ちょっと気になるニュースが2つほど。ひとつは「経産省部長ブログ「炎上」 PSE法巡り書き込み殺到」というもので、経済産業省の現役部長が、役職と氏名を明示して開設したインターネットのブログが「炎上」して、3週間ほどで閉鎖に追い込まれたという話。もうひとつは「ウィニー開発者:「流出は想定外で残念」講演会で主張」というもので、Winny開発者が最近のWinny関連の情報流出にたいして技術的な支援をしたいができない、と言ってるという話。いずれもネットの危険性に関連する話で、「実名出してblog作るんだったら炎上する危険性があることくらい知っとけ」とか、「winny入れたPCで仕事すんなよ」などというとりあえずの反応はまあ置いといてですよ。ま、「ブログ更新が平日の勤務時間内だった」ので「国家公務員法の職務専念義務違反で注意を受けた」というくだりについては、「ブログならまずくてメーリングリストならいいのか」という疑問が起きないわけじゃないですが、それもそれとして。Winny関連の企業の情報流出でも経産省部長のブログ開設にしても、なんとなく共通しているんじゃないかとおもうのは、仕事と私用の区別があんまりついておらんのじゃないか、ということです。公私の区別がしっかりしとらんのはよくない、と学級委員のように主張するのはまあ自由ですけども、しかし実際のところ、企業や官庁というのは、ひょっとすると私的領域をいくらか仕事に提供する人が存在することによって成り立ってきたのではないのかなあと、ちらっと考えております。経産省の部長さんのやったことは結局はかっちょ悪いことになっちゃったわけですが、彼女のblog開設の動機は極めてまっとうなものでありながら、その手段として所属する団体の正式なルートを用いていません。また、PCからの情報流出には、家に仕事を持ち帰っている、あるいは自分のPCの一部を仕事に回している職員・社員の存在があります。現在のような情報化社会でなければ、持って帰った仕事を他人に隠すことは比較的容易だったでしょうし、逆に自分だけで世間へ向けた広報活動を行うことは技術的に不可能であったでしょう。「とりあえず自分にできるからやっちゃう」という態度が、現在の情報通信技術の(よかれあしかれ)進歩と整合的でなかった、というあたりが、この両方の事案に共通しているのではないか、とまあこう思うわけです。
公私の区別がしっかりしてないことは、たとえば会社の備品を持って帰ってきちゃうとか、そういう弊害を生んできたわけでもありますが、しかし逆に、上で述べたような自発的な貢献がなければ、社会が成り立たない部分も多くあったのではないかなあ、と思ったりします。つまり逆に言えば、「私用PCを持ち込んじゃダメよ」といった公私の厳密な分離が、なんらかの意味で生産性を一時的に下げるかもしれないなあ、という話です。もちろん、自発的な貢献が寄与しうる部分が小さくなれば、それが存在していたことが認識され、対処が行われるはずなので、弊害がなくなる分、長い目で見れば公私の区別をつけておくことはよいことなんでしょうけども。
日本でもしサービス残業が多かったとすれば、それもまたこういう話のひとつの側面ではないかと、思ったり思わなかったり。一部の官僚や社員がやたらと働くのは「だって自分でやったほうが早いんだもん。仕事分割するといろいろめんどうだし」というのの反映じゃないかなあと。もっとも、サービス残業の「対価」はまた別の形で支払われているかもしれないですけど。
サービス残業と言えば、高橋陽子の「ホワイトカラー『サービス残業』の経済学的背景―労働時間・報酬に関する暗黙の契約」(『日本労働研究雑誌』 2005年2/3月号(No.536))というのは、平成17年度労働関係論文優秀賞・第1回SSJデータアーカイブ優秀賞・学習院大学学長表彰をとっただけあってなかなかおもしろい論文で、「サービス残業はじっさいはそんなに「サービス」じゃない」という実証分析をしております(たぶん)。サービス残業って異時点間のはなしじゃないかしらん、とおもわないでもないんですがええまあそれはそれとして。っていうか、サービス残業なんかあると、静学的な余暇-消費モデルで所得税の影響なんか考えてちゃダメじゃんともおもうんですが、ええまあそれもおいときましょう。