キムタコではないが、プライドということについて考えてみる。
私は割とプライドの高い方だと信じていたが、「世間一般でいわれているところのプライド」という概念を採用して考えると、実はかなり低いのかもしれない。 この「プライドが高い」「プライドが低い」どちらも良い意味ではないな。
低いと思うのは。 プライドを優先してきたというより、その都度こちらへきた波にのればいいやと考えて、乗れたり乗り損ねて失敗したりしてきた。 もちろん乗り損ねると、おおいに意気消沈はするものの、かならずどこかに別の選択肢がうまれてくることはわかっているし、2番目3番目にほしいものだからといって妥協したという思いは日に日に薄れる。 もともと自分が本来こだわってきたものの価値さえ、よくよく考えるとあいまいなものだ。 よくいえばフレキシブル、悪く言えばこだわりがなく確固とした自分の意見がないのであろう。 (見栄っ張りなところはあるが)
そういう自分の性格に嫌気がさしていたが、最近まあいいかと思っている。 いわゆる「プライドの高いひと」ってなんだか哀しく見えるからだ。 いや、プライドが高いこと自体ではなくて「プライドが高いな」とひとに知られてしまうことだ。 負けることを異常に嫌悪する、自分の弱みはどこまでもひたかくしにする、そういう部分は知られることなくさらりとやってのけるとカッコイイかもしれない。 が、「この人これは知られたくないんだな」「これは人にとられたくないんだな」という必死な姿や、現実が見えてない姿を目の当たりにすると、自分も気をつけようという気持ちになる。
ここからは譲れないあるラインというのはだれしも持っているし、必要であるが、特定の人にはそのバーが高いということかな。
今自分が思うのは、そのラインは強く濃くひいておくと良いが、バーを必要以上に高くすることもあるまい、ってかんじ。
プライドの高いひとにどう接してよいかわからず、つらつらと考えてみた。 彼女にとっては、私のほうこそ理解しかねる人間なのだろう。
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哀しいかな、最近体力の衰えをかんじる。 22、23の頃って平日でも終電まで平気で飲んで、終電を逃したら朝まで梅田を徘徊、なんてこともやってのけたが、今じゃとても考えられない。 11時にはおふとんに入って、「眠れるサブリミナルCD」を聞いて、12時には寝ないとからだが持たない。
子供を産むなら早く産んだほうがいいといのもうなずける。
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