NO EXCUSE |
今日最大の事件といえばなんといっても朝日新聞の小さな記事だ。ともすれば見逃してしまいそうな大きさのその記事の見出しには「米ロックボーカル ステイリーさん遺体で発見」と書かれていた。驚きと同時にああまたか、という落胆の気持ちが一気に込み上げる。こんな気持ちになったのは10年近く前のあの記事を見た時だった。「コバーンさん 猟銃自殺」もっといろんなことが書いてあったけど私にとって一番重要だったのはこの外国人なのに/ロックやってる人なのに「さん」という名称のついている違和感だ。当時のロックが本当に必要だった、思春期真っ只中の私にとってロックスターという人種が朝日新聞に載っているだけでなんで?と疑問を抱いていたというのに、そこにきて死亡記事であり、このさんづけである。 さんがついただけで物凄い距離感だ。そりゃ死んだのだから(元々遠い世界に生きてる人たちだけど)遠い遠いところに行ってしまったわけだけど。でも精神的支柱として彼らは私にとってはすぐそばにいる存在なのだ。だからさんづけで勝手に遠ざけないでくれ。 しかしレインの死というのはそのものグランジの終焉を思わせるものだった。カートコバーンが死んだときグランジは死んだとかなんとか言われていたけどあんなもんじゃ死んでなかったのである。最近はめっきり活動も行われていなかったアリチェン。この沈黙の間にサウンドガーデンは解散し、パールジャムも何やってるのかあやふやな状態。時代の流れもあの頃の流れとはまったく様を変えてしまった。グランジなんて言葉、好きじゃなかったけどやはり私がロックにウワーっとはまっていったきっかけは紛れもない「グランジ」といわれるロックだった。そんな誰もが忘れかけていたこの時期に突然知らされた死は号泣をもたらすものではない。すすり泣きをももたらすものではない。ただ終わったのだな、という実感だけがひっそりともたらされた。レインの遺体が死後数日経過しており、発見された時既に腐敗が始まっていたというエピソードが実に象徴的である。 10年以上前のことが昨日のように思い出される、とかあの頃はすごくよかった、とかいう言葉を聞くたびに私はそんな風にはならない、私は年を取らないと意味不明な自信を抱いていたものだけど今、私の脳裏に浮かぶのはダートを初めて聴いたときの興奮とか透明硬質クリアケースにはさんだケラングのアリチェンの記事だとかロラパルーザに行きたいと真剣に思ってたこと(以前の日記で94に行きたかったと書いたが私的ベストはダイナソー・フィッシュボーン・プライマス・アリチェンの出た93だった。レイジもこの頃のが一番好きだったりする)ばかりでほんとにあの頃が昨日のように浮かんでいる。そしてカートやシャノンフーン、ジェフバックリーが死んだとき(リッチーの失踪も含む)のような絶望と号泣がちっとも湧かずにその死を受け止めることができたというのは「年を取ったな」と受け止めるべきか「成長した」と受け止めるべきなのか、複雑な心中だ。 思えばあの頃のバンドって今ほとんどいなかったり活動休止中(正式発表じゃないものも含めて)だ。そういう意味合いをこめてもフジロックのバットホールは見たいと改めて思った。
なんかあまりにも思い入れが深かったのでつい真面目に書いてしまった。文章とか明らかにおかしかろう。 そして今日は駅のホームに靴を落としたりチャリンコのベルを盗まれたり散々だった。
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2002年04月22日(月)
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