母さんいい加減あなたに怒られたことを達成しました |
ちょっと、ちょっと!どこのカジュアル出勤している○川部長(うちの会社の人)なのかと思ったら ジミー・ペイジだったよ!
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外人のおじいさんと日本人のおじいさんて見てて区別つかないね。○川部長はジミー・ペイジよかバーコードで46歳だけど。(酔っ払って「部長、ヘアスタイルが乱れてますゾ!」と言ったら最後のほうあからさまに避けられた)
いやーしかし昨日の「教育ママが7歳男子をコロス」事件は私と妹の間で大ヒットな話でございました。笑い話じゃないんだが、うちの母もヒステリックで、水泳に行きたくないと駄々をこねると殺されかねないくらい叩かれたものですから。 水泳に関しては、なんの特訓だったか今でもよくわからないんだけど、家の床をひたすら泳がされたりしてひざだのひじだのが摩れて痛かったのなんのその。で、バタバタとしたりするもんだから下の家から苦情が来て「バタ足で泳ぐ(注意:家)とダメだから平泳ぎの特訓!」と匍匐前進のような平泳ぎをひたすらやらされたんだった。 その他にも泣きながら乗れない自転車で走らされたり(その結果眉に傷)、泣きながら乗れない一輪車に乗らされたり(その結果足をつる)、何をやるにしても泣かされる必要がないのに泣かされたものだ。幾つになってもラブ・ジェネレーションな人生。ていうか物凄い勢いでフェルディナンなのな、生まれた時から。 ああ、それでもうひとつ思い出した。 今でこそ暇を見つけては飛び回るワタクシでございますが、小学校4年生くらいまでは外で遊ばない子供だったんだ。人と遊ぶのが苦痛で苦痛で、ひとりでいるのが大好きでたまらなかったのですよ。せっかく呼ばれた誕生日会も家の前まで行っておきながら帰ったことがある。 当時、小学校では4人班で班日記というものを回していて、その日何をしたかなどを書くわけだが、ほかの子は「××ちゃんと○○ちゃんと遊びました」的内容なのに、私は書く内容がなくて困っていたもんである。今じゃ信じられないな自分で。で、しょうがないからどうでもいい本の感想とかなんか空想話みたいなのを書いていたような記憶がうっすら残っているのだが。 そこで、うちの母。 そういう内容ばかり書くのが恥ずかしかったんだろうか、よくわからないが「なんでこの子は友達がいないのよ!!日記に書く内容がないなんて!!」と嘆かれて叩かれて(ビンタ)、毎日「遊びに行け!」と怒られ続けたんだった。 どこの世界に「遊びに行け」と怒る親がいるんだか。うちにいたんだが。
その反動で今は遊びに行き過ぎているわけですが。
あれ?無理に塾に行かされていた少年の心境が書きたかったのに、逆?
まあ、ここまでお笑いのように書いてみたけれど本当はそんなに笑えるもんではないんだがな。「お前なんか死んでしまえ!」はよく言われたし。(特に、運動神経が自分並みになかったのが気に食わないらしい。「お前は不器用、俺は抜群」と俺はひなぎく並みに言われ続けたので、自分は運動が何もできない人間だと思わされ続けた) 正直、それで心に茨を持つオンナ人生が確定したようなもんだが、その後「むしろお前こそ早く死んでくれ!」と言うようになり、現在に至る。親と子って、なんなんだろうねぇ。私はもう親元を離れるべきだとは思ってるけど。(部署移動に伴い、引越し停滞)
で、最近は引き継ぎも終わったため一日中麻雀ゲームしかやってないの。 ケータイで「ぎゅわんぶらー自己中心派」ばかりやってるの。 母よ、立派な遊び人になりました。あんたのおかげダヨ!
明日は大井競馬場行ってくるよ
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2004年04月07日(水)
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