くるりのことと、ぐるりのこと。 |
最近はまたまたくるりをよく聴いております。 わしがくるりを一番よく聴いていたのは2000年前後くらいで、 当時はよく新幹線で遠方に通っておったので、 帰りの新幹線でよく「ばらの花」を聴いていた。 その頃はCDウォークマンできいていたよteam rockを。 ああ、時代を感じるなあ〜、CDウォークマンってとこに。
新幹線がゆっくり走り出すペースとばらの花の始まりが よくマッチしていて、新幹線走り出すたびに涙がつーっと流れ出したもんだ。
それからいろいろあって、敢えて積極的に「ばらの花」を聞こうとしなかった。 (ベスト盤流しっぱなしの時などは別) なんというか、この曲にずっと対峙できなかった。 いい曲であるし、何度も聴きたくなる曲なのだけど 私はこの曲の持つ背景(ってくるりが提示しているものではなく、自分がこの曲に関連付けている背景ね)を、いらない、と切り捨てたのだ。逃げ出したのだ。 だからこの曲を「いい曲だ!何度でも聴きたい!」という資格などないのだ。 という思いと また、この曲は、どうしてもあの頃を思い出させるから、 やっぱり素直にいい曲だと言い切れないなー 意識的に聴かないに限るわ。 という思いがありました。
が、時を経て、 先日、友人らとのカラオケで「思い出の歌をうたおうぜい」という感じになって、 わしが選んだのはこの「ばらの花」でした。 なんかすーっと選べた。今までさんざん思っていた躊躇がなくなった。 悪い思い出だろうといい思い出だろうと、印象に残っている曲には変わりないし、 私の思い出がよかろうが悪かろうが、この曲がいい曲であることには変わりない。 そして、私が聴かないでいなくても、この曲はずっとあり続けたのだよなー 消えることなく、残り続けてたのだよなー。。
つうわけで、やっと普通に歌えました。 聴きました。 (カラオケでくるりの曲歌うってのも初めてだったけどな!)
やっぱりいい曲だった。 よく聴いていた当時よりもずっといい曲だと思った。 サビの部分以外がズシンとくる。沁みる。 遠回りしてまた転んでとか、弱虫過ぎて踏み込めないままとか、ああ。 それは私が知らず知らずのうちにやってきたことだった。 新幹線で通っていた頃もそうだったし、普段の生活のときもそうだったし、もっと遠方に通っていた頃も、ずっとずっとそうだった。そして、弱虫過ぎて踏み込めないのは、相手に対してもそうだったし、何よりも自分に対してそうだった。
いろいろな時を経て、ようやく私は自分に踏み込みつつあるのですがね。 周りからは全然わからないかもしれないけれど。 少しずつ。
この曲から離れていた間があったから、私はこの曲を真に理解できたのかな、と思った。
と、くるりの話が長くなりましたが、ほんとに書きたかったのはこっち! 映画「ぐるりのこと。」を見てきました。 http://www.gururinokoto.jp/
子供を失ってしまって、精神のバランスを崩していく翔子(木村多江)と 女好きで頼りないけれど、彼女を思い続け、支え続けるカナオ(リリー・フランキー)という夫妻の1993年から2001年までの軌跡を描いた映画でございます。
たまたま公開日にCMで見かけて、なんとなく「今、私はこれを見なきゃいけない!」という気がしてた映画だった。久々に映画に呼ばれた感じがしてましたよ。
で、見てみた。
苦しくても、つらくても、不安になっても、絶望を感じても。 自分が無力であると感じても。 なんともできないとしても。 どんなことがあっても、逃げないということ。 どんなことがあっても、自分から手を離さないということ。
一緒にいるということは、物理的なことだけじゃないのだな。
途中、翔子が 「ちゃんとしなきゃいけないと思ってたのに、できないの。 もっとうまくできると思ってたのに、できないの・・・」 「隣にいるのに近くにいる感じが全然しないの なんにも言ってくれないから、わからないの」 「なんで私と一緒にいるの・・・」 と、テーブルの脚にしがみつきながら、ものすごい大泣きで、鼻ズビズビで、まさに「泣き崩れる」という言葉どおりに叫ぶシーンがあるのだけど、
あーオデもこんな思いで、こんな風に泣き崩れたことがあったなあ。 人には決して見せられないくらいに、みっともなくなったなあ。
と思って、映画館なのにみっともないくらいに泣いてしもうた。
で、カナオが「いろいろ考えすぎだよ」と言って、
「好きだから一緒にいたい。それでいいんだよ。」 「みんなに嫌われたっていい。好きな人にいっぱい好きになってもらえればいいんだよ」
ということを、翔子の背中をさすりながら言うのだけど こっちの気持ちも痛いほどにわかって、涙倍増(当社比)。 もうちょっとで声あげて泣くとこだったよ。 映画終わった後、トイレに駆け込んだらマスカラとアイシャドウが全部落ちてた。 ゴスの人みたいな顔になってましたわ。 キュアーのロバート・スミス状態だった。
翔子のようなわたくしですが、カナオのようになりたいなと思いました。
それにしては自分に自信がなさすぎた。 私を離さないで、って人に求めすぎた。 まあ、今はちょっと変わって、 何があっても私は離さないから、逃げないからと思っている。 だからそれだけ自分も相手も自由にしようと決めました。 たとえ周りにみっともない、痛々しい、見てらんない、と思われようと。 周りが私をどう見るかは、どうでもいい。 私が私をどう見るかに比べたら、 ちっとも重要じゃない。 それが、私が相手をどう見るか、に繋がっていくのだから。
そういう境地に至ることが出来たのは、自分に向かって一歩踏み込んだからなのかな。踏み込むことで、受け入れることで、自分の本当の気持ちや、どこに向かいたいのかが、わかってきたからなのかな。 私は、弱虫になるのをやめようと努力中ですよ。 自分を恐れないこと。何があっても、自分から、自分の本当に思う気持ちから逃げないこと。 それを実践していくことで、相手と、相手の本当に思う気持ちを逃げずに受け入れていくことができるのかなと思ってます。(それが自分にとっていいものであっても、悪いものだとしても) まだまだ道の途中だけどね。
あと余談だけど、リリー・フランキーって全然いいなあと思ったことなかったんだけど、ぐるりのこと。の最初のほうで、全裸で台所で水飲んでるシーンがあって、その後ろ姿にドキッとした。 セックスのあと、裸(むろんフリチン)で台所や洗面所うろつく男の後ろ姿が好きなんだなー、わしは。
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2008年07月03日(木)
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