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2007年08月11日(土)
o(*'▽'*)/☆゜’おはよう〜♪ 毎日、随想日記を書くのは、かなりのエネルギーを要する。 ネタぎれになるので、どうしても「読書日記」が多くなる。 そこで、面白そうな箇所の紹介や、引用するのが一番手っ取りはやいが、 本を書き写すエネルギーが膨大になる。 中途半端なブラインドタッチしかできないこともあるが・・・ 5年ほど前にハンド式のスキャナーを買ったが、 読み取るのが難しく何度か使ったが、途中で諦めてしまった。 しかし、このハイテクの時代に、よいスキャナーが必ずあるはず。
そこで本気になって検索で調べてみた。 問題は「何」をキーワードにするかである。 「文字の取り込み」「文字の入力ソフト」「文字スキャナー」等々入れて、 やっと面白いソフトを探し出した。 しかし、これだけは実際買い取って使ってみないと当たりか外れは分らない。 4千円ほどしたが、思い切って購入をした。
それはデジカメをスキャナーにする代物である(デジカメOCRe.) デジカメで写したページの文字を読み込んでデジタルに転換、 それをパソコンのメモか、ワードに落とし込む方法である。 よくぞ考えたものである。慣れてくると、数分で書き込みが終了してしまう。 これで6年近く、苦労して書き写していた作業が激減をした。 苦労して書き写すことも大事なことだが、ハイテクの時代、マシーンで 出来ることなら、それに超したことはない。
しかし、これがクセのあるソフトでナカナカ難しい。 知人のフリーのSEの‘H’さんに手伝ってもらって、辛うじてマスターをした。 これまで1時間かかって打ち込んでいた手間が、時間的には五分の一になった。 これは「大きな武器」である。
このプロセスで気が付いたことは、 面白い記事をデジカメに撮って記録媒体か、 パソコンの分類したファイルに直接落とし込んでおけばよい。 とくに画素が1千万以上なら、新聞一枚分をカメラに撮っても、 拡大をすれば、見えないということは無いだろう。 しかし、二度とみないだろうが? SeeYou**(○´ω`○)ノ 〜〜〜〜♪ ・・・・・・・ 2006年08月11日(金) 1956, 人生と学問 おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
昨日の日経新聞のスポーツ欄の連続のコラム ーチェンジアップーで、 往年の大打者で野球解説者の豊田泰光が 「学歴についてのコンプレックスの心情」について書いていた。 大打者だったプライドもあろうに、思い切った心の奥の吐露をしていた。
ー先ずは、その内容を書き写してみる。
引退したとき、まだ35歳だった私は「やり残していることがある」 と妻に相談した。「大学に行きたいんだ」。 妻は理解してくれたが、私は幼い子供と実家の母らを面倒をみなくては ならなかった。無収入の学生生活というわけにはいかず、断念をした。
学の無いことは寂しいことだ。 解説者として記事を書き始めたが、漢字がわからなかった。 家で書き取りの練習。おやじになってからの漢字練習はつらい。
悔しい思いをしたのは引退後に限らない。 プロ野球界の学歴信仰にも閉口をした。 高校出の監督・コーチもいるけれど、同程度の野球の成績なら 大卒が有利だった。 大卒の球団経営者は現場の大卒組と組んで事を運ぶ傾向があった。 球界の‘大卒’はチャンと単位を取った人ばかりでなく、 しょせんは勉強しない者同士で作る学歴社会である。 それだけに余計タチが悪いといえた。
サンケイ(現ヤクルト)のとき、東京六大學から入団した同僚から 「単位が足りないままプロに入った。 もう少しで大學から除籍になるがどうしよう」と相談を受けたことがある。 私はすかさず「そりゃ、絶対に単位をとるべきだよ」と言った。 彼は単位をとり、卒業をした。 何よりもけじめをつけたことが、その後のためになったと思う。
先ごろのスポーツ新聞の記事によれば巨人の桑田が引退後、 大學で勉強をしたいという意向を示したという。 いいことだ。桑田は「順序が逆になるけれど」といったそうだが、 勉強をしたいと思ったときが学業の適齢期だ。
広島のホプキンスという選手が練習の合間に肩にタオルをかけて 医学書を読んでいるのをみかけた。そのときはご苦労なことだと 思うばかりであった。しかし帰国後彼が外科医になったと聞いた時、 ふと思った。家計を支えねばならないから勉強ができない、 というのは私の甘えでかもしれない、と。
あれこれ経験を積んだ今だからこそ「人生に順序なし」と実感できるが、 その真実に気づいたときには残り時間はわずか。 皮肉なものだ。 ーー 何も飾りのない赤裸々な真実の声である。 そういえば同じような話を姉から聞いた。
一番上の姉が癌になり、一年足らずで亡くなった。 手術の数ヶ月後、家に来て最後に多く語っていった。
その中で、 「私は高卒が一番のコンプレックスだった。 基礎教養を若いとき培ってなかったのが一生のハンデキャップだった」 と、ポツリといったのが印象的であった。 長岡城下街の価値観に一生振り回された人生を後悔しているようだった・・
私の周辺で、高卒にかかわらずサラリーマン社会で勝ち抜いてきた人や、 教養にみちている人が数多くいる。 共通点として、人知れず本を多く読みつづけて基礎教養という土台があり、 また、ライフワークを持っている。 一流大学?を出たにもかかわらず、全くの無知蒙昧の人も多く知っている。 要は社会に出てから、どれだけ学んだかが、問題なのだ。
御前はどうか?他人にいえるザマか?と、すぐに声が飛んできそうだが。
また反面、高校しか出てないからと諦めてしまい、 全く本を読もうとしないで、「世間」とやらを、 全世界と思い込んでいる人ー子狐ーもいる。 そういう人ほど、捩れて歪んでいる内面が露出してしまっている。 人間多かれ少なかれ、誰もそうだが・・ 心の底から学びたいと思った時が、学業適齢期という言葉はよい。 「べき時に、べく事を、べくすべし」というが、
「一生学び通すことこそ教養」 ではないだろうか?
・・・・・・・・ 2005年08月11日(木) 1591, 外務省・ラスプーチンの記憶術
何気なく月刊誌をみていたら、鈴木宗男とともに逮捕され起訴された 元外務省の佐藤優の手記が載っていた。 内容は、彼のソ連時代の外交官としての活動の詳細であった。 その内容も面白いが、それより彼の記憶術とその引き出し方に興味を覚えた。 非常に深い示唆に富む内容である。 やはり映像と結びつけるのだ。
その一部を書き写してみる。 ーー 拘置所の減灯は午後9時、起床は午前7時なので、睡眠時間は10時間もある。 私はもともと睡眠時間が短く、3~4時間で済む。 この長時間睡眠制が拘置所規則では何よりも苦痛であった。 筆記道具は自殺に使われる「凶器」に使われるのであつけられない。
そこで、この時期に私は記憶力の強化を図った。 私の記憶術は映像方式で、特定の映像と出来事を結びつける。 誰かに教わったのではなく、モスクワでメモをとれない状況でロシア人から 話を聞き、それを大使館で暗号電報にして送る作業を続けているうちに 自ずから身につけた癖だ。
ある時この記憶術を陸軍の中野学校出身の某氏に話したことがある。 「佐藤君。それは甲賀の忍者の記憶術じゃ。 中野学校では甲賀忍法を応用した記憶術があった。 文字や地図、写真は比較的正確に再現できるが、表の数字は出てこない。」 このやり方は、数字にはあまり適さない。
イスラエル政府に記憶力の抜群の友人がいた。 「数字をどう記憶に定着させたらよいか」と尋ねたら、この友人は 「僕の場合も基本は映像記憶だ。数字は見ただけでは記憶は難しいが、 一回、口に出して唱えると、映像の中にいる自分がその数字を唱えている映像が 音とともに甦ってくるので、試してみるとよい」と言われた。 実践してみたが、確かに効果がある。
獄中のノートやメモは検閲されることがあるので、取調べについて重要なことは書けない。 従って記憶に頼る比率が高くなる。稗田阿礼は文字を知らなかったが、 古事記を暗唱をしていたわけだから、日本人の潜在的な記億は大きいはずだと思い 巡らしながら、取調べ状況を正確に努力をした。 そうすると取り調べ以外に多くの記憶が甦ってくる。 その中でよく思い出したのがソ連崩壊の前後の出来事だ。 特に人間の生き死にに関わる映像がとても正確に浮かんでくる。 6・6平米の空間が時空を超えて無限に広がっていくような感じがする。 ーーー
以上だが、なかなか深い内容である。 私が最近色いろな事を思索するのに使うのは、 夜寝入る時に、理想的な数ランク上の自分に入り込んだイメージを持つ。 そして、翌朝に夢か新しい何かヒントが浮かぶのを待つ。 大したヒントは浮かばないが、それでも私の限界を超えた新しい視点をえることが 可能になる。脳は言葉とイメージが大きな機能である。 その二つと、潜在的な能力を呼び起こすのが脳を生かすコツになる。
・・・・・・・ 2004年08月11日(水) 1226, ダイエー 最終局面へ
ダイエーの再建??に向けてのUFJ、みずほ、三井住友銀行が 最終調整に入ったと新聞が一斉に報じ始めた。 ・不振の衣料・住居用品から撤退して食品スーパーに特化 ・3〜4千億で金融支援を実施して店舗の土地建物の含み損を処理 再生機構が新設する不動産会社に移し ・一兆円の銀行借入を3〜4千億にへらし、 ・大手流通業の支援で早期再建を目指す
ジャスコか丸紅が受け皿になるようだが、恐らくジャスコだろう。 ジャスコは、八百半、マイカルに続いて、再建で大きな収益を上げることになる。 三年前に始まった、オーナー中内功の追放、そしてグループの解体の最終 局面を向かえることになった。
解体過程も、シビアにおこなわれきた。 ・コンビニの「ローソン」の売却 ・リクルートの売却 ・神戸のオリエンタルホテルなどの売却 ・銀座プランタンの売却 ・今年になって、福岡ドームと、その隣接のホテルの売却 等、すざましいほどであった。 そして最終局面で、再建機構に移管をして、ジャスコか丸紅に投げ売りをするのだ。
自宅の近くに店舗があるため30年来、定点観測をしているが、この数年は 気の毒なくらい商品力が落ちている。マイカルの最終局面に似ている。 折りたたみ傘を買おうとしても、まともな商品が皆無だ。買っても、粗悪品に近かった。 あるメーカーの人に聞いたが、「ダイエーに収めているだけで、その問屋には 商品を卸さない」と言っていた。 死に体であるのは誰の目にもハッキリしている。
ダイエーの華やかな成長過程を見てきたこともあり、 その凋落の姿は何とも寂しいものである。
・・・・・・・ 2003年08月11日(月) 859, 「タイムクエスト」 ー読書日記−1 ーベンジャミン・フランクリンの13価値観ー この本は一年位前に読んだ本である。 「7つの習慣ー最重要事項」のさらに具体的内容を掘り下げている本である。 『ミッション・ステートメント』に焦点を合わせてある内容である。 先日本棚を見ていて、読んだことに気がついた。中途半端に読みぱっなしということか。 この本と『7つの習慣』を二年前に読んでいて、「ミッション・ステートメント」 を創ってなかったのだからいい加減なものだ。
何かの「良」がこの「最良」を阻んでいたのだろう。
この本の中のベンジャミン・フランクリンの13価値観が面白い。 これを元に著者のハイラム・W・スミス が自分の憲法を創っているが、 それは次回に書く。それと13の価値に対する自己評価もチェックしてみる。
ーそのフランクリンの13価値のところを書き写してみる。 ベンジャミン・フランクリンが22歳のときに自問自答した。 「私の人生で大事なことは何だろうか?」 この時から、彼は12の価値観と考えを進めていく。
そしてその一つ一つに説明を加えていく。その結果次のようなものが出来上がった。 初めは謙遜がなかったが、あるクエーカー教徒の友人に見せたところ、その友人は 最後に謙遜がないことを告げた。
フランクリンに対して彼は親切にも彼が、高慢な人間だと一般に思われていることを 教えてくれた。いくつかの例を彼はいちいち例を挙げて説明してくれ納得した。 そして、最後に英語でわずかに4語の説明文を加えている。 「イエスおよびソクラテスに見習うべし」 (ImitateJesus and Socrates) 彼は自分の生活を13週に分けて、一週ごとに13ある価値観の一つずつ焦点をあてて、 自分の行動が価値観にあったものになるよう努力したという。
78歳のとき、彼は回顧録にこう書いている。 全体的に言えば、かねてから願っていた完璧さには到達できず、それより はるか下にとどまってしまったが、どの努力をしない私と比べれば、より善良な人物になる ことができた」
「謙遜」については、率直にこう言っている、 「私はこれを体得したと自信を持って言えはしないが、 その見かけがそれなりにできたと思う」
ーベンジャミン・フランクリン13価値観 1、節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。 2、沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。 3、規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。 4、決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。 5、節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。 6、勤勉 時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。 無用の行いはすべて断つべし。 7、誠実 いつわりを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。 口に出すこともまたしかるべし 8、正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。 9、中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、 激怒を慎むべし。 10、清潔 身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。 11、平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。 12、純潔 成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、 身体を弱め、また自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。 13、謙譲 イエス及びソクラテスに見習うべし。
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「TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究」 ハイラム・W. スミス (著), Hyrum W. Smith (原著), ーレビュー ユタ州でコンサルティング会社のCEOを務める著者のハイラム・W. スミスは、 ベンジャミン・フランクリンから強い影響を受けた人物で、アメリカ社会の時間管理に関する 洞察に満ちた見解を本書で展開している。 「生活の慌しさは日々増していくばかりである。 単調な日常業務に急き立てられ、私たちは一心不乱に走ることを余儀なくされるが、 結局は一つ所に留まっているに過ぎない」。 時間と出来事の、ひいては生活のコントロールを取り戻すために著者が行う提案は非常に 興味深く、目標の設定、計画的行動、そして安心領域からの脱出について示唆を与える。 著者の鋭く焦点を絞った管理についての複合概念は、 「心の安らぎ、すなわち充足や幸福が最高潮に達した感覚」 に到達することを目的とした「出来事管理」を実現するための素材ともなっている。 因みに、著者が経営する会社のセミナーや製品の推奨文句は不要であろう。 内容(「BOOK」データベースより) 本書の大きな特長は、時間管理を出来事管理と捉えることにより、生活のコントロール度合を 高める点にあります。 そして、人間の行動を基本的な欲求のレベルまで掘り下げ、単なる効率だけを考えた 時間管理では決して味わうことのできない、永続的な「心の安らぎ」を獲得することが できるとしたのです。
・・・・・・・・・ 2002年08月11日(日) 484, 思い出のメロデー
お盆近くの土曜日になると毎年恒例の「思い出のメロデー」である。 34回というから、私が20歳代前半からになる。
初めからチャンスがあれば必ず見ていた。 幼児の頃から街のど真中で育ったせいか流行歌が常にあった。 その為その歌ごとに思い出が深い。
生番組の素晴らしさは、歌手も失敗を許されない真剣さと今という共時性がある。 この生番組の中にそれぞれの人が自分の歴史ー自分史を見ているのだろう。 昨日は前半は昭和40年代のポップスが中心であった。 丁度自分の青春時代の歌で感慨が深かった。
40年代はポップスの全盛時代で、もうこれだけの名曲が出ることはないと いわれている。時代が高度成長期でその雰囲気がその歌をつくりだした。 歌を聴きながら、本当によい時代に生きることが出来たと感謝している。
自分の人生を一言だけでいうと、「恵まれていた」である。 特に時代背景がよかったことを歌を聴いていてつくづく思った。 今回見ていて、いつもの常連が多く出ていなかった。 時代の変化なのだろう。
・・・・・・・・ 2001年08月11日(土) [105] 写真コーナーが移転
不調だった今までのコーナーを廃止、あたらしいソフトで再出発することになりました。 デジタルは便利の反面、今までの苦労が一瞬で消えうせるという恐さがある。 あれだけデジタルカメラを持ち歩きうつした写真が、全て跡形なく消え去ってしまった。 まだ出始めで総数が少なかったが、一年も経った後だったら大変な事だった。 写真コーナーが壊れてからアクセスが半減してしまった。 ーーーー 二時間散歩、夜半大雨のためか花が綺麗だ。 これも土手で誰かが趣味で育てた花だ。 二時間の間にそのような場所が10カ所以上ある。 あと一月経つとコスモスのトンネルが出来る場所に花が咲く。
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