で画一的、群れや集団に属さないことを 忌避する、個人が自立できない幼稚な社会である。これは仏教と島国が長年の間に影響してきたのだろう。 現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、他人に従順になりすぎる大多数の人には、 逆に「人から嫌われる強さ」が必要である。群れていれば安心している輩があまりにも多い、まあ如何でもよいことだが! 孤独をきっちり確立した上で、寂しさを紛らわしたくなったら、そういう場に行けばよい。独身時期はきっちりと その組み立てをしていた。居酒屋に行けばいくらでも、癒してくれる店主やママや飲み仲間がいた。 本当に孤独に対して訓練されてない人が多い。そういう人が仲間になって群れてしまうから更に悪い。 今回の青年会議所仲間同士の殺人事件など、そこがバカや低脳児の集まりの場で しかないことの証明でもある。本人たちは全く気がついてないのが哀れである。 仕事の手段として群れているつもりだろうが、手段が目的にすりかわってしまうのだ。 手段の遊びが、目的になってしまうのだ。 過去を考えると他人事ではないが!??
ー孤独を失った時の損失を考えてみると ・独創性や創造性であり ・夢や目標や目的の喪失であり ・自我の確立であり、また自己の心の成長であり ・自分らしさや個性、独自性、心の自由、行動の自由、趣味の自由などである 群れや際限なき仲良しゴッコはそれを補ってあまりあるものなのか疑問である。 たえず友達や仲間といっしょにいる人は、群れの奴隷となり、自分を失っている。 私の嫌う子狐があちこちで群れているが、「和して同ぜず」ではなく、 「同じて和す」ということか。その「同じる」が恐ろしいのだ。 「個性個性、孤独孤独といって石のカタチの違いこそ大事だといっても、 所詮は砂利は砂利でしかないのに、解ったことをぬかすな!」という心の奥の声がする。
・・・・・・ 2002年04月27日(土) 389, どういう時代に?
今年来年はどういう年になるだろうか? ・今年はブロードバンド時代の新しい形が、製品や社会現象で新しい形で出てくる年である。ー孫正義 携帯TV電話、液晶TV、BSハイビジョンTVなどの普及 ・何を発信できるか、するかの時代になってきている。ー堺屋太一 ホームページは発信の窓か ・嵐の年、そして来年もビッグバンを間接原因にした倒産の嵐、 失業の増大 身近に失業者や倒産廃業が増えてくるデフレの進行 ・テロの続出と社会不安の増大 新たな戦争?イラク、北朝鮮 ・身近に具体的に危ない事件の続出 ・思いもよらない大事件が生じるー社会的にも政治的にもますます殺伐とした時代に なっていくことは間違いはないだろう。しかし面白いことも事実である。 20世紀的のものの崩壊と、21世紀的の出現が同時に見れるのだから。 時代の変わり目である。こういう時こそ、戦略の練り直しが必要だ。 一人で考え抜かなくては生きていけない時代だ。
|
|
|