股・戯れ言
BBS

下流社会大甲子園、大敬遠

先週末、久々に従姉妹に会いました。
半年振りくらいの再会。半年振りの再会なのに
「最近さーメダルゲームにはまっててさー」
と言うので、「そういえば私も今年の初めに福岡行った時メダルゲームはまったわ。で、何にはまったの?」と返したところ、
「メダルの達人!」
「うわー私もメダルの達人なんだよ!(ここ参照)」
という一致をしました。
以心伝心なイトコなのです。
ちなみにばあちゃんの誕生日プレゼントを買っていったのですが、箱を開けたとたんにイトコ爆笑。
「まるっきりおんなじ服買ってプレゼントしたわ」
だと。ばあちゃんもおじさんも苦笑しておりました。色もサイズも買ったとこも一緒というマヌケぶり。津田沼で買ったからなんだが。
ほんとにどこまでも以心伝心。
夜中というか朝まで
「孔雀王(三上博史版)がDVD化されないのは納得いかねえ」
「孔雀王の何がいいかって、安田成美の足手まといぶりなんだよね」
「この世で一番しんどい刑罰は『長渕剛を長時間ヘッドホンで聴かされ続ける刑』」
「『卒業旅行〜ニホンから来ました』は早すぎた電車男。電車男より5000倍くだらなくて最高」
「サッカー日本代表のGKは未だ松永しか知らない」(イトコ談)
などというくだらない話をしておりました。
身長170センチ、千原ジュニア似(化粧をすると日出郎似)一児の母ですが、最高のイトコです。
そういや最近、本やマンガを読んでよく思っていたことなんだけど、「私/僕は昔、自分の趣味を理解してくれる友達が周りにいなかった」という旨のことが書いてあったりすると「うーん確かに私の周りもいなかった気がするが、そんなに困った記憶はないなー」と違和感を感じておったのです。そらそうだ。私は案外、昔からアホなものに興味を持つアホな人に恵まれていたからなあ。イトコなんて生まれた時からの付き合いだしな。あと姫御(ピッコロと結婚したい女)なんてのも昔からいるし。大学なんかに放り出された当初はキャンパスにいる全員が敵だと思っていたりしたもんだが、気がつきゃアホウな友達に囲まれていたしなあ。
って友達いるゼ自慢ではない。(大体イトコは友達じゃなくて親族だしな)
思うに、「私は友達がいません。いなくても平気な私」だとか「友達なんかいないほうがいい。私、媚びないから」だとか言っている人てのは自分から作らない方向に仕向けているんだろう。他人と触れ合うと、相手も受け入れなきゃなんねえからな。そういう余裕が1ミリもない人が言う言葉だと思う。ベタベタで言うのもこっぱずかしいが、くだらねーことから自分内重大機密まで受け入れてくれる友人はいいよ。世界中で自分がひとりぼっちなような気がしていて、死にたいほど自分最低と思っていてもそういう友人がいるだけでひとりぼっちではないと思えるから。恋人や配偶者もそういう位置にいるかもしれないが、それとは違う。簡単に言うと「自分と同じくらいバカでノイローゼのようなことを考えている人間が他にもいるのか!」という感覚。
そしてそういう人ほど「群れてる奴バカ」という烙印を押したがるけども、群れているという感覚とは違うんだよなー大体イトコにしろ姫御にしろ大学ン時の方々にしろ、今の近しい友人らにしろ「継続的に会う」というのはないからなー気が向いた時に連絡して「最近会ってないからメシでも食わねぇ?」って感覚だからなー。それは私がダラダラしやすい性格というのもあるんだけど。周りも私の負けず劣らずのダラダラ人間かつ時間守らない人間だし。(これ読んでる人で身に覚えがある人も多かろう)
くだらないことを自分と同レベルで話せる奴らが好きだ。見下すとか見上げるとか、かっこつけるとか見栄を張るとか卑屈になるとか劣等感抱くとか、そういうのが全然ない同じ目線のアホウが好きだ。大好きだ。少しでもそういうのを相手が感じていたりすると気づくし、自分がそういうのを感じていれば不毛な付き合いだなあと思ってしまう。もちろん、社会においてはそんなのはよくあることだし、社会人でありますのでそれに対応して人付き合いしている部分もありますが、前述の方々はそういうめんどくせーことがないからいい。
私はできるだけ気を使う付き合いは排除していきたいのだよ。って、最大の気を使う付き合いは恋愛事ですがね。めんどくせ。主に自分が卑屈にならされたりするのが。
でもまあ、やるために気を使ったりするのはしょうがないことだと思う。ある種の礼儀ですから。しかし、やる/やらないというわけでもないのに気を使わせる人間はもう付き合わないでもいいやーと思う今日この頃(仕事以外)。「私を認めて」「私をスゴイと言って」「私をチヤホヤして」オーラ全開な人はもう、いい。それはてめえの男なり女なりに求めなさい。そんなこと友人関係に求めちゃいけない。どうしても求めてしまう人は「私は群れているような普通の女たちが嫌いです。友達なんか必要ない」とか「私は他人とは違うの」とか言い続けていいよ。俺が許可する。




で、そのイトコと土曜の夜に「大慶園」に行ってきました。無論「メダルの達人」をやるためだ。
初めて大慶園に行ったのだけど、メダルゲームやり放題めちゃくちゃおもしれえ。たまんねえ。
8ヶ月ぶりくらいに「太鼓の達人すごろく」ブームが来ましたよ。またゲーセン通いしちまうよ。
そして田舎のヤンキーの多さにびっくりしたわい。まあある程度は予想していたけれど、どこもかしこもヤンキーカップル(もうすでに夫婦だったりするのも多そう)だらけでした。
メダルコーナーなんてジャージ率ハンパないから。あと驚いたのは子供の多いこと多いこと。我々が行ったのは21時過ぎで0時前に帰ったけど子供が走り回りっぱなし。私の横で太鼓の達人すごろくやってた男の子は6歳くらいで茶髪・後ろ髪長い系(川田やマイティ井上ばり)・下品に「DOG」と裏にアップリケしてある白いジャージ着てたから。ヤンキー英才教育。土曜の昼はイーオンのモール、そして土曜の夜はファミレス・ドンキ・大慶園てのが定番コースなんだろーなー。下流社会は下流社会で循環するんだなー、としみじみ思った。
まあ、どこもそうなのですがね日本中。そこに県道がある限り。
前も書いたけど、日本の「ストリート」は「国道・県道」、そして日本の「路上」は県道沿いのコンビニ、ファミレス、ゲーセン、パチンコなのだよな。ケルアックもビックリだ。まあ、私は日本中のそういうところを見ていたい人なんですがね。そして私らもイトコの子連れだったから日本の「路上」の一員なんですがね。立派な下流の一員なんですがね。わしなんかイトコの子に「UFOキャッチャーでチュッパチャップスやって」とせがまれて「買ったほうが安いだろうが」と怒りながらも数百円出しちゃったから。んで一個も取れなかったから。(あとでイトコに「出さなくていいんだよ」と怒られた)
最近思うが、「自分は下流の一員である」と自覚するとそれなりにどうでもよくなってくるな。いろんなことが。
今「下流あやうし!」などと騒いでいる大半は自称中流の人たちなんだろう。日本には階層がある。あるのはとっくにわかっている。しかし、はっきりと線引きされたら下流に入っちゃうんじゃないかとうっすらわかっているような方々。そういう人たちほど下流の線を引きたがる。自分とは関係ない世界だと片付けたがる。
下流の人たちって、そういうこと全然心配してないんだよなー。そういう本読まないしニュース見ないから。あと下流は下流で循環してて、他の階層と触れ合う機会がないから。でもそれを「かわいそう」とか同情もしないんだよなーそういうところなんだもの。そしてそこは十分おもしろいんだもの。私はこういう文化を全然否定する気にならない。むしろ自分の中途半端振りがうっとうしいくらいだ。何度も書くが、日本の大半は下流文化でできてるんだよ。そういう風に先人たちが作ってきたんだろうが。そういうとこに皆何かしらつながりを持っているだろうよ。自分にもそんな下世話で下流な部分があったりするだろうよ。私は下世話で下流な人間だが、全部がそれで構成されているわけではない。皆平等に下世話で高尚だと思うのですよ。すべてを記号のように一編通りに見ちゃいけない。
物事も人も相反してて全然構わない。バカでどうしようもなくてもだからって見捨てるようなこともない。むしろそうじゃないとつまんねーよ。相反してるからずっとこいつとは付き合っていきたいって思えたりするんだからなあ。飽きないんだからなあ。変わったり変わらなかったりするのを長時間見守ったり見守られたりするんだからなあ。
きっとあんた(誰だ)も私も同じくらいどうしようもなくて、くだらなくて、でも最高な奴なんだろう。知らないけど。



話がだいぶ脱線した。なんか久々に「スティービー」見たくなったわ。
DVD化されたのかな。

2006年10月24日(火)

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