2009年04月12日(日)
* 昨日は法事 去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。 その叔父と連れ合い、そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。 「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。これから法事は少なくなる傾向のようだ。 「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、ごく内々で済ますようになった。 坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。 * 国債>税収 09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。 目を疑ったが、事実である。 もちろん戦後60数年で初めてで、異常事態である。 国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。 世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。 しかし、その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。 あらゆるところから、綻びが現れてきている。 * 宮城県が2011年にも財政破綻 これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。 宮城県だけでなく、多くの県が同じような窮状にあるという。 一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。 一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。 マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。 * 桜が満開に 新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。 不景気になって今年は、それが顕著に現れたようだ。 近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。 地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・
・・・・・・・・ 2565, ドル覇権の崩壊 ?2 2008年04月12日(土) (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ この本で面白いと思ったところといえば、 ・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、 ・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。 ・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、 「金を中心にして、その他の鉱物資源、石油、天然ガスなどのエネルギー、農産物等の実物資産を まとめてバスケットの中に入れて、それを評価、信用の基礎とする通貨体制のこと。 コモデティとは基本物質という意味であり、貴金属と鉱物資源を中心とする戦略的な物質の全てである。 現在のドル決済、ユーロ決済、更には円決済は、それぞれ為替相場の変動が実物経済に及ぼす影響が 無視出来ない程、大きくなってきていることから研究されているものである。 現在の通貨体制をゴルフのハンディに例えると、お互いに相手国のハンディが多すぎる、自分(自国)の方に もっとハンディをくれないとゴルフ(国際貿易)に参加できないといっているようなものである。 そのため毎日日々刻とハンディ(外国為替相場)をお互いにそのつど替えてゴルフ(国際貿易)を行っている。 コモデティ・バスケット通貨体制は、 金本位制度、 為替の固定相場制、 為替の変動相場制 に続く 新しい第4の通貨・貿易の決済体制とされ、将来の通貨体制の混乱を防ぐには、これ以上の方策は今のところ 見当たらないといわれている。 ただ、あくまで理論上のものであり、更に研究しなければならない点も多く、 実際に導入されるにしても、相当の紆余曲するだろう」 ー以上だが、 米国は国家単位で贅沢な生活を続け、その結果として 巨額の貿易・財政赤字を垂れ流している。 ところが自国が基軸通貨なので、輪転機を動かしドルを刷れば自己決済が出来る。、 これではドルはいずれ暴落すること必定、早く他の通貨か物に避難すべし!ということになる。 サブプライムローン問題は、アメリカのドル・石油交換体制の崩壊を決定付けた。 その大混乱が、これから何年にわたって始まるのである。その一番の被害は資源のない日本であるのは 誰の目にも明らかである。 本当の本格的プアー社会は、これから本番になる! 格差社会というが、それは違う、中間層がプアーになっていくのである。 上層とかいうのも、激減していくだけ。 大変なのは団塊世代の後の人たちである。 プアーといっても、1950年?60年代の生活レベルに近づくだけ。 社会資源は残っているから、それよりましか? .:+:.::.:+:(,, ・∀・)ノ バイ ・・・・・・・・・ 2007年04月12日(木) 2200, 反時代的毒虫 ?1
才八∋ウ_〆(∀`●) ー読書日記 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてー の部分の中の一節に目が吸い寄せられた。
*カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。 ところが、その使者は何時になってもこない。使者はその男が死んだあと、到着するのである。 私は自分をその使者を待つ男と同じでいいと思うていた。 ところが47歳の時、新潮社から『シオ壷の匙』という本を上板していただくと、 突然、私は白洲正子さま、吉本隆明氏、江藤淳氏の絶賛を浴びて、世に認められた。 皇帝の使者がきたのである。驚いた。「駄目な男」であることになれきっていた 私には、青天の霹靂である。あれから12年経ったいまでもまだ「変な気分」である。 ーー そして中には、江藤淳、水上勉、白洲正子との対談が載っていて、対等に対談しているのである。 本屋で彼の名前は見たことがある程度だったが、借りてきて読んでみたが、なかなか面白い。 文学の授業を受けているような気持ちにさせられる内容である。 ー表紙裏よりー 私小説における虚点とは何か。命の通った言葉、通わない言葉とは何か。いかに女を描くか。 創作と金をめぐる関係とは。 小説とは、虚実皮膜の間に漾う人が人である謎を書くことである。 異形の作家が私小説の真髄を語り尽くす。 ー1998年から2004年までの間の車谷長吉が行った対談や、妻・高橋順子との句会が掲載されている。 対談相手は、江藤淳、白洲正子、水上勉、中村うさぎ、河野多惠子・奥本大三郎である。 小説やエッセイの毒虫的な車谷からすれば、たやすく想像されることではあるが、 人と語る車谷は誠実で、言葉を選んで、理性的で、少年のようである。 ーまずは江藤淳との対談ー 『私小説に骨を埋める』から 江藤淳との対談は、それぞれの言葉が相手の言葉を引き出す、非常に内容の濃い対談になっている。 車谷の言葉が非常に豊かに引き出されてくるのがわかる。 ーP16 車谷「私には私小説というよりも、まず物語を書くという気持ちがありました。 その物語の「物」とは「物狂い」「物の怪」「物心がつく」の「物」だ、という意識があります。 物を語るというのではなくて、物が語る。書き手である私に「物」がくっついて、 私の口、 あるいは手を借りて、「物」がある物語を私に書かせる。 初めて小説を書いた頃からずっとそう考えているんです。江藤「物が書かせるということですね。 車谷「はい。人間は2,3歳になると物心がつきますね。 その物心の『物』とは何だろうと、ずっと考えていたんです。 …夜にアパートで一人でいると、何ともいえず生きていることが恐ろしくなって きましてね。・・この恐ろしさが『物心がつく』の『物』ではないかと 気づいたんです。『夏目漱石』で江藤さんがお使いになる言葉でいえば、 (以下、字数の関係でカット2,008年04月12日) ーーー 私の親戚にも何人か数奇な人生を生きてきた人がいる。 差し支えがあるので書けないが、書いたら面白い小説になる! どの世界にも「事実は小説より奇なり」の話は転がっている。 (℃゛)/ また、明日! ーーーーーーー 2006年04月12日(水) 1835, 善意について \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
善意については、色いろ考えさせれることが多い。 最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。 善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、一つとっても互いの善悪は全く違う。 善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。 環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。 現在の自民党の族議員、ゼネコン、官僚の構造的汚職など典型的なものである。 善意は、善意でよいが! 善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。 日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。 「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、 「連帯保証に、善意で判を押してしまった」という話だ。その善意が狙われるのだ。 善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナ(仮面)の一部ぐらいに 割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。 善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。 (ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。) ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。 これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、すこしづれるが・・。
ーー 2004/02/06 1038, 「わたしは悪い不動産屋」?2
以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた 私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。 この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、 実際はそうではない。真面目な不動産屋が大部分である。 しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。 その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。 80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が含まれていると考えた方がよい。 完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。(実際は5?が、95?の悪さをするのだろうが) 面白い善意の不動産屋がいる。自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、 不動産屋の習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。それが彼の仕事である。 ところが無意識で親しい人間の瑕疵を見つけ、他人に瑕疵を営業代わりに、内幕情報屋をしている。 しかし、そのことを自分で自覚してない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。 悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。 不動産業の業というよりも、誰もが持っている人間の業であるが。 人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。人間論になってしまった。まあ他人事でない。 違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。 生きるということは、こういうことなのだろう。 純粋性の恐ろしさがある。 不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。 その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。不動産取引は情報の売り買いである。 長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。 少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。そして無くてはならないビジネスである。 不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。 野球のバッターに例えると ・バント専門 ・ヒットバッター ・ホームランバッター ・代打専門と、それぞれの特性がある。 ・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う ・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする ・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋 ・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて 得点を得るために三割?半額をもらうことを裏契約をして共同作戦をする人 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。 トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り買いしているハイエナ的な仕事である。 饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。 ー つづく ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・・ 2005年04月12日(火) 1470, 書く(一人、語る)ということ?2
このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。 今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、それでお終い。 殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。 知識・教養とはそれでもよいが、やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。 いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。 反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、 自分のノートや備忘録に落とし込むのとはおのずから違ってくる。 まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。 自分の気持を書き込む時には、自分の中の第三者の目ー理性ーで、 一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。 1年、3年、10年経った時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。 しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、 第三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。 いま一つ良かったことは何か感じたリ驚いたりした時に、それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。 いつの間にか、書くように頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。 また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。これも結果として大きな収穫であった。 更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。 相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。インプットも、アウトプットも、 無意識に整理しながら聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。 つづく ・・・・・・・・ 2004年04月12日(月) 1105, 「ありがとう」戦略ー2
・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象のお陰という気づきは、 チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。 ・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。 ・言葉の原則がある。 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。 注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。 ・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。 ー「明元素言葉」は 「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」 「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、積極的で、肯定的で、状況を陽転していく エネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。 ー「暗病反言葉」は 「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」 「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」これらは「現状維持言葉」という。 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。 ーつづく ・・・・・・ 2003年04月12日(土) 738, NTTの現状から時代の変化をみる
先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。 NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。 一般回線からの収入は数年後には、減っているなか更に激減するという。 今後の収入源が光ファイバーと、ADSLの収入しかなくなるという。 それも他業種の参入で競争が厳しいという。 固定費が本来高いので競争に不利である。今の時代の象徴そのものだ。 あの電信柱と電話回線という数兆の資産が、たんなるゴミになってしまうのだ。 他人事ではない!観光白書によると一昨年だけで、ビジネス客が一年間で6割も減っているのだ。 昨年は更に減少傾向にあったから、三分の一になっている。 ある日突然、ある価値が全くの無価値になるのが、今の時代である。 東京の中央部の中型・小型の貸しビルが、最近目立ち始めた超高層ビルに 取って代っているという。NHKスペシャルでやっていたが、 出揃う4年後の2007年に大問題になるという。 立地がよいという理由だけでは存在価値が無くなるのだ。 この情報化革命という奴は、想像をはるかに超えて世界を根底から変えている! ・・・・・・・ 2002年04月12日(金) 374, 主観と客観(喜劇と悲劇)
以前も書いた事があるが? 「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。 たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」 後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。 前者はその滑った本人の目で書いている、これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。 あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。 何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。 「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。 「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。 「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。 特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。 それだけ自立していないのと、多神教のせいもある。 逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か? あまり他人を笑わないほうがいい!その他人に対する同化になってる状態だ。 考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。
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