ある大学院生の日記

2003年04月30日(水) 世に悩みの種は尽きまじ

はい.えーと.「まじ」は否定推量の助動詞ですね.てなことはどうでもいいんですが,これの原典は「石川や浜の眞砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」でした(これによる).そうか,五右衛門か.斬鉄剣ですな.また詰まらぬものを斬ってしまった,でしたな.あれ.違う.そうですかそうでしたね.まあそれはいいんですが,どうにもこうにも決心がつかないところなので睡眠行動への逃避が観察されるところです.そうなのか?サーベイは半分くらいきたかも.遅いな.

で,構造的失業ですね.そうそう.構造的失業と検索とかけると,こんなのこんなのがひっかかるわけなのですが.ふむ.えーとワタクシえらい誤解をしていたのですが,「構造的失業」というのは「経済の構造上,存在する失業」のことだと思っておりました.しかしどうも今日聞いたところによると,構造的失業というのは「構造変化に伴う失業」を言うんだそうですな.で,ワタクシが思っていた失業は「均衡失業」と言うんだそうです.はあ.まあ名前のつけ方の問題なんでどうでもいいっちゃどうでもいいんですが.しかしなんとなくしっくりきませんな.そこらへんの専門家になりつつあるK藤さんがどう思ってるかしりたいところですが.リンク張ったら怒られそうですな.

しかしですね.なぜ失業者がいるかというのをマクロ的に捉えてみた場合,経済も順調で構造変化もおきていないとしてもいくばくかの失業というのはたぶん存在するはずなのですよ.市場は完全じゃないから.なんとなくふらっと辞めちゃうとか,上司と喧嘩してやめちゃうとか,転職の途中で失業者扱いになるとか,漫画家になりたいとかなんとかいう見果てぬ夢を追っちゃうとか,そういう人たちっていつの時代にもいくらかいそうだから,そういうどうしてもなくならない失業を構造的失業と呼ぶのではないかと,そのほうが自然なのではないかと,思うわけですね.新古典派の人が聞いたら怒りそうですが.で,これに加えて経済社会の構造変化の途中,移行局面において失業が一時的に発生するかもしれないし,景気循環によって失業が発生するかもしれないし,と思うわけですよ.ということは,「アンタは構造的失業者だ」と名指しすることはできないし意味がないとしてもですね,現下の失業者の数をこれらの要因に分解することは意味があるのではないかと,ということかと思っていたわけです.で,巷間よく言われるところの「構造的失業の増加」というのは,転職や失職が多くなることによって,たとえ景気がよくなったとしても,あるいはみんながITをバリバリに使えこなせるようになったとしても,経済の構造上−−例えば開廃業率がともに高くなるといった要因によって−−失業率が「定常均衡においても」高くなることを意味しているのではないかと思っておったわけです.サーチモデルのように.つまりワタクシの構造的失業は均衡失業と同義で,さらに摩擦的失業とも同義,だったのですが,どうも違うらしいですな.むむむ.

いやしかし,とくに若者の失業者の一部に世の中に対する甘えみたいなものがあって,「自己実現のため・自分発見のため」にしばらく失業するとかいう現象が起きていることを否定はできないとおもうんですが,まあむしろ,そのような人たちが齷齪と働かなくてもいいくらい豊かな世の中だといえないこともないと思うんですがどうなんでしょう.もちろん人的資本の蓄積が進まないので近視眼的な評価になっちゃいますけども.

しかし,「自分探し」とかいって,探し当てた「自分」なるものがどないしようにもどうしようもないほど取るに足らなくてクダラナイものだったらどうするんでしょうね.「自分」なるものが,いかにもクダラナイことが分かっているからこそあえてそんなものを探さずに,こっそりと生きていくのがオトナな生き方だと思うんですが,そういうのってやっぱり「夢がない」んでしょうなあ.


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