堀井On-Line



2454, 「ブログ」について

2007年12月23日(日)

一年前にブログを2つ開設したが中途半端の状態にしていた。
しかし「ブログ」への移行への焦りがあったが、何かタイミングを待っていた。
ブログへの移行のキッカケは、第三者の悪戯だろうと思っていた。
(せっかく作り上げた特製のHPに対する愛着もあったが)
そして「バード・ウォッチング」へ?H系のサイトの書き込みがあった。
丁度良いと腹をくくって、まずは、それから移行することにした。

問題は、どのサイトのブログを選ぶかである。
検索で「ブログの選び方」「ブログ」と入れたら、人気のサイトが多く出てきた。
そこで数分で開設できるものならと片っ端から開設してみた。7〜8以上である。
まずは去年開設した、「ヤフー」と「goo」の機能を見直し、
「ココログ」「FC2」「楽天・インフォシーク」「はてな」
「グーグルのblogger」「exsiteblog」等々、開設してみた。
まず私の適正からみて「ヤフー」がベストと判断、「バードウォッチング」を切り替えた。
次に旅行の写真のサイトは「exsite」に、そして次の切り替えは「はてな」を予定している。
どれが良いかではなく、どれが自分に適しているかが選定基準ということである。

この一〜二ヶ月間のブログの選定と使用で、この機能の凄さを感じ取った。
各社が社運をかけて創るのだから凄いのは解っていたが。
やはり使ってみなければ解ろうはずはない。
パソコンの先生と2年がかりで改良したホームページの遥かに便利で簡単なブログが
数分で立ち上げることが出来るのである。 この数年、私は何をしてきたのかと思ったが、
書き続けてきただけで充分に目的は達したから、それはそれでよい。
ブログを横にみながら使わなかった己の鈍感さは、今更で仕方がない。 
しかし決して遅くはない。 本格的にブログが普及したのは2〜3年ほど前だからだ。
これまで、やるべきことはチャンと実行してきたし、蓄積はしてきた。

梅田敏夫著「ウェブ時代をゆく」で、地球上に、もう一つの世界が出来たというが、
全くその通りである。 特にブログは、世界を根底から変えつつある。
今までの世界はそのままだが、違う世界が新たにでき、重心はその方に移動している。
ウェブという「学習の高速道路」によって、違う世界が出来たのである。
ブログにデジカメ、そしてビデオと、生中継が気楽に出来、
かつ見ることが出来る時代になったのである。
これに、携帯とTVが繋がり情報は一瞬に世界を駆け巡るのである。
  
  奈良時代に「高性能のジェットヘリが下りてきた」と喩えられる時代というが、
  その様相が現実に現れてきたと言ってよい。 
  その端的な例がブログと携帯電話である。
  
・・・・・・・
2006年12月23日(土)
2090, 人生は生きるに値するか?
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯

『人生が生きるに値するかどうか』は、哲学上最大の問題になる。
値しないとして自殺した作家も多々いる。
思想家ではショーペンアウアーは『生きるに値しない!』と言い切った。
しかし彼は長寿であったが・・・!  

   ショーペンハウアーのように値しないというなら、
    生きているだけ無駄として捨ててかかるしかない。
   「生きるに値しないからこそ、価値あるものへ転換することが人生である!」
    という情熱が湧いてくるか? それぞれの考え方があるだろう。

私の場合は、もちろん『生きるに値する』であるが、
どうも世の中、どうもそうでもない人が多くいるようだ。
生きるに値するかどうかは、その人の生きかたであり、
「生きる意味を求めていけば、人生は生きるに値するのは当然」である。
意味=価値であるから、
「人生に意味をもとめること=人生に価値をもとめること」になり、
「求めよ、さらば与えられん」のとおり価値が出てくる。
「よく働き、よく学び、よく遊ぶこと、そして常に‘一歩日常から外に出る時間を持つこと’。
    この4つのそれぞれに価値を見出し、冷静に掘り下げていくこと」
    このことが「私の生きるの値する」論拠である。
                まあまあ、お茶どうぞ -^)_且~~~
まあ、そんな難しいことを言わないでも、
「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、
こんなもの!生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。
生前があり、生まれ、そして生き、生前に戻るだけ、他に美味い酒を飲んで、
上さんの顔を見て幸せと思い、寝て、楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、
人生の価値など考えなければ、それで最高ではないか!」でよいものを。

 そこでだ、「お前さんの人生は生きるに値した?」というと難しいから、
   「人生で元とった?」と近くの遊び人だった不動産屋の親父
   (10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。
    よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~~
    「とったとった十二分にとった!」という返事。

同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃したところ、
やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。
「生きるに値するか」と、「生きた元をとったか」は確かに違う!
しかし、「生きるに値するか」の質問よりも人生の価値を考える時に
深い問いになりまいか。人生の元をとったか?はー充分人生を生きたか?と同じ。

    ショウペンハウアーは、人生は生きるに値しないという嫌世家だが、
    その慰めは芸術で一時期でも紛らわせることができるとした。
    このような難しい問題を気楽に扱うこと自体に問題がある。
    答えなどある訳がないのも解っている。
    しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題である。

    しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない事態に追い込まれて
   「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、
    あと一週間で間違いなく死ぬ人に問われたら、真実どう思うだろうか?
   「    」しかないだろう、実際に!
                       ( ^3)〜♪
生きる価値があるかって?
「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問に値しない!
クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」というのが、私の現在の答えである。
《本当か?本当にそんなことが、いえるのか?》 (-"-;)
《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》と、
心の奥の声が聞こえてくるが。         Ψ(`∀´)Ψケッ!
             ほんじゃ、ばいばい! o(^-'o)♪☆(o^-^)o〜♪
・・・・・・・・
2005年12月23日(金)
1725.一年経てば全て過去     
      オハヨウゴザイマス o┐

「一年経てば、すべて過去」
 どこかで聞いた言葉だが、全くそのとおりである。
    感情面を入れると、実際のところは三年であるが。
    (一世一代?の失恋とか、連れ添いを亡くした場合の治癒期間は三年)

    去年から、10年日記に心情を書いているが、
     前年の分が上段に書いてあるので、嫌でも目に入る。
     それをみると、一年経てば殆どが過去のことである。
     嫌なことを忘れるのが上手い方だが、
     それでもつまらないことに気を使っている自分が解る。
    〔一年経ったからこそいえることだろうが〕

   反面、30年も前のことが昨日のように感じることもある。
   年齢を重ねるとは、そういうことかとツクヅク思う。
  殆どのことは、「一年経っても問題だろうか?」と、自問自答すれば良い。

自分の存在は過去の総合である。
数10年経っても心に残っているのは自分にやましい何かがあるためだ。

 しかし人間は過去の総合態〔体〕である。
 記憶を全て喪失した人間をみればわかるはずだ。
 過去も未来も、言葉でしかないのだろうか?
  ( ゜Д゜)⊃旦 < 茶飲めやフォルァ  
                    ~旦_(-ω-`。) ドモドモ
・・・・・・・・
2004年12月23日(木)
1360, 金に泣く人笑う人 −1

藤本義一のこの本は、
「面白い」という点では抜群である。
 この人は、金銭と欲と詐欺にからむ小説を多く書いている。
  雑学を多く知っていることに感心をする。
   一冊の本を書くために、多くの人とインタビューをするから尚更である。
    この本の中にも、ナルホドと唸る面白い話であふれている。

ーその幾つかを抜粋してみるー

12章の「騙しのカラクリ」が面白い。
ーペテンの技法・香具師の商法ー
 香具師の語源は 武士→野武士→野士→野師→香具師と考えるとよいだろう。
  武士になれない野武士が武器を取り上げられて、野士になり、
   武器を持たないので既に‘士’でないので野師になったと考えればよい。
   野師は口先三寸で啖呵売をして騙す方法を考えた。
  つまり、言葉巧みに香具(仏具)を売る方法を考えた。
 この巧言を説明するとこういうようになる。

香具師は最低二人組む。
一人の場合は単なる啖呵売りであり、これは詐欺行為でなく、
 大道芸人の一種と考えてもよい。例の「男はつらいよ」の寅次郎を考えればよい。
   二人以上で組織されるのが香具師の原則である。
    原則的な香具師は一人が山伏姿になり、いま一人は仏具を商う仏具士に化ける。
    先ず山伏に化けた男が京の方から里に下りてくる。
    錫杖を手にして高下駄を鳴らして歩く白装束は誰も目立つ異様さがある。
   そして、山にこもって修行したという人という印象から村人達は尊敬の目を向ける。
  昔も今も詐欺師たちは魅力的な特色を持っていなくてはならない。

 この山伏は悠然と村を通り過ぎようとする。
が、一軒の家の前で、急に立ち止まる。家は村の庄屋の場合が多い。
庄屋でなくとも、村長と思われる豪勢な屋敷前である。

山伏はその場で急変する。全身を痙攣させ、口から泡を吹かんばかりの苦しみ方をする。
 村人たちは仰天をして、庄屋を呼びに行く。庄屋は水を与えたり、苦しみを鎮めようとする。
  ようやく一息入れた山伏は苦しい息の下からいう。
  「この家の前に通りかかった時に、急に悪霊に取りつかれて身動きが
   出来なくなってしまった。出きれば、この家の仏壇を拝ませてほしい」

   庄屋は、これを拒むことはできない。
  自分の屋敷内に悪霊がいるといわれれば、恐怖心で招き入れる。
 仏壇の前で山伏は狂ったように祈りつづけて、やがて上半身を前にして気を失う。

 一同は不安げな様子で見守るが、山伏は息を吹き返して、座りなおして、
 やおら鈴を手にして委細を眺め
「や、四代前のご先祖様が成仏できずに迷うておられるぞ」と告げ、
 「この鈴の傷が何よりもそれを物語っている」と、指差す。
  鈴にヒビワレが入っているのだ。
   そこで、庄屋がどういうふうにすれば、霊がおさまるかと問うと。
   「いずれ、この前に仏具師が通る故に、このものを何としても引き止めて、
    この鈴と新しい鈴を引き換えて買うがよろしい。
    どんな高い値段でも買うがよろしい」といって立ち去っていく。
    当然の事に、この時、庄屋は山伏に祈祷料を渡している。
    そして、この仲間が仏具師に化けて何日後に通る。
    庄屋は鈴を交換してくれと頼むが、一応仲間は拒む。
    庄屋はさらに高い値段で買いたいといい、それではと譲り渡すのだ。

  これが香具師の騙しのテクニックである。
 これがカラクリであるが、何ということはない、はじめに来た香具師が
ヒビの入った鈴を袖に忍ばせて、仏壇に倒れた時に、その家の鈴と交換したのだ。
庄屋は、元々あった、家の鈴を知らないで買わされていたのだ。

これが香具師の技法である。
 −−−−−
 ー以上である。
まあ、Tvに出てくる霊媒師は、この応用をしているにすぎない。
 詐欺の原型である。健康食品のメーカーがよく使う手口で、本の出版がある。
 本の出版自体が詐欺?の手口の一つだが、その新聞広告がミソなのだ。
  大新聞に出ている、健康食品に関する本の広告自体が、その手口になる。
  「水溶性アガリスクの効用」とかいう奴だ。
   大新聞に水溶性アガリスクが癌を治すという刷り込みをしているのだ。
   その本には、あるメーカーを臭わせながら効用を化学的に説明して、
   その効果を実際、治った人のインタビューを載せている。
   新興宗教の場合は、もっと手口が巧妙である。
  新規の人を入れようと、さっきの香具師の手口の応用をいくらでも仕掛けてくる。
 一番初歩的なのは、入り口の待合席にサクラを置いておき、何げなく根掘り葉掘り聞く。
それを、教祖様が盗聴してズバリ当てた振りをする。 言葉のテクニックで済む。
                             ーつづく
・・・・・・・
2003年12月23日(火)
993, 「魔女は夜ささやく」ー読書日記

 長編小説を読むのは久々である。
 一昨日家内が親戚の葬式で不在であったので、一気に読み終えてしまった。
 「あ〜面白かった!」というのが実感の言葉である。
 新聞の書評で激賞をしていたのを読んで、早速インターネットで取り寄せた。
 新幹線の中で読むことにして、約2ヶ月かかった。上下800頁で、読みがいがあった。
 
 初めから一気に緊迫場面の連続で、ロバート・マキャモンの世界に引き込まれてしまった。
 主人公の青年マシューの真実を追究する姿勢は好感が持てた。
 一人の青年の成長過程をみるようで、読み終えて爽やかさが残った。
 
 内容は 18世紀直前の植民地時代のアメリカ。
主人公の青年マシューは、判事の書記として魔女を裁判にかけるため、入植地に向かう。
そこで魔女として牢に入れられている美女の無実を実証しようと必努力を尽くす。
詳細はインターネットで調べたものを後でコピーするが、登場人物を一人一人
丁寧に描いている。最後の最後まで息をつかさない作品であった。
これをきっかけに、新幹線では長編小説を読むことにした。
歴史の暗部を引き出し、それでいて内容は息をつかせないエンタテインメント仕立てである。
次の小説を何にするか探し始めたところだ。
トマス・マンの「魔の山」か、それとも買ったままでまだ読んでない本か。
 ・・・・・・・・
題名:  魔女は夜ささやく(上下)
原題:  Speeks the Nightbird
ーー
以下は、インターネットで検索した内容紹介を幾つかをミックスしたものである。
 −内容
以下は字数の関係で中略(2007年12月23日)
  ーー
こういう分野の小説をじっくり読んだのは初めてであった。
また新しい世界を見つけたようだ。
 
 ・・・・・・
 2002年12月23日(月) 
619,パタゴニア旅行記ー6

今回の添乗員が過去の添乗員の中でベストの人であった。
大手銀行のリストラ組で、その後事業を起こして失敗をしたそうだ。
バックの力と自分の力の差を読み違えたと言っていた。
「バックとは何か?」の問いに、資金力と答えた。
それにしても、彼の知識量と見識の高さに驚いてしまった。

これで添乗をどん底で経験すれば、人生という意味で大きいものを
掴むことができるのではないか?そう甘くはないが。
前回は南アフリカ、今回の南米のパタゴニア、次回はウイーンの
新年の恒例のウイーンフィルの観賞の添乗だそうだ。

仕事はテキパキとかたずけるし、質問には何でも完璧に答えるし。
凄い人がいるものだとつくづく感じ入った。
特に英語がぺらぺらでイギリスに長年駐在していたようだ。
リストラでこういう人が多く職を失ったと思うと経営者の責任も甚大とつくづく思う。

話しが違うが、秘境の旅で一人参加の人が多い。
そのエネルギーに驚かされるし、何か余白を埋めに来ている人が多い。
ある人が何気なく言っていた。
[[帰ったら死ぬ心配をしなくては!いろいろの問題を引き出しの中に
ギュウギュウに押し込んで出かけてきた。帰ったらそれが待ち構えている」
人生の圧縮された言葉だ。

・・・・・・・・
2001年12月23日(日)
278心の開放のために!

心の開放のために!-何からの開放????かんがえてみよう!
「心を自由にする為に!本当に自分がしたいことを見つけよう。
これが一種の瞑想だ。これを探し出して、明確にしてそれを推し進める事が
本来の人間の姿だ。それが本来の価値であり、価値観といえる。」

下記にコピーした要旨である。瞑想の意味が今ひとつ解かってなかったが、
逆に自分探しという意味で説得力があった。
「仕事人間」を馬鹿にする風潮があるが、本人が本心に楽しければ第三者
の批判外である。自己実現こそ心の開放ということか。
何事も考えているだけで解からない、やはり積積的にやってみて初めて
解かるものだ。

私が好きなのが早稲田教授のエジプト等の遺跡発掘の吉村作治氏である。
3年浪人して早稲田に入り、エジプトの発掘に自分の全財産と全人生を投げ込でいる。

家族の生活費は大学からの収入で。タレント活動の収入は全て発掘活動に使う。
8000万だそうだ。それを種にして寄付等を願うと、その事実の前で
4〜5億の金が集まるという。「タレント教授」といわれても、
本人は手段と割り切っているから「そのとうり!」と開き直っているのがいい。 

大橋巨泉の生き方とレベルが違うと思う、それは私の価値観か!
・・・・・
H6/09ーコピー
ー自己実現のために-日下公人

心を自由にするために、こうするといい。自分は何が欲しいのか、どうすれば
幸せに感じるのか、人の寝静まった深夜に起きて、紙を広げて7つ書いてみなさい。
そしてそれに優先順位をつける。終わったら忘れて寝る。
翌日生活していると、おりにふれて思い出す。
友人、知人、有名人の言動をみて「あの人は自分の欲望の3番目をやっているな」
とか。・・・そうしたらl「実現の手段を考えよう。そして実現しそうなことより
実行しろ」と。実行の優先順位をつけたら、ほかの事はやらなくていい。
そうすると他の人の話が生き生き自由に聴けるようになる。
こういうような作業は一種の「瞑想」です。

・・・・・・・
12月23日 日曜日 1968年

11時過ぎに起床。
午後はTVを見たり、本を読んだりして過ごす。
21時過ぎに、永田さん等が寮のOB会の忘年会の帰路に寮による。
高橋の部屋で飲み会にでてこいとのこと。
そこで飲んだ後、近くの「ヤマ」という居酒屋で飲む。
一年先輩の衛さんが隣でチョッとしたことで私に怒り出す。
初めは何とも感じていなかったが、怒りが途中からわいてくる。
「あまり他人のことに関心をもつな!」と、我慢をしていたら涙が出てきた。
OB会で私の批難をしていたのだろう。
この連中をみていると、まだ学生という臍の緒が抜けてないのだ。
情けない!恥を知れ!卒業をしたら当分は一切の友人と付き合うなということが
解かってないのだ。それも元いた学生寮に入り浸っている姿は最低だ。
すっと抜けだして帰ってくる。 自分までが情けなくなってくる。
結局何なんだ、自己逃避でまだ学生時代の寮から抜けきれないのだろう。
こんなものだ。

ー2003・12月23日 後記ー
 5〜6人来ていたOBのうち二人が政治家の秘書をしていた。
一人は未亡人の愛人でお金を貰っていた。
後で聞いたが二人とも県会議員をしているという。
何か聞いていてゾッとした。恐らく、変身したのだろう?!
この程度の人が実際のとろの政治家(屋)になっている。
ただ、政治家志望の渇望はすざましかった。

この寮の出来事を小説にしたら面白いだろう。
馬鹿馬鹿しくて書けない事を脚色したら、その馬鹿馬鹿しい事が
味付けになる。地方出身の鬱々とした男達と、そこの出入りする近くの女子寮
の女子大生や、ホモや、政治ゴロが織りなす赤裸々な私生活だ。
書き残すということは、やはり必要である。 魂?心の軌跡を残す事になる。

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