堀井On-Line



2504, まっ、いいか!

2008年02月11日(月)

           (。・∀・)ノ゛おっは〜

最近、独りで「まっ、いいか!」と呟くことが多くなっている。
年齢の為だろうと思っていた。そこで検索で「まっ、いいか」と入れたら、
* 「まっ、いいか」と言える子を育てよう
   協調性のある、柔軟な心の育て方    諏訪耕一/著* 
 という本が出てきた。
[要旨]
本書では、子どもに柔軟な心を育てるための心の成長段階に応じた接し方のポイントを、
幼稚園・保育園や家庭での27の事例を通して具体的に紹介します。子どもの理解に必要な、
子どもの心の成長の段階や環境との関わりについてもくわしく説明します。
[目次]
第1章 子どもの「心」の成長と環境(心は育てられる?
;子育ての移り変わり―子どもの育ちをうながす環境;心の成長表
;心の成長に応じた「柔軟な心」を育てる接し方)
;第2章 子どもに「柔軟な心」を育てる具体的な接し方
(乳児期―誕生から十二〜十八カ月ごろまで
;幼児期(前)―十二〜十八カ月ごろから三〜四歳(第一反抗期)ごろまで
;幼児期(後)―三〜四歳ごろから六歳ごろまで
;児童期(前・後)―六歳ごろから十四〜十五歳ごろまで)
 −−
これを読むと決して、マイナスの言葉ではなく、むしろプラスの言葉のようだ。
決して良い状況ではないが、何とかなるさ!という陽気さ、目の前の事態を、
そして運命を受け入るよう諦めと明るさを感じる。
上記をみると、柔軟な心ということになるが、好い加減な言葉にも思える。
好い加減な心」が良いのかどうかわからないが・・・・
 ^^^^^^^
この文章には、大きなドンデンカエシがある。
実は、同じテーマで八ヶ月前に書いていたのである。全く忘れていたが、
何か書いたことがあるような?気がしてHP内の検索を入れたら、次の文章が出てきた。
その文の類似に我ながら驚いている。(あたり前だろう!)
それにしても、なんじゃい!これで同じテーマを忘れて書いてしまったのは、3回目? 
 2500も書けばな〜  まあ、いいか!

ーーー
2007/06/06
2255, まあ、いいか!
            ヽ(★>з<)。o○ オ〜ハヨ 

この随想日記の中に数十回以上?も「まあ、いいか!」といっている。
そこで、検索に「まあ、いいか」と入れたら、
その題名の本が数冊も出版されていた。
自分を慰める言葉で、私の常用語「あ〜あ!」の言葉の裏に含まれている。
「あ、しまった!」の「あ!」とは、仏教語で「許し」が入っているという。
それを延ばしたのが「あ〜あ」か、これは屁理屈である。
「まあ、いいか!」は、「私は私のままで、仕方がないだろう」ということになる。
                     ゜≫q(´I`●) マアマア!
「まあ、いいか!」の前後の言葉として、
「しょうがない」「なんとかなる」「こんなものか」が出てくる。
イライラしたり、落ち込むようなミスをした時、目を瞑って十回ほど心込めて
「まあ、いいか! それがどうした」と唱えれば、7割かたは気持ちが軽くなる。
「あ〜あ」「で、どうした」「まあ、いいか」は、瞬間の癒しのの三言である。
                    ♪〜 ヽ(´π`)ノ まあ、どうでもいいや! 
しかし、ものごとを突き詰めた後に使っている分にはよいが、最初から、
この言葉が先に立つのも問題である。「中途半端な、あの人」になってしまう。
金沢に「まあ、いいや男」というアダナの先輩がいた・・・・
バカ?の常套語にも成りえる言葉でもある。何でも使う人間次第だが、
この言葉は特にそうである。

ーあるHPに、このような詩があったー

*まあ いいか

まったくもー、しょーがないヤツだなぁ
まあ いいか。 俺も どーしよーもないヤツだし

まったくもー、しょーがないヤツだなぁ
とりあえず 俺のほうから謝るよ 傷ついたのは おたがいさまだし

もし君が 俺をまだ許してなくて 謝ったとき 
素っ気ない態度をとっても 俺は一人つぶやくんだろう

「まったくもー、しょーがないヤツだなぁ」
                       ク〜(”>_<)っ★(
 ーー
 他に「まあ、いいか」に対して次ぎの言葉があった。
成長は悩まなくなることではない。成長すればするほど悩みはむしろ深刻化していく。
しかしうまく共存できるようになっていく。光を知れば知るほど闇も深くなっていく。
  しかしどんなに深い闇でも、一筋の光さえあればやっていけることを知るだろう。
                          ( ̄ω ̄;)!!
  ーー
  暗い闇にこそ「まあ、いいか」という一筋の光の言葉が輝くのだろう。
  「ところで、私の人生とは何だったのだろうか?」
  「まあ、いいか! 今さらしょうがないもんな〜! あ〜a!」
                    バイ☆(^∀^)ノ~~
・・・・・・・・・
2007年02月11日(日)
2140, 幸福はキラキラと輝く瞬間
                    才八∋ウ_〆(∀`●)    
 「藤沢周平に学ぶ」月刊『望星』・編         −読書日記ー
       ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』ー

山田洋次監督の映画は「男はつらいよ」の48本と、その他の映画の最近のものは殆ど観ている。
彼が「男はつらいよ」についてのTV特集などで渥美清を語る座談で、多く聞いてきた。
しかし、どういうわけか彼が書いた文章は殆んど読んだことはなかった。

   ところが藤沢周平についての評論を24人集めた「藤沢周平に学ぶ」の冒頭の
   「藤沢作品を映画化して想うー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』」の評論があった。
   彼は幾つか藤沢の映画を撮っているだけあって、心打つ内容である。
   人生で誰もがキラキラ輝いていたのである。そのとき!は。まずは、彼の文章の一節から・・
 
  **幸福とはキラキラと輝く瞬間を持つこと!**

 いまの30歳代くらいまでの若い人の特徴は、子ども時代の体験があまりに
貧しいということではないでしょうか。
 団塊の世代までは、野原や川原で大勢の友達と遊ぶ楽しさを知っています。
汗だらけになって遊び呆けて、日暮れどき、仲間とアバヨと別れ、家路につきながら
「ああ、楽しかった」という、身体の中が熱くなるほどの満足感。そこには兄貴分がいて、
喧嘩もあって、仲直りもあって、子どもとはいえ、小さな世界の秩序があった。
そうした中で、人は自然を学び、社会の分別を学んでいたのです。
 
 生きていくということはなかなかしんどいことですが、やっちゃいけないことは
やらないという態度は良識だし、やらなくてはならないことはやるというのも良識です。
その良識を持っているいるかいないかはということは、その人が、ああ俺は幸福だな、
という感覚を肌身にしみて体験しているかどうかと、深い関係があると思います。

人間というものは厄介な存在で、恋愛問題だけでなく、家庭、地域、職場、学校など、
集団にはトラブルはつきものです。いったんこじれた人間関係は修復するのは、
面倒なことだけれど、相手の立場に立ったり、相手を変えよと努力したりする中で、
自分自身も変わっていくのです。
もつれた糸をほぐすような悩みや工夫のなかで、人は成熟していくのです。
    (感想)
   ーこの視点で、人生を振り返ってみると、何が重要だったのか見えてくる。
    本当に目を光らせて自然の中で遊びほうけたものだ。
    私らの年代は、本当に遊びまわっていた。
    それが中学二年あたりから受験勉強を強いられる。それも、必要である。
    感動体験こそ人生を豊かにさせるものである。
    感動体験だけは人一倍してきたが・・・まだまだぜったり量が足りない。
    60歳代の人生のテーマは『もっともっと感動を!』か?

  **価値観の多様化がもたらしたもの**
  
字数の関係でカット(2008年02月11日)

    ー多様化してよい価値観と、絶対に変わってはならない価値観がある。
    そこの見極めのために教養というものがあるのだろう。
    特にグローバル化社会といわれる時代に、やはり基礎教養の絶対量が必要。
    それにしても、この多様化は現実問題である。
    自分の基点としてのアイディンティテーをしっかり把握していないと!
    とくに年齢を重ねると、決してプラスだけ出なく、マイナスの谷も深くなっている。
  
  山高ければ、谷深し!というが、それが年齢を重ねる事である。
  全く谷ばっかり深くなってしまう!酒さえ控えれば半分は解消するものを!全くもう!!

                  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・
2006年02月11日(土)
1775, おひとりさまー2  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。_

アメリカはペア社会で、週末などの一人の食事は異様にみられ
「誰にも相手にされない女性」と受け取けとられるという。
「おひとりさま」は、最近出来た日本特有の言葉である。
   いい歳をした女性がホテルのバイキングランチなどで群れているのも異様である。
   一人での観劇や食事や旅行など慣れてしまえば行動範囲が増える。
   また思考(自己対話)の範囲が広まる。

「おひとりさま」という言葉は岩下久美子著「おひとりさま」で流行した言葉である。
著者は、東南アジアの旅行中に不慮の事故でなくなってしまったが、
この言葉は、そのまま女性のあいだに生きている。

    女性は横の関係が強すぎて「個」の確立ができていないので、
    一人で新規の店に入る訓練が必要になる。
    イケメン男に女性を独占され、さらに『おひとりさま』が定着したら
    その他の男達は、ますます女性が遠い存在になってしまう。
一人でいようが、ペアであろうが、グループで群れていようが、
それは個人の自由である。それぞれの性格もあるし事情もある。
   要は「和して同ぜず」で、自分を確立していることと自己を見失わないことである。
   どういうわけか青年期の一人旅や、一人で飲み歩いたことはリアルに記憶に残っている。

群衆の中の孤独を楽しみは、都会の絶妙な味がする。
            ☆ミ(o*・ω・)ノ バイ!
・・・・・・・・
2005年02月11日(金)
1410, 新潟駅前飲食店事情

事務所近くに面白そうな全国チェーンの居酒屋が17日に開店をする。
「かっぽうぎ」という名前の店だ。中高年狙いの2000円の価格ラインの店である。
表看板に大きく、多くのメニューと価格が書いてある。私の好きな商法だ。

店相も明るくサッパリしていて、店として成功するだろう?
酒のつまみが150円・250円・280円・380円に絞られている。
家庭料理をカウンターに並べて、注文を受けると温めて出す店である。
何処にもあるが、飽きられて何時の間にか無くなるケースが多い。

不景気の為、飲み客が駅前・駅前と移動して新潟駅前も面白くなってきている。
昨秋に、事務所の至近距離に3Fの大型居酒屋ができた。
2F、3Fには10〜20人の個室や、ステージのあるスナック風カラオケルームがある。
それぞれの特性を盛り込んだ新奇な店を傍で見ている限り、居酒屋戦争は面白い。

新潟のダウンタウンの古町などの飲食街が廃れ、新潟駅前に移動している。
一軒の店に2−3時間滞在して、3千円あたりで済ませたいのが
サラリーマンの本音になっている。その本音を狙ったスナック、キャバクラ、
居酒屋などが、2千~5千円の客単価を狙ってどんどん出店をしている。

もう一つの流れは、隠れ居酒屋である。客同士が顔をなるべくあわせないで済むような
席作りをしてある。
最近できたキャバクラ(安価なクラブ)も、3〜4千円の店とか。
短時間アルバイトの若い娘を多くおいて時間制で、客を回転させる。
席が店内にビッシリ取ってあり、それがエキサイテングになっている。
お客は30〜40代のお客で金・土曜日は溢れているという。
他に面白そうなところが無いから、そこに集中しているようだ。

去年の11月に、「路上でのピンク系店の呼び込みの禁止の法律」
が成立をしてから、立ちんぼの姿はホボ見えなくなった。
また21時を過ぎると連れ立ったサラリーマンの姿が消えてしまった。
時代は変わってしまった!かくいう私も本当に飲む回数が減った。
家でカウチ族をしていたほうがよほど面白い。昨夜は御前様であったが。

・・・・・・・・・
2004年02月11日(水)
1043, 随筆はプロが書くもの! −3
  6−文章のヘソ
 
 一番大事なのは、書き出しである。 そこで「つかみ」が重要になる。
 テーマで興味を持たせて、書き出し部分でひきこむようにする。
 テーマがピッチャーなら、ヘソの部分がキャッチャーになる。そして最後に捻りを入れる。
 書き出しと締めくくりの間に 3っのキーワードを置くとよい。
 書き手は同時に自分の文章に対する「冷酷な読者」である。
 
 一年・二年前の同月同日の文章を毎日貼り付けながら読み返して、
 文脈のいい加減さを自分で見て、再び添削をすることがある。
 文脈の甘さを見るのは気持ちのよいものではない。

7−文章の訓
 私の場合は、この毎日の日記が文章の訓練になっている。
 また一年二年前の文章も、最近になって添削を始めた。
 一度書いた文章を何度も添削するのが私にとっての訓練である。
 重ねれば重ねるほど、短く良くなるから不思議である。
 本当は良い文章をどんどん盗作するのが一番良い訓練になるというが。
 そこまでは自分に要求していない。
 
8−文章の品格
 文章は品格がなくてはならない。 そういわれると、どう書いたらよいか迷いが出る。
 ただ具体的な下ネタとか、不快になるような話題は避ける。
 「それは・・・、彼の趣味」「これは私のおもてなし」とか、こういうような
 体言止めはあまりしないほうが良い。まして一つの文章に二つ以上使うのは禁じ手である。 
 流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた表現はやめておくこと。
 どうしても文章には、その人の人格がでてしまう。人格の悪い人は、ついつい悪口が出る。
 評論家で片っ端から政治家や経営者の悪口をいう人がいる。
 当たっていればいるほど、その人の人格を疑ってしまう。批評は悪口になりがちである。
 ストレス解消になるが、あとで読んでやはり反省をする。
 
9−文章とユーモア
 品格に関係するが、ユーモアも大事な要素だ。
 ユーモアは、文章を楽しく読ませるための調味料のようなものである。
 しかし、これを下手に使うと品格を失う。ユーモアは自分が楽しんではならない。
 相手を楽しませるセンスが要求される。私の場合は、ブラックジョークになってしまう。

10−悪口は書くな
 過去の文章を読み返していて悪口を書いた内容は、いい気持ちがしない。
 それが国家や社会であったとしてもである。
 読み手の心の中は、誰も、決して嫌なことは読みたくない。
 良いこと楽しいことを読みたいのだ。書いていると、ついついそのことを忘れてしまう。
 目先書いていると楽しいが、やはり他人に曝すことになる。
 
ー以上目次に要点を書き足した。 普段の何げないことを、面白おかしく、品格をもって、
 そして味付けをして毎日書くことはそう簡単のことではない。
 しかし、それでも書いていると止められなくなるのも事実である。
 
・・・・・・・・・
2003年02月11日(火)
678, 聞く耳持たぬ人
字数の関係でカット(2008年02月11日)

・・・・・・・・・ 
2002年02月11日(月)
328,マ〜コ 
 −堀井正子に捧げるー

マ〜コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の)
姉・正子の幼少年期に呼んでいたニックネームである。彼女の話である。

ー供養も含めて書くー

「声楽家になりたかった」が口癖であった。
「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。
プロのソプラノ歌手の「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが人生の分かれ目になった。
兄がたてつづきに亡くなり家業の為(婿養子の)芳朗さんと結婚。
家族の間に立ち、気苦労をした一生だった。

長岡社会から一歩も出たことがなく、その卑小性・特異性を全く自覚できないのが特性。
性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている可愛い人」でもあった。
常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に、全神経を使っていた。
その面では母に似ていた。

「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。独り芝居のパフォーマンスを会話だけでなく、
人生で演じきった。人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。
もって生まれた才能であろう。

後半ー40歳過ぎは事業で失敗。それからは音楽の先生として、200人を越える弟子がいたとか。
好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。
おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を演じているのだろう。
           安らかにお休みください!
                       さようなら。
・・・・・・・・・
2月11日  1969年
14日の最終コンパの件で河村、石川、田口君のところへ電話をいれる。
あと武澤先生に電話をする。現在の自分は混乱をしている。今を支えるのに精一杯である。
特に今年に入って色いろあったが、この数日その反動がきている。
あまりに激しい一日一日の刺激的な日が続いた。
振り返ってみると、この二年間は自分の人生とって大きな分岐点の年になった。
それまでの20年分を圧縮した二年間だった。

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