股・戯れ言
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ゆきゆきて、フリーダム

奥崎謙三死去かー
享年85歳。
私のじいさんも今年死んだけど、奥崎謙三とは5つしか違わなかったのだな。
ほぼ同世代と見てもいいだろう。ちなみにうちのばあさんは80。これも同世代とみなしても構わないと思う。
そういえば今年は終戦から60年か。奥崎謙三がニューギニアで陸軍上等兵だった時と今の私の年齢は同じだ。25なんて、結構分別のつく歳なんだけどな(自分を棚に上げてみた)。いや、奥崎が従軍してたのはおそらく20頃からか。
こんだけ狂った人間を産み出した戦争は強烈でインパクトがでかくて人に悪い作用を与える。価値観を完全に崩壊させる。
キレイ事を言うつもりはないが、戦争はよくない。

うちのじいさんは死ぬ前からボケ気味だったけど、口数が多くなかったのでまだよかった。
ところがうちのばあさんは口数が多い。機関銃のように喋る。「ジーリーグ」
「ボール前蹴ってくやつ」(サッカーのことを言いたかったらしい)という風に間違ったことを喋り続ける。
そんなばあさんも、じいさんが死んでしまってからは一気に奥崎謙三方面まっしぐらで大変だ。前はそうでもなかったのだが、最近は戦中戦後(直後)の話をぶっぱなしっぱなし。何十年も前の恨みを持ち出して大騒ぎするという具合。
最近は「××からテレパシーが飛んできた」とか急に言い出して失踪とかしたし。
トーリーコーじーかーけー

身内を笑い者にするつもりで書いたわけではない。
前にも書いたがうちのじいさんは従軍はしていないので(技師として上海・満州に行っていたけど)うちは一見、戦争とは無関係のように思えるのだが、ばあさんの話を聞いたりしていると戦争の爪あとを感じざるを得ないのだ。
「防空壕に隠れた」だの「あたり一面焼け野原だった」だの「近しい人間が亡くなった」だのという直接的なものでない。そうじゃなくても戦争ってのは
「否応なしに奪っていくもの」
なんだなと思うばかりだ。
その対象は命だったり金だったり土地だったり正気だったり様々だ。それらを否応なしに奪っていく、目に見えない、理不尽な現象。災害に近い。大量通り魔殺人にも近いな。すなわち宅間守にも近いってことか。
戦争は普通の人間も皆宅間守にさせられちゃって、同時多発池田小学校事件が起こっちゃっていることがむしろ「普通」になっちゃうから恐ろしい。
そしてそれに関わった人間は、無意識のうちにその理不尽な現象に影響を受ける。
その一番極端なパターンが奥崎謙三(デフォルト狂気×狂気∞)なのだけど。

って半分笑い話気味に書かないと恥ずかしい主張ですね。
でも本当に戦争はよくない。
今戦争が始まったらいやだなー。私から旅の楽しみが奪われていくもの。
新幹線なんかすぐ爆破されちまうもんな。いやだ、絶対反対。


話は変わりますが、先週末はネタ・戯れ言にも書いたとおり、喧騒とはかけ離れた静かな週末を送るつもりだったのですが、またもや酒飲みすぎな週末を送ってしまいました。
日曜は仕事だったので遅くまでは飲まない(だいたい午前2時くらいで打ち止め)つもりだったのだが、以前も行ったことのあるおかまパブのママにバッタリ会ってしまい、「あーらー、後で来なさいよぉ」と乳首つつかれながら誘われたので入店。
おかまショーも見たのだけどこれが賑やかで下品。
ああ、このくだらなさはたまらん。
私はこういう、「ジェンダーを自由に行き来できる人」というのが好きで好きでたまらないのです。憧れるなあ。私は男はいいなーと思うけれど、生理の面倒くささ、生理痛のうざったさも捨て切れやしない。女な自分は普通に受け入れてるし。
男が羨ましいと思ったり口にしたりすると眉をひそめる方もいらっしゃるが、いいじゃねえかよ。
女であり男でありたいのだ。
昨晩の赤犬ライブで赤犬アキラ氏が言っていた「ぼくは処女になりたいんです」というMC。ちょうどそんな感じだ。深い意味はない。精神の幅が女部分だけじゃつまらないし、男部分だけでも足りない。どっちも楽しみたいのだ。
実際どっちも持っている人(肉体とか、精神とかだけでなく心の幅として)は豊かですよ。飽くなきチャレンジ精神の人が多いですよ。
そんなの気持ち悪い、嫌悪感200%という人もいるだろうが、そういう人は片方側のエキスパートになればいいさ。文字通り「男を磨く」「女を磨く」というやつを。ただし中途半端じゃなくてとことん「男根主義」「女陰主義」を目指して欲しい。(男だったら女性を見たら「アナ」と呼ぶとか、女だったら男性を見たら「サタンの杖」と呼ぶとか)

私はそんなの了見狭くて窮屈ぽいのでイヤだけどね。
2005年06月27日(月)

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