2002年07月30日(火) |
台湾と陳さんと85歳 |
部屋で転んだ拍子に、ヘッドフォンのコードがまわっている扇風機の羽根にからまって、はずすのに30分くらいかかった・・・・。
7/26〜29までHじさんと3泊4日の台湾旅行へ行ってきた。台湾は思った以上に楽しいところで、住みたいくらい好きになった。人々も香港より商売っけがなく、のんびりしていて愛想がいい。 呑気なうちらは間違って老人用の椅子に座ってかき氷を食べたり、ガイドブックにのっている店に行ったら閉まっていたり、ご隠居のおじいさんを誘って観光に行ったり(ガイドしてもらった)「何歳ですか」と哈日族の女の子に聞かれたりした。ショウロンポウは信じられないほど美味く、タイの椰子の実ジュースは薬のように甘かった。写真もUプしました。
日程をまとめてみる。
7/26 関空から台北空港へ 自由プランだが送りむかえと強制免税店観光はついている。ここで金を落とすことが重要だ。(エージェントにとって)わかってはいたが、お茶をちょこっとだけ買ってまさにお茶を濁す。ガイドの張さんは自分の給与からマージン率までばらしてしまう、根っからの正直者だ。金府大飯店へ到着後、地下鉄にて龍山寺に移動、寺の前で白玉、あずき、杏仁豆腐がたっぷり入ったかき氷を食べる。寺の前でみんながちっこい椅子に座っているので真似したら、じろじろ見られる。よく見るとその椅子は「老人様」。Hじさんと頭をかきながら龍山寺を拝観。みようみまねでお参りする。歩きまわって夜は大衆食堂でタンツー麺と水餃子。辛くてウマイ。お給仕の男の子がキュート。
7/27 陳さんと観光 太極拳を見に、朝から中正記念堂へ。わたしが寝坊したため、期待していたはつらつごお老人は少ない。品川で高松宮殿下にゴルフを教え、北極や北朝鮮、アラスカにも旅行歴のある陳翁を誘って、金山へ。バスで一時間くらい山道をぐるぐる。死にそうに気持ちいい。陳さんはさっぱりした面白いおじいさんで、色んな人に話しかけ、コンビニに入ったかと思うと、いきなり新しいポロシャツに着替えたりしていた。クレオパトラの岩がある海辺で水遊び。暑さでくちをぼおっと開けた観光客がたくさんいた。タピオカ茶はタピオカがたくさんはいっていて、ウマイ。陳さんはさっぱりしているので、お別れのときも「じゃ」と言うだけで振り向きもしない。とてもいいひとだった。長生きしてもらいたい。 夜は台湾のおされ居酒屋へ。しかし、居酒屋店長はコンビの小さいほうみたいだった。ビールを飲んで夢見ごこち。Hじさんに人生相談したうえ、ぱんちゃんへの愛を暑苦しく語る。恥ずかしい。 台湾の男の子は肌がきれいで、かっこいい。かなりこのみ。
7/28 占いと林田桶店 町遊びすると決めていたので、ガイドブックを見てお茶屋さんや桶屋さんへ。ウーロン茶梅がうまい。朝ご飯にピーナツバターを具のようにぬりたくって食パン2枚重ね特製品をたべたのに、すぐにジェラートダブル、そのあと、ショーロンポーで有名な「鼎泰豊」へ。うまい!噂にたがわずウマイ! その後台湾のおされ地区天母にゆくが、ショッピングエリアは日本のものでいっぱい。台湾のおされ小物はあまり見つからなかった。残念。ひらいけんの曲がよくかかっていた。その後、地下鉄とバスを乗り継ぎ、占いで有名な行天宮の地下へ。いるいる、占い師さんがいっぱい〜。Hじさんとわたしは別々の師に見てもらう。四柱推命は生まれた時間が必要なんだけど、聞いてくるのを忘れたので生年月日だけで見てもらったのが残念。わたしが見てもらった先生は計算の結果やアドバイスを紙に書いてくれ、新説!「晩婚すれば、夫は重役になり、あなたは得している」「一生借金の保証人にはなるな」「寿命は85歳で子供は男二人」などのアドバイスをもらった。しかしHじさんなどは社長夫人になるのだという。いいなあ。わたしはあんまりお金がたまらないので、一生働いたほうがいいらしい。えへへ。 その後、町をうろうろして、ハムタロウのハンケチを買い、ホテルにかえってバタンキュー。
7/29 帰国 関空についてから、宇宙レストランにて二時間ほど、Hじさんと反省会。今回の旅で一番こころに残ったのは、「林田桶店」の店主とその息子の力ない笑顔だった、という意見の一致を見た。「桶おおきいですね」と間抜けなことを言ってしまったわたしである。なんとなくヨメに行きたい。
今度は観光地でないところも行ってみたい。台湾に一年くらい住んでみたくもある。ああ旅は愉快だ。
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