堀井On-Line



2268, 今年のミス・ユニバースって美人?

2007年06月19日(火)

        ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
   
   TVで日本人のミス・ユニバースの女性を見て、違和感を感じていたら、
   夕刊フジのブログと、毎日新聞の文化欄の「〈現在〉を読む」に論評が
   載っていた。誰も考えることは一緒である。
  「少し可愛いいが、決して美人ではない。
   生意気そうなところがマイナスで、差し引きゼロ。
   それ以上でも、それ以下でもない。
   実際のところ、ミス・ユニバースの判断基準は理解できません?」
   というのが、両者の論評の概略である。

ー以下は夕刊フジのブログの概要である。
 ーー
07年ミス・ユニバース世界大会で、森理世さん(20)が優勝し話題になっている。
日本人としては48年ぶりの快挙。昨年も、知花くらら(25)さんが2位となった。
日本も世界が認める“美人”輩出国となったかの騒ぎだが、テレビなどを見て、
「可愛いが、決して美人ではない」と思った方も多いだろう。
果たして美人の世界基準は変わったのか。 専門家らが徹底討論した。

 【違和感】
「森さんは鼻がツンと上を向いている。
日本人の(美人の)感覚とは違ってコケティッシュ系ですよね。
化粧をすると、昨年の知花さんと変わらない。スポーツ紙が、
韓国代表と間違えて写真を掲載するくらい見分けがつかなくなっている」
テレビや新聞で伝えられた森さんの顔を見て、女性を美しくするプロの
 たかの友梨さんも、
「顔立ちは際だってきれいというわけではない。
おちょぼ口や色白など日本人の良さとは違って肌は白くない。
(日本の美人というより)アジアンビューティー的ですね。
日本人から見ると、アイシャドーはあんなに濃くなくてもいいのにと思う」
 と指摘する。
漫画家のやくみつる氏は“美人ではない”と違和感を覚えた一人だ。
やく氏は、日本と外国の美の基準にも、
「かなりズレがある。芸能人で、(森さんより)きれいな人はいると思う。
昨年も思いましたが、バチバチの派手な顔より、愛嬌のある顔が外国に受けるのかな」
と、大きな違いを感じている。
 
 【選ばれたワケ】
たかのさんは、でも
「(森さんが)ノミネートされているのを見て、グランプリをとるなと思った」
と予感した。その理由は、
「ミス日本やミス・インターナショナルは大和撫子、可愛さ、
 慎ましさなどが求められる。ミス・ユニバースは、ちょっと違いますよね。
 世界レベルでは、パフォーマンスの美しさなどが基準。
 森さんは日本人離れしていてパフォーマンスの動きが素晴らしい。
 日本人も“ここまでパフォーマンスができる”ことに世界も驚いたんでしょう」
と話す。
4歳からダンスを学び、現在はミス・インターナショナル静岡県準代業だった
母親のダンススタジオでインストラクターを務める森さん。
こうした素養も優勝に大きく寄与したのだろう。
 
ファッションデザイナーで、昨年のミス・ユニバース・ジャパンで審査員を務めた
ドン小西氏は、「顔はきれいというより中の下」としながらも、
「コミュニケーション力や自分のアピール力など総合で見て世界一になれた」
という。
小西氏は、欧米勢の地盤沈下も森さんの勝因とし、
「ドイツや米国などは食べ物や映画など同じ方向を向いている。
 外国人の参加者に個性がなくなってきた。
 その点、森さんはオリエンタルで個性が強い。
 最近の美人は、語学力や個性もないような“日本的”ではダメなんだ」
と称賛する。
やく氏も森さんの顔は納得していないが、
「6カ国語を操れるなど付加価値にウエートを置いているのかな」とみる。
また、たかのさんは、
「女性は毎日、バイオリズムの変化で輝きが違う。
 彼女は、その日とっても輝く日だったのかも」と付け加えた。
 
【美の基準】
 59年の大会で、優勝した児島明子さんについて、たかのさんは、
「ちっとも奇麗ではなかった。『嫁のもらい手があるのか』なんて声もあった。
 当時の個性では、異人種だった」とし、現在の美の基準には、
「昔は背の高い女性は嫌われたけれど、今は全体の雰囲気で奇麗と思うことが多い」。

一方、著書に『美人コンテスト百年史』『美人研究―女にとって容貌とは何か』
などがある国立国際日本文化研究センターの井上章一教授は、
「森さんは48年前の児島さんと同じ路線だと思う。美の基準は変わってない」
とみる。ミス・ユニバースの選考基準は、決して美人というだけではなく、
「受け答え、ステージ映えするか、度胸なども重要」とし、
“美人の基準”には
「目と鼻のバランスが整っているなど見た目が大きい。
 児島さんや、八頭身美人で有名な伊東絹子さんは今、
 うちの職場に来ても一番のべっぴんさんやと思う」と笑う。
そして、井上氏が「圧倒的に驚いた」のは児島さんがグランプリを獲得した時代で、
「産経新聞は当時、1面から3面を使って記事を掲載した。
 今や予選をどこでやっているのかも知らない。美の基準が変わってきたというより、
 美人を扱う社会が冷淡になってきている」 と話している。

    −−−
    情報化がモダン主義から、ポストモダン主義へ時代を変えて、
    美女という要素だけでなく、スケートの金メダルの美女とか、
    卓球の愛ちゃんとか、卓越したものの土台を持っていなくては、
    その辺の現代っ娘の一人位にしか見なくなってしまった。
    この日本人のミス・ユニバースはその枠から一歩も出ていない。

http://www.yukan-fuji.com/archives/2007/06/post_9732.html
           (*・ω)ノβψε★βψε
........
2006年06月19日(月)
1903, 感動と感激について−2   
            オハ (´・ω・`) (´・ω)(´・ω・`)ヨ〜 
  ー感動と失望ー

    感動・感激の反対語は何だろうか?
    期待以下の大きなマイナスギャップ、
    期待>実感 → 落胆・失望ということになる。
   「大きな期待を持っていったが何も感動することがなかった。がっかりした。」
    である。西アフリカの旅がそうであった。期待が大きかったからだ。
    失望を少なくするには、まず期待を小さくすればよい。
    失望・落胆も、振り返った時に心と魂に多く残るが、
    人の脳は無意識のうちに、記憶から排除をしてしまう。

感動・感激とは驚きである。
驚きは、そのまま考えるヒントを与えることになる。
驚きはギャップに対して起こる心の動きである。
ギャップを埋めるための知識集積が自動的に生じて、それが考えることになる。
従って、人間の能力は感動・感激と、失望につながっているといえる。

今年のワールドカップ・サッカー、日本チームに対しては過剰期待である。
今回の過剰の期待と落胆は、貧困層の広がりが原因という見方がある。
冷静にみるより負けるまでせめて夢みたいという気持ちの表れは、貧困層の考え方である。

WBC(ワールド・ベースボール・カップ)で日本が優勝した時、
期待を誰もしてなかった上に、イチロウなど日本人選手と
王監督の健気な姿に感動が生まれた。
誰もがまさか優勝するとは思っていなかったから、驚きと感動が生まれた。
この期待をサッカーのワールドカップに当てはめようとしたが無理な話である。

    いかに多くの感動・感激・感謝を積み重ねるか、
    反対に失望・落胆を少なくするかが、人生にとってのポイントになる。
    
    これは意識をすれば、出来ることである。
    一流のものを見続けることである。
     一流の人と多く接し続けることである。
    そこには、一流の人の波動が出ている。
    そのシャワーを浴びればよい。

ー話は少し違うが、
先日の産経新聞の産経抄の論評がよい。
 ーーー
ー産経抄

「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく言ったものだ。
頼みもしないのに受信料をとりにくるテレビを筆頭に、
各メディアがサッカーW杯に出場した「青きサムライたち」をこれでもかと持ち上げ、
膨らみきったジーコ・ジャパンへの期待は初戦の完敗でみるみるしぼんだ。
 
 ▼にわかファンたちが口角泡を飛ばす居酒屋談議では、梅雨で曇り空が続くのも、
株価が乱高下するのも、少子化に歯止めがかからないのも、みんな下手な采配(さいはい)
をしたジーコのせいだ、と言わんばかりの勢いで批判の矛先が監督に向いている。

 ▼もしあのまま1−0で逃げ切っていたら、同点にされたあと、
駒野が相手ゴール付近で倒されたときに主審がPKをとっていれば、ジーコは勝利を呼びこむ
「サッカーの神様」として褒めそやされていただろう。
勝負ごとはやっぱり勝たねばならない。

 ▼サッカーと戦争を比べるのは不謹慎極まりないことぐらい百も承知の上だが、
敗戦がどれほどみじめかはサッカーファンならずとも身にしみる。
戦後60年以上たっても、首相が靖国に参るだけで他国から悪罵を投げつけられている。

 ▼中国や韓国が「軍国主義の復活」と言い続けるのは両国の国内事情もあろう。
それより理解できないのは他国に迎合して、無宗教の追悼施設をつくるため首相の靖国公式参拝を
「憲法違反の疑義がある」と明記した中間報告をまとめた
「国立追悼施設を考える会」の議員たちだ。

 ▼このヒトたちには、「靖国で会おう」と国や家族を守るため心ならずも
散華した人々への感謝の念があるのだろうか。
 会長は下半身スキャンダルで週刊誌をたびたびにぎわしたセンセイである。
 少なくとも小欄は、こういう人物に靖国問題について指図は受けたくない。    
               (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・
2005年06月19日(日)
1538, 銀座24時-女たちの戦い

昨夜のTVスペシャル
ードスペ!「欲望の巨大街・銀座24時-女たちの戦い」
銀座の象徴・“高級クラブ”の舞台ウラにカメラが潜入!!ー
というTV番組の見出しにつられてみた感想である。
二時間という時間がアッという間に過ぎ去った。
次から次へと、多くのケースを映し出したからだ。
人間観察という面で、人間社会を赤裸々に見せてくれる世界である。
[高級クラブ・内幕もの」は随想日記でも何回も取り上げたが、見ている分には面白い。
この不景気で銀座のクラブの多くが淘汰されたが、
その中にあってしぶとく生き残っている店があるのだ。

まず一番印象に残ったのが
ー30歳新人ママ…涙の生き残り大作戦であるー
昨年11月にオープンしたクラブに半年間密着したもの。
その店を仕切るのは、同じグループ店のナンバー1ホステス。
一般ホステスと、ママの立場の違いを開店前から映し出していた
オープン時は、彼女を目当てに客が押し寄せる。
しかし高級クラブ業界では、開店3カ月までは"ご祝儀黒字"。
それ以降に店の真の評価が分かるものだ。
正念場を迎えた新ママに、ホステス同士の内紛というトラブルが降り掛かる。
さらに、黒服といわれるスタッフ役の男達とホステス達とのトラブルが発生。
黒服の長であるマネジャーといわれる立場は、オーナーである会社側にある。
雇われママはホステスと黒服との間で苦闘する。
それらの多くの障害を一つずつ乗り超えながら、店を切り盛りする。
そして、一人前のママに育っていく。

一晩で、数百万をつかっている生の現場をカメラは正直にとらえている。
数万もするドンペリが、どんどん注文される。
果ては百万のドンペリを注文した場面もあった。
また、誕生日に100万の指輪に10万の花を添えてホステスの贈る場面も。

また、あるホステスが給料明細も公開した。
時給4万円、それに指名料が加算される。

24歳のホステスと、27歳のモデルのお客の奪い合いの実態を冷酷に追っていた。
黒服が辞めたホステスの客を、二人のホステスに競わせるのだ。
銀座クラブの掟として、店では客の馴染みホステスが決まると
「永久」に固定化される。
しかしホステスが辞めた場合、客に指名権が与えられる。
店として、それを争わせる。
そのプロセスをお客に楽しませるのだろう。
そこで、あらゆる手段で指名権を得ようと店の外で女の争いが始る。
結局は、新しく入った27歳のモデルが勝ちを収める。
下手なドラマよりズット迫力があった。

TVでは取り上げることの出来ない「下ネタ」が、背後にあるのだろうが、
まさか茶の間には出せない。実際は凄いのだろう?
エログロ番組になってしまう。
早朝から、こんなことを書いている自分が面白い?
いや、馬鹿か!

・・・・・・・・
2004年06月19日(土)
1173, つれづれなるままに

・先日、競売物件の新聞公示欄を見ていたら、近くのホテルが売りにでていた。
富士銀行が80億の金を出したホテルで何と3億1500万の値段であった。
金に余裕があったら買いたいぐらいだが、色いろ権利が入り組んでいて力に余裕
がないと手を出せないのが残念だ。バブルの大きな傷を残した一つの事例である。
それにしても、この差額は実際誰が損をこうむるのだろう。
間接的に国ー国民なんだろう。
二年前に、このまん前のホテルも20数億が3億5千万で、競売が落とされた。

・最近、昼飯を食べにいってもお客の少ない。
そういえば、私も昼飯の単価が2〜3割も下がっている。
近くに牛丼の「松屋」ができ、他がランチの値段を下げた為だ。。
・一昨日は、宅建主任者の3年に一度の講習会。
長岡郊外のハイブ長岡であった。大きな会場で500人位が受講していた。
初めて時計を持たずに行ったのが正解で、あっという間に時間が過ぎてしまった。
危険物取扱者の受講もそうであったが、真面目に講義を聞くのがポイントである。
せっかく時間を過ごすなら、その時その時のテーマの中心から目をそむけないのがよい。
宅建の内容は聴いていて面白い。 法律の改正の変化が世相を現している。
何事も、まともに聴いているとなかなか面白いものだ。
大學時代がそうであった、授業とは面白くないという概念が根本から崩れた。
特に専門コースに入ってから面白くなった。

・・・・・・・
2003年06月19日(木)
806, 『自分様と馬の骨』 読書日記
 〜なぜ認められたいか? 〜

「ぶざまな人生」「わたしを認めよ!」「まれに見るバカ」
等、彼の文章のタッチの面白さに、次々に買って読んだ。
人間の一番の本音をあまりにもシビアに書いている。
先日、図書館でこの本を見つけたときは、しめたと内心叫んだ。
早速読んでみるとやはり面白い。
「わたしを認めよ!」の続編であり、何ともいえない力がこもっていた。
彼のいっていることは別に難しいことをいっているのではない。
・自分を持して一生懸命に生きればよい、
・ダメならまた自分を立て直してやり直せばよい。
 たとえそれがぶざまな人生であっても。

 「懸命に生きる」とは「自分ひとりの関係」である。
それが自分ー自分様であり、自己が自分になっていくことだといっている。
人間は自分はとるに足りない馬の骨と思うことに耐えられないのだ。
特に比較において。
友人との年収の差、学歴の差、同業他社との利益の差、性経験の差において、
馬の骨として、耐えられないのが人間であると主張している。

 創業を経験すると、人間観が変わるーこれは私だけでないと思う。
自分の骨の髄のエゴイズムを知ることになるからだ。
その骨の髄のエゴイズムから、出発をしなくてはならない。
それを嫌というほど、自分に対して思い知ることになる。
表層で生きている人は、創業のそのリアルな姿を見て冷笑する。
しかし、自分がその立場になれば全く同じ利己主義に落ちざるを得ないことに
気がついていないのだ。また環境がそこまで追い詰めない。

創業は自分ひとりになって、その一人の内語から出発をする。
自己から自分へのプロセスの始まりである。
馬の骨からおれ様への本質的な転換を事業で始めることだ。

ー「自己」と「自分」のちがいについて書いてあるのを少し抜粋してみるー
「自己」とは匿名的個人のことである。
それゆえに、一人ひとりの「自己」は同等の存在価値を持つ。
世界の人口の数だけ「自己」がいる。
他方、「自分」とは何々の某という名前を持った、世界のなかでただ一人
の、この自分のことである。この「自分」に価値がある。
・「あなた」も「わたし」もおなじ個人だから、おたがい大切というのが「自己」
・「おまえ」は「わたし」でないから、「おまえ」がどうなっても知ったこたない
 というのが「自分」
この二重性を生きているのが人間である。
 ー以上である。
何故ここであえてこの問題を出すかというと、「他人とは何か」を知ることが
生きていくうえの一大事である。それが自分を知ることになる。
その自分の骨の髄はエゴイズムー利己主義でしかない。
そこのところを知らないと、自分の中の悪魔と神と出会うことがない。

・・・・・・・・
『自分様と馬の骨』
 勢古浩爾 著 長岡中央図書館
 2003年6月15日
◆◆内容紹介◆◆

「仕事のできない奴だと思われたくない」
「ブサイクだなんて陰口を叩かれたくない」
「小心者には見られたくない」
……かくしてすべての人間は生まれてから死ぬまで、
こう叫び続ける。
「俺(私)は馬の骨なんかじゃない!」。 そして、「俺(私)が馬の骨」
ではないことを、両親に、恋人に、友人に、上司に、同僚に、果ては見ず知らずの
他人にまで証明し、認めてもらおうとする。
お化粧・ネクタイ選びといった一般生活上の行為から
プチ整形・暴走族といった現代の病理、宅間守・造田博が犯した犯罪までが、
この考え方と深く結びついていると著者は述べます。
これこそが著者曰く「承認論」!
歯切れよく過激にして、斬新軽快な評論です。

・・・・・・・
2001年06月19日(火)
[57] 3D-ホームページ

今日は午前、午後パソコンずけだ。
午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと
3d開発の増嶋さんだ。 そして夕方はパソコン教室だ。
パソコンはやはり凄い世界だ。

このホームページの作成だけでも、背後に多くのエネルギーが入っている。
何気なく見過ごしている中に、情報がびっしりつまっているのだ。
情報革命は時代を大きく変えるだろう

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