2009年03月26日(木)
榊原英資vs岩井克人の対談「金を使うなら頭を使え! 」 ー新潮45ー09年2月号 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと論じている。 既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。それだけ深刻ということになる。 一つAIGだけをとっても潰すことができない。潰せば残っているゴールドマンサックスなども 倒産してしまうからである。といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入せざるを得なくなる。 ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家デフォルトしかないことになる。 ーまずは要点を抜粋してみるー 榊原は、 ・まず「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)で、 アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。 ・アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、それが壊滅した現在、 国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。 ・金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>不良債権の増加ー>金融危機の拡大 というスパイラルに入ってしまう可能性が大としている。 ・そろそろ日本は「買うシステム」を整理する時期に来ている。 円高を志向して強い円は悲観すべきでないという考えにならなければならない。 岩井は、 ・1930年代の大恐慌と違うのは、ー各国の政府と中央政銀行が巨額な支援を行っていることと ー各国中央銀行同士が国際協調を行っていることである。 半面に、グローバル化のために、そのスピードが速くて各国が対応の遅れが出る可能性があることである。 最無担保商品に対する保険の債権=CDSを持っているのが97パーセントが金融機関で、互いにリスクを持ち合っていた。 それは落語の「花見酒」の世界で、宴たけなわで、いきなり去年の9月にリーマンが倒産。それにより、リスクが 補償されていたはずの債権が突如にリスクが跳ね上がり、その価値が無くなってしまった。 それが60兆ドル=6000兆円というから、世界のGDPのほぼ同じになってしまった。 ・80年前の大恐慌と違うのは、もう一つ、社会主義の崩壊である。その時は社会主義に夢を託した。 その結果、国家社会主義とかいう妙な思想が台頭してしまった。ナチ、ファシズム、軍国主義となって 第二次世界大戦へとつながっていった。今回の危機では社会主義は選択肢にはならないというコンセンサスがある。 ベルリンの壁と、ソ連邦の解体で、自由の抑圧が我われに何をもたらしたかを、多くの人は共通認識にしてしまった。 人は自由を知ってしまったわけだから、もう資本主義しかない。いかにボロでも、継をあてて守っていかなければいかない。 資本主義は、自由の必然的な代償として、本質的な不安定を抱え込んでしまう。 理想状態などありえずに、常にセカンドべストを目指すしかない。 ーー 以上だが、 アメリカは「公共財ー橋や道路」が多く痛んでおり、内部投資をする余地がある。 しかし日本はもう充分すぎる位に 公共投資に投入、財政破綻の状態で無理。 その点では、中国もアメリカも早期の回復の可能性がある。 これからは地方であり、それは第一次産業に入れると同義ということである。 特に農業に対して衰退産業というレッテルを外すべきというのは、納得できる。
・・・・・・・・・ 2548, 一神教vs多神教 ー2 2008年03月26日(水) (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って見えるような気がするから不思議。 この本は、一神教の批判本であり、多神教については、あまり語られてはいない。 そもそも、一神教は奴隷の宗教、迫害された人々の宗教である。 だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。 「なぜ多神教は一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。 ーまずは、その部分からー 多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられているから、 それが一神教を打破することはない。戦わないということはないが、自分の範囲以上には自分の神々を 広めようとしないから、限度がある。逆に一神教同士だと、両方が普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。 共産主義も一神教です。 ユダヤ教かキリスト教の改訂版です。 一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が出来てよいはずですが、発生しませんでした。 ということは、一神教は、自らの普遍性を主張しますが、本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、 中近東の風土病ですね。一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、 絶対にこうでなくてはならないと信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああでも、いいと思っている奴と 喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。 その結果、一神教が世界を植民地化していったのである。 ーー 一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということです。 世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。 ーー 一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が 形成され、その強い自我が人類に最大の災厄をもたらしているということです。 自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、 その場合の最大の難関は、その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうということです。 つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況におかれているということなんです。 人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、クロマニョン人の世の中になってしまったという時点で、 もう間違ってしまったじゃないか。クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。 それ以前に、地球に人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。 人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。 ーー 好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という表現は言いえて妙。 一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。人類は癌というのは聞いてはいたが。 また明治政府以降の天皇制について、擬似一神教と看破しているところは頷けた。その辺は、次回に考えてみる。
・・・・・・・・ 2007年03月26日(月) 2183, --つれづれなるままに-- (~Q~;) おはよう??ファ? 閑話小題
ー大相撲についてー 大相撲は、初日と千秋楽が特に面白い!と随想日記で何度も書いてきた。 十両以下の優勝決定戦が千秋楽にあるのも楽しみの一つである。 今場所は白鵬が優勝をしたが、朝青龍との決勝決定戦で立ちあいで、飛んで叩いて勝ったためか、 後味の良くない終わり方をした。この数年は朝青龍時代である。白鵬が横綱になって「両横綱」という存在が あってこそ面白くなる。相撲の日本での成り立ちは、神社への奉納のための力自慢の演芸?である。 朝鮮系ーモンゴル相撲が原点の可能性があるから、神社は朝鮮系であるから、原点回帰になってきた。 ー春がきたー この時期は多くのスポーツが重なる時期で、何ともいえない熱気がある。 プロ野球のオープン戦と開幕、春の高校野球甲子園、大相撲の春場所、 世界フィギア・スケート大会、サッカーの公式戦など連日おこなわれている。 これに卒業式、入社式と、進級、進学、そして桜の開花と初々しい光の日々となる。 昨日は庭の梅が一輪咲きだした。鴬は半月前から土手で幼い声で鳴いて梅の咲くのを待っていた。 いつ、庭で声を聴けるのだろうか。 春はやはり一年で一番良い時である。 ー夢ー 数日前の夜半、うなされて呻き声を上げていたと、その翌日聞いた。 大した悩みは無いが、憶えている夢の内容は朝のモーニング・ページに克明に書いている。 そんな深刻な夢はみていないが!月に一度は魘されているという。ところで、昨夜半の夢は、 学生時代にいた寮の部屋にいて、そこに二人の知人が訪ねてきた。当時の知りあいではない。 他の人を訪ねてきたが、いないので私の部屋に上がる・・・という物語の夢がつづく・・・ ー携帯電話ー 日本と外国との携帯電話では、利用目的が決定的に違うという。 外国の携帯電話の目的は、電話というコミ二ケーション手段であり、メールなどはあまり使わないという。 現在、携帯電話では外国製で圧倒されているが、数年もしないうちに日本の携帯電話が世界中を圧倒する 可能性があるという。日本の各社のメーカーの狙いは、「携帯電話の小型パソコン化で、 それとユビキタス(電化製品に組み込まれたコンピュータ化)と、ネットで結ぶこと」という。 携帯電話関連で十八兆円に市場規模があり、そのシステム構築のプロジェクトが多く進んでいるという。 携帯電話を超小型パソコン化するのは日本の得意とするところである。 デジタル化は止まることはないから、日進月歩の進化は続くだろう。 人類20万年らいの大革命の時代!というが、決してオーバーな表現ではないようだ。 ☆~~ヾ・ェ・)oバイバイ! ・・・・・・・ 2006年03月26日(日) 1818, あちら側の世界-1 (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ? ウェブ進化論 ?1 ー読書日記 ー概略編ー 新聞広告をみて面白そうだと思っていたが、買って読んでみてショックであった。 (ウェブの世界の深遠をみてしまった!ということで)私のような門外漢でも理解できる内容がよい。 読んで現在進行しているウェブ世界の奥行きの深さを思い知らされた。 というよりGoogleの世界の奥行きを知らされた思いだ。 私の場合、毎日平均数?回はGoogkeの検索を使っているから、なおのこと理解できたのだろう。 そして、5年間このHPを維持してから。そしてamazonのHPの進化を実感してきたからである。 キーワードが現代のお金で、検索の向こうが現金引き出し機か、何でもでてくる自販機、 という譬えの世界である。ウェブのとてつもない世界が、向こう側で自己飛躍している。 ー資料をGooglの検索で集め、まとめてみた。ほぼ、この本の概要の7?8割は把握できるだろう。 (このプロセスで、この本を2?3回読んだ効果はあったが。本そのものの読み方もキーワードを 検索をしながら読むと、理解が早く深くなる。それより、やはり買って読んだほうがよいが。) ー私の感想文というカタチにしたー ーー (。・・)_且~~ お茶 ウェブの世界の人達からみれば、何ということが無いかもしれないがその利用者として、驚きの毎日を過ごしている 此方側の自分が、著者としての当事者のアチラを含めたウェブの世界を鳥瞰している内容である。 ネットの「あちら側」と「こちら側」というユニークな視点で、Webの進化がもたらす影響を論じている。 (字数の関係でカット2008年03月25日) ー つづく ーーーー 「ウェブ進化論 」?本当の大変化はこれから始まる ちくま新書 ?梅田 望夫 (著) サラバジャ? ゝ(-_- ) ・・・・・・ 2005年03月26日(土) 1453, おどろき、そして感動
「考えるにはどうしたらよいですか?」という純朴な問いかけがある。 この問いかけに対して、いずれの哲学書にも「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。 何でもないことの中にも、新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。 驚きは、そのまま感動につながる。その感動が人生を動かす。仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。 この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。歳を重ねると、多くのことを経験しすぎて驚きが少なくなる。 しかし、歳をとって解ったことは「驚きが桁違いに多くなった」ことである。 知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。 驚くということは、未知・無知の分野に果敢に挑戦して新しい何かに衝撃を覚えるということだ。 それと未知なるが故の不意打ちが驚きになる。 そして、それが考えにつながっていく。 無能の人は、何を見ても聞いても驚かない。驚く素養がないのだ。いや思い込みというバカの壁が取り囲んでいる。 破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。隣の太鼓の音にもよい太鼓は響くが破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。 驚きには、その皮の張りが必要である。世界を旅をすると、驚きに満ちている。そして、その深い世界に感動をする。 こんな世界があったのかと、内面が爆発しそうなほどの感動を数知れず経験する。 そして対象にのめりこんでいく。人間は感情の動物といわれる。たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。 人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。
感情は ・おどろき ・愛 ・憎しみ ・喜び ・悲しみ ・欲求の6つから成り立っている。 他の感情は、この6つの感情の組み合わせでしかない。希望はー>喜び+欲求 ねたみー>愛+悲しみ この感情の中で「おどろき」は一番の根本にある。未知なものに不意に直面した時に、こころは変容する。 その変容の状態そのものが「おどろき」である。 おどろいて呆然と立ちすくむ状態である。おどろきは、最も原始的な感動である。 おどろきは未知なものが現われた時、それを説明できない不思議を自分に知らす。 正も反(喜びに対して悲しみ)の感情も越えた「おどろきの対象」に対して、 説明できる必要性が出てくる。おどろきは未知に対する無知に気づき、知的探求を刺激する。 あるイベントの会場で、BOSEのコンポを聴いた時に思わず立ちすくんでしまった。 聴いたことのないような音響におどろき、何回か足を運んで聴きなおした。 こんな小さなコンポから、こんな音が聞こえてくるのか不思議でたまらなかった。 そこで係り員から説明を聞いた。パンフレットを見て、その原理を知って、知人から情報を得て、 インターネットで検索をして、購入に至った。会場で聴いた音に対する、おどろきと感動が出発点であった。 そして、なぜ、どうして?と、その理由を探していった。昨日も早速、音楽に対する本を二冊買ってきた。 三枝成彰の「音楽の本」と、「CDクラッシクの名盤」である。 一流なものに接して感動と驚きをシャワーのように浴びなくてはならないのだ。 以前にも書いたが、親は子供に感動とおどろきをシャワーのように与えなくてはならない。 躾と、最高のものを知らしめることが家庭教育の基本である。おどろきを得るためには、3C-チェンジ、 チャレンジ、コンペティションがキーワードになる。挑戦しろ、変化しろ、そして戦えである。
・・・・・・・・ 2004年03月26日(金) 1088, 商売人
「商才は西進する」とシルクロードの旅行で聞いたことがあった。ところが、曽野綾子の文章に同じ内容があった。 ・東京商人は大阪商人に比べたら子供 ・大阪商人は中国商人に比べたら赤子 ・中国商人はインパキ(インド・パキスタン)に掛かったら、それ以下 ・そのインパキもレバシリ(レバノン・シリア)に掛かったら、問題外という。 もしそうなら、世界一金持ちのはずだが、ここで言う商売人は小商人を言うのだろう。 そのレバシリもユダヤ人に掛かったら、馬鹿なアラブ人でしかないのだ。 ツアーで一番多く現地人と接しる場面といえば、市場などの商売人である。 そして、そこで安物の高値つかみをさせられる。まあ、それが面白いのだが。 商売人といえば、日本でも士農工商というほど一番下に位置づけられていた。 安く買ってきて高く売るのだから、胡散臭さや怪しさがつきまとう。 「男はつらいよ」の寅さんもテキヤという路上商売人である。瞬間芸でお客を騙してお金を稼ぐ仕事である。 第三次産業といえば流通・サービス業である。人の集まるところに、その機能が必要とされる。 初めは、自然発生のハエみたいなものである。しかし、その時代にそったニーズを一番敏感に感じ取るのが彼ら。 現在、日本が変になっているのは、商売人の強かさを失っているいるためだ。これも他人事ではない自戒のことである。
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