法事は滞りなく終わった。 親戚も久しぶりに会ってみるとみんないい人達で、やはり血がつながっているからか、知らない人を見てもどことなく自分らと顔が似ているような気がした。 いとこの子供が超かわいくて、はいはいしていく後をついてまわっていた。全然なかないで、近所の子が乱暴に扱ってもニコニコしてる。べたぼれ。
法事が終わってから、バスに乗ってえらい豪華な昼食を食べに行ったが、案の定お酌をしてまわらないといけなかったので、あまり食べれず折り詰めにつめて持って帰った。 私はますます難聴ぎみで、おじさんの言っていることが全然聞き取れない。外国語のようだ。
せっかく片道4時間以上もかけて行ったのだから、せめてもう1泊したかった。てか、すべきだった。が、どうしても汲み取り式のトイレに慣れないのと、台所が悪夢。ばあさんが「汚ババ」と呼ばれるほどの掃除嫌いで、私も前日パワー全開で台所掃除を手伝ったものの、見てはいけないものをたくさん見てしまった。 腐ったパイナップルについてる虫とか・・・。液体になったなすびとか・・・・・。不快にさせてはいけないので、このへんにしときます。 叔母は毎回キレている。
法事にきていた坊さんは、すごく偉い人らしい。 が、私はここで声を大にして言いたいのです。 聞かれもしないのに、自慢話(と説教)をしてくる人は、どれだけ社会的地位が高かろうと、幅の狭い底の浅い小さい人間に見えると。本当に偉い徳の高い人と言うのは、きちんと相手の目線にまで下りて来る事ができる。経歴や仕事や娘や息子の自慢なんかしなくても、鳥や山や蕎麦の話をしていても、この人は何かすばらしいものを持っているなとちゃんとわかる。 会話が実りあって楽しいのです。
お坊さんは確かに立派な人のようであったが、個人的に話すと自慢説教系のかほりがしてきたので残念であった。まあ、おじさんというものは、どんな職業であれしょうがないのかもしれない。おじさんは大変だな。
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