2001年06月23日(土)
[61] 小泉総理メルマガの紹介 らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ] ● 感動のスポーツ
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● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣)
藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中 で、衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、 上司の助教授に呼ばれた。
「宮川村は三重県一の短命村、その調査に一年ばかり行ってはどうか。」 行ってはどうか、は「行ってきたまえ」の命令に等しい。
平均寿命35歳の短命村へ、結婚間もない私でしたが、妻を残したまま、 赴任した。
調査とは名ばかり、宮川村の一番奥に旧大杉谷地区があり、約千名の人口 に一カ所の診療所があった。その診療を行いながら、短命の調査研究をやれ というのだ。
赴任したのは五月の中頃だったと記憶している。診療所は村立で看護婦さ んが一人、事務員さんが二人、私の食事や洗濯をしてくれる人が一人、四人 で私を迎えてくれた。診療所の二階が私の住処で、お茶を一杯入れてもらっ たところで、患者さんの第一号が来たという。
泣き叫ぶ子供の声に驚いて診察室に入ると、小学校六年生ぐらいの男の子 が床を転がるようにして「痛い、いたい」を連発している。聞けば、耳にコ ガネムシがはいったという。
右耳を覗くと、大きなコガネムシがお尻を外にしながら、外耳道いっぱい に入っている。「どうしましょう」看護婦は私の腕を試すように見ている。 ピンセットでコガネムシのお尻を摘もうとすると、ツルッとすべって、ムシ はさらに前へ進もうとする。前に進むと、少年は悲鳴をあげて転がった。
小児科でも耳鼻科でも、コガネムシが外耳道にはいった治療など、習った ことはなかった。四〇キロ四方、医者なるものは私一人しかいない。「どう すべきか」患者や家族より、自分の方が心細くなってきた。
「水を入れたら死なないか」私の言葉に従い、看護婦は水を入れたが、水 がコガネムシの頭の方へ入っていく隙間はなかった。
一呼吸して、看護婦は手際よく小さい注射器を取り出し、「麻酔液を入れ ましょう」そういってコガネムシのお尻に注射針を刺した。すぐにムシは動 かなくなり、痛みのなくなった少年は起きあがり、看護婦は巧みにコガネム シを引き出した。
以後一年半、私の滞在期間中「婦長さん」と呼び、常に頭が上がらなかっ た。このときだけでなく、何度も「婦長さん」に助けられて、急場を凌いだ ことがあった。
私にとって、医学部のどの教授から教えられたことよりも、この「婦長さ ん」から教えられたことの方が多かった。お世話になったから言うわけでは ないが、激務の中で知恵をしぼる看護婦さんの待遇はもう少し考えなければ ならない。
現在の保険点数は看護婦さんの頭かずだけを決めている。その仕事内容を 評価すべきだ。医師と看護婦、その教育に違いはあるが、それにしても評価 が違いすぎないか。看護婦さんが辞めて行くのは何故なのか。
今、私の考えなければならない仕事の一つである。
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