何のざれごとを |
数日前の検索ワードがすべて二文字熟語だったんですが、 そのラインナップが 「中学」「紹介」「拷問」「切断」「男装」「乳首」「逮捕」「傷害」 なんかさ、「次の熟語を使って現代社会の病める30代男性について述べよ」とかいう社会学のテストがあってもおかしくない米。(宅間あたりをイメージ) そんな日記じゃないです「股・戯れ言」。書いてるのは20代女子ですよれっきとした。逝き板を少々たしなんでおりますが。
さきほどナイトホスピタルを見てたら、何らかの病気で田辺誠一が痙攣し、失禁していたシーンが。そのズボンが濡れている様子が、なんかすごくショッキングだった。ここ最近の中で一番のショッキング映像だったかも。作り物だけど。ただのアンニュイ俳優、つうか映画も撮るぜなお文化俳優(でも演技は一本調子)の余裕だか、あるいはそれからの脱却だか知らないけどあれはNGだろう。やり過ぎ。ちょうどいい点を見逃してしまったんではないか。
ところで昨日のリフトでも話題に上ったんだけど、私は珈琲が飲めない。 が、職場には珈琲しか飲み物がないというお粗末状態。いや、お茶っぱもあった形跡はあるのだが皆が珈琲を飲むため自然に寂れていったらしい。今では誰も飲まない始末。しょうがないので自分でお茶を用意していたんだけど面倒なので今は2リットルペットボトル完備になっております。 まさにナンシー関が「何の因果で」で書いていた「コーヒーファシズム」直撃!飲むと気分悪くなるんじゃヴォケ。なんだろう、カフェインとなじんでくれる(?)酵素が欠如してるのか。 小さい頃は親戚の家に行くと「炭酸飲料ファシズム」に直撃していた。私は炭酸のシュワシュワを「からい」というとんちんかんな感覚の持ち主だったのです昔。でもうちのいとこもうちの妹も皆炭酸大好きだったので正月や夏休みなんかに親戚で集まると子供用に用意されるのは決まってコーラとファンタ。しかし炭酸飲めない私を不憫に思ったのか離れたところにバヤリースオレンジが用意してあって、おばさんに「××ちゃんは炭酸からいからこっちね〜」とバカにされながらコップに注がれる屈辱といったら!オマエは炭酸カライなんて思ってもないくせに!というようなことを思ってたような気がする。しかもそのオレンジジュースは私専用という。大人どもが必要以上に「炭酸飲めないの〜アッハッハ」みたいに騒ぐので、最初は何も感じていたいとこたちも「炭酸飲めないの、ダサーイ」と言うようになって、ほんと居た堪れない気分になりました。というか「疎外感」を初めて知ったのはあの時だったような。 もう、悔しくて悔しくて、それからは(家族・親戚の前だとバカにされるのがわかってるので)誰もいないときにコーラを飲んだりしていましたよ。ほとんど飲めなかったけど。しかしそんな努力のおかげか、単に成長したのかわからないが10歳前後から喉が炭酸に違和感を覚えなくなり、小学校卒業時くらいには逆転して炭酸しか飲まなくなったのでした。中学では部活の帰りは必ず炭酸、くらいの勢いに。 で、中3のときに部活内に炭酸を飲めないという子を発見。この子も「炭酸はカライ」と言うので、「あーわかるわかる」と同意した・・・のではなく、「えー炭酸にカライなんて味あるかよ!ダセー」と言ったのでした。このときの優越感はたまりませんでした。上にたつって、こういうことなんだなと覚えたのが「処女/非処女トーク」ではなく「炭酸可/炭酸不可トーク」だったとは非常に感慨深いです。薄っぺらいけど。 それから炭酸中心人生歩んでおります。ファーストフードなんかに入ったときウーロン茶を頼むと友達に「メロンソーダじゃなくていいの?」と聞かれるほどに。炭酸=デブなんて認識がいまや一般的なので怖いトコですが。 そういうわけで炭酸飲料ファシズムはファシズム側に回ることでなんとかなりましたが(いや、ファシズムの手のうちに陥落したってことだけど)、珈琲ファシズムはファシズム側に陥落することなく、抵抗し続けそうだな。なんてったって気持ち悪くなるのだから。
あれ?ナンシー関コラムについて書くつもりが??炭酸ファシズムってなによ?
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2002年12月09日(月)
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