2009年04月24日(金)
「ナチが愛した二重スパイ」 ベン マッキンタイアー著
新幹線通勤の往き帰りの車中で一ヶ月かけて読んだが、これが何とも面白い。 第二次大戦末期、ロンドン暗黒街のチャップマンは、ナチのスパイとなる。 しかし「二重スパイ」として、ベルリンに偽情報を送っていた実録もの。 ロンドンの当時の札付きの泥棒、ジゴロの生々しい犯罪と、監獄暮らしなどが詳細に書かれている。 現在の犯罪者も似たようなものだろうから、我われ小市民とは全く異質の存在である。 肯定的にみれば「何もしないで一生終わるより、よほど思いのまま生きることも必要では? とさえ思わせるほどである。 札付きの犯罪者がその経験を生かして二重スパイになって 国家のために大きな働きをすることになるから、皮肉といえば皮肉である。 pー234に著者は、二重スパイのチャップマンを次のように分析している。 【 二重スパイのチャップマンの話は、地味なスパイの話とは違う。スパイ小説なら、あり得ないこととして 拒否される内容である。主人公は悪党であるが、悪党としては決して敗残者ではない。彼の犯罪歴は、 軍隊脱走から猥褻行為へ、女から脅迫へ、強盗から金庫爆破へと段階的に進んだ。 あとになると彼の報酬は多くなり、最初はつまらぬことに手を染めたのを恥じているのは疑いない。 この男の本質は己惚れで、自ら評価するところでは大物で、暗黒街のプリンスのような存在である。 良心の咎めとは無縁で、どんなことでもやりかねない。社会とはなんの契約もせず、金はひとつの手段である。 怖いもの知らずで、間違いなくドイツ人に対する根深い憎しみを抱いている。 ひとことで言えば、冒険はチャップマンにとって必要不可欠なものである。 いったん冒険に乗り出すと、信じられないようなことを達成する勇気を持っている。 今日は、彼はドイツのパラシュート・スパイであるが、明日、活動的な二重スパイとして 危険極まりない任務を引き受けるであろう。それに賭けるのは自分の命である。 冒険が無ければ、彼は犯行者になるであろう。危険は大きいが、成功する見込みがある限り、 危険は犯されねばならないと思う。チャックマンにとって確かなことは、たった一つしかない。 冒険が大きいほど、成功する確率も大きくなる。】 犯罪者の生態、そしてスパイ機関の実態、そして世界大戦の中の生活ぶりなどが、 リアルに目に浮かんでくるのは、事実を克明に書いてあるからである。 また、その世界にドップリと漬かることで、現在の世界、日本、そして自分の人生の立ち位置が 浮かび上がってくる。(チベット旅行記もそうだったが・・・) 世界は底知れぬ経験で満ちている。 ・・・・・・・・・ 2577, フロー体験 ?2 2008年04月24日(木) オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(≧∀≦)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!! まずは、要点を書き写してみる。 〜〜 我々が幸福であるかどうかは、世界の大きな力に加えることのできる統制によるのではなく内側の調和による。 肉体的生存が外部環境に依存している以上、外部環境を支配する方法を学び続けることは確かに必要である。 しかし、外部環境を支配するとは、すでに経験して解るように、我々が個人としていかに喜びを感じるか、 または世界めカオスをどのように減少させるかに関しては、それほど役に立たない。 カオスを減少させるためには、意識そのものを支配すること学ばなければならない。 ーフロー体験の構成要素が存在すると、 次の8つを挙げている。 1. 明確な目的(予想と法則が認識できる) 2. 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ) 3. 自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。 4. 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更 5. 直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される) 6. 能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない) 7. 状況や活動を自分で制御している感覚。 8. 活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。 フロー体験は外面的報酬とは隔離され、ひとつの活動に深く没入し、その経験それ自体が楽しいので、 純粋にそれをするために多くの時間や労力を費やすことができる状態をいう。 したがってフロー体験は、悲しい、辛い、煩わしい、妬ましい、腹が立つ、焦るといったネガティブな 感情とは隔絶した、うれしい、楽しい、歓喜に満ちた十全感、充足感、楽観、自己効力感をもたらしてくれる。 ーー 最近、ipodを常に携帯して機会があるごとに聴いているが、 それはマシン+音楽でフロー状態を作っていることになる。特にアルファー波が出るのがよい。 マリファナを吸ったときに出る脳波と同じ状態になる音楽だけを集めたシリーズもある。 スナックや居酒屋のバックグランドミュージックとして流しておけば、再び来たくなる効果が出るだろう。 成功者は、フロー体験を人一倍持っている。 だから、人を引きつける。 失敗者は、その逆の波が身についている。だから人は近づかなくなる。逆境のときは、あまり人と接しないことだ。 この毎日書いている随想日記もフロー体験の構成要素をみると、当てはまる。居間のコタツの上で書いているが、 目がパソコンに向かった瞬間、他の情報はホボ遮断する。フローの状態そのものであ (。´_`)ノ ほなぁ。 ・・・・・・・・・・ 2007年04月24日(火) 2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた? (。・8・。)ノ おはよう! *一昨日の朝方の夢* 10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢だった。 晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。 不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、 「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、また、 一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」と諭すように答えた。 そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。 さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」のようだ。 そこで目が覚めた。 普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議な感覚であった。 ‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、 ‘宇宙的自己としての母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’ ようであった。現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。 「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。 誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか? 自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。夢も考えてみたら不思議である。 犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。 以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。 モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。 そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白いものである。 モーニング・ページの大きなコーナーになっている。 内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。 夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。それも身近な母や父などの夢は、特に! ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう? 母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン? あのイメージは、家筋としての記録である。家系としての筋道? 胡散臭いが! ホンジャ (~▽~*)/ ---------------- 2006年04月24日(月) 1847, 安楽死について?2 (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
昨日の随想日記の過去分(2002年4月23日)に、安楽死について書いてあった。(あとでコピー) 数日前の毎日新聞のー記者の目 ーで安楽死について取り上げていたが、鋭い論評であった。 私は積極的安楽死論であるが、この記者も安楽論のようだ。 両親や親戚の叔母などの死際を身近に見ていて実感したことは、 激痛を伴う終末の延命は無意味であり、カタチを変えた拷問の容認である。 ーまずは、毎日新聞からー 「射水市民病院の呼吸器外し問題」=根本毅(大阪科学環境部) ◇「医師が命の線引き」、嫌だ ー延命治療、議論を尽くせ 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で末期患者7人が人工呼吸器を外され死亡した。 病院側や多くの医療関係者の意見は「越えてはならない一線を越えた」と、6件の関与を認めた外科部長(50) 自宅待機中=に厳しかった。しかし、病院周辺では「家族との信頼関係の中で外した」とする外科部長に同情する声が強い。 どちらが正しいのか、現地で取材しながら悩んだが、偶然あたった主治医の死生観で 自分の死に方が決まるとしたら、納得できない。外科部長の取った行動は誤りだったと思う。 医療技術が進み、意識の戻る見込みがない重体に陥っても、人工呼吸器や栄養・水分補給の点滴などで延命が可能になった。 今回、呼吸器を外された7人は末期患者で、うち5人はがんを病んでいた。 問題は昨年10月、別の患者の呼吸器が外されようとしているのを、看護師長が院長に報告し発覚。 院長は外科部長と話し合い、県警に届けた。病院側は日本医師会が04年にまとめた 「医師の職業倫理指針」に基づき、延命治療の中止に必要な要件の (1)回復の見込みがないという複数の医師の確認 (2)本人の意思表示??がなく、問題だとしている。 病院の別の医師は「外科部長は呼吸器のスイッチを切る時に手が震えなかったのだろうか。 命の重さを考えたら、私にはできない」と話す。 別の病院の外科医は「消極的安楽死という言い方もあるが、スイッチを切るのは積極的行為。 やはり一線を越えている」とする。大阪府内の脳神経外科医は「20年前までは医師の都合で平気でやっていた。 (字数の関係でカット09年4月24日) ヾ(^ω^*) バイ ・・・・・・ 2005年04月24日(日) 1482, ラジウム岩盤浴ー2
スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。新潟市内にも、先日郊外に開店をした。 数年前に流行したアカスリブームや、足マッサージに似ており、一時的ブームも可能性も充分考えられる。 三〜四年が目安であろう?料金は一回600円?1500円。 天然ミネラル風呂と併設されているところもある。 女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。最近は男性も利用者が増えつつあるという。 取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、 開店直前に失火で全焼してしまった。現在、違う場所で開店準備に入っているという。 失火した店を、その数日後に社長と見てきたが、見るも無残であった。 その時にラジウム石?を一部譲ってもらって風呂に入れたり、枕の下に入れている。 特に風呂に拳大の大きさの石を入れたが、身体に保温効果が出ている。 風呂のタイルに付いていたカビや水垢も不思議なことに自然と消えていた。 また、この素材でできているカップでコーヒーを飲むと一段と美味しい。 また酒やワインも、この小石を入れて飲むと味が一段と美味しくなる。 最近はラジウム石のブレスレッドや、ネックレスも身に着けている。 パソコンに集中しているためか目が異常に疲れるが、その疲れが減っている。 ーあるHPのこぴーです。 ルルドの泉って何? フランスのスペイン国境近く、ピレネー山脈の麓にルルドという村があります。 1858年2月11日、この村に生まれたベルナデッタ・スビルーという13歳になる娘が、 たきぎにする流木を拾い集めている時、彼女の前にマリア様が姿を現しました。 それから7月16日まで18回にわたってマリア様は彼女の前に姿を現しました。 2月25日の9回目に、マリア様がお告げになられた場所から湧き出た泉が、 後に数多くの病人を奇跡的に治したと言われる”ルルドの泉”です。 1879年4月16日、35歳という若さで昇天された聖ベルナデッタは、現在ヌヴェ?ルの 聖ギルダード修道院の聖堂に安置されています。昇天されてから120年以上経った現在も、 そのお姿は腐敗しておらず、”もうひとつの奇跡”がここにあります。 この村にある泉の水を飲んだり、身体に接触させると、近代医学では不治の病と考えられている病気や 身体の不調・障害が急速に回復していくという実例があります。ローマ法王庁からは奇跡と認定されています。 後の研究の結果、泉の中には、実は驚くほどの多量のゲルマニウムが含まれていることがわかりました。 現在この奇跡の泉には年間300万人を超える病人が世界中から訪れています。 また東洋でも評判の良い漢方植物にゲルマニウムの含有が知られています。 ルルドの泉の奇跡が全てゲルマニウムで説明がつくわけではありませんが、現在医学界ではゲルマニウム( 元素番号32)は予防医学の切り札として、大変な脚光を浴びています。
・・・・・・・ 2004年04月24日(土) 1117, 「ライフ・レッスン」ー6 ー罪悪感のレッスン
・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまったという意識である。 それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。 多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に受けた教育によって形成されるものだ。 それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。 不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは他者の親愛の情を得るために 自己を売るべく育てられてきた。自己のためのアイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に 専念するのがいい子であると教えられてきた。真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。 われわれは自己の幸福実現のために自己の欲求を満たす方法を知らないままに育ったのだ。 適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。 ・罪悪感は時間とも密接に結びついている。罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。 罪悪感とは、現在というリアリティを見ないようにするための方法なのだ。 それは過去にまでひきずっていく。過去の罪が未来の罪をつくりだす。 罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来創造ができる。 人は罪に値するものではなく、許しに値するものである。 そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。 ーー 笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。ーあぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。 それをとがめらると「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。 良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。 自分も両親ー良心ーの片割れだ。
・・・・・・・ 2003年04月24日(木) 750, ある人生
先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。 2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋の蕎麦屋に勤めにいった。といっても出前持ちである。 一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を持ちたいといっていた。 大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、店を出せるタイプでない典型の人と思っていた。 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を閉鎖をしたと聞いて驚いた。 涙がドッと出てとまらなかった。大小にかかわらず創業がいかに大変かを身にしみてわかっているから、 彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、あの大人しい彼が開店から閉鎖まで 自分一人でやったという。彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。 若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わっていた。 そして自分のやってきたことに自信を持っていた。 この自信こそ人生で一番大事なことだ。 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。 20数年かけて一心に働き、店の営業を含め合計30年以上のワンクルーを一心にやりとげたのだ。 隣で、その兄が「凄いことだ!」といっていたが、それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。 「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」というストーリーかもしれないが、 彼の純粋な大人しい性格を知ればこそ感動したのだ。それも独身で! 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,どんな成功者より凄い。 少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。 人生の何たるものかをこの人に教えてもらったようだ。私の尊敬する人が一人親戚にできた。 今は柏崎の実家で母親と住んで、掃除会社に勤めているといっていた。この経済の暴風の中やる気をもらった。
・・・・・・・・ 2002年04月24日(水) 386, 宗教的タカリ
オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。 宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。その一つが現在の仏教界の集り体質である。 葬式仏教の陥っている偽善体質である。数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。 彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。 仏を盾に集っているのだ。 彼等の法事等の話など聞けたものでない。 こちらの知識の数段下レベルである。 プロの素人化の典型といってよい。 戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。 彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、豪奢な生活が問題である。 幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、もっとその共通点を洗い出し、 白日にさらけ出さなくてはならない。信じさせて金を騙し取るという点で、詐欺師のテクニックとほぼ同じである。 特に結婚詐欺に似ている。 夢を売って金を騙す、お布施と称して。
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