| 2002年05月16日(木) |
社会保険料は25%へ? |
社会保障人口問題研究所の将来人口推計が改定されたことにともない,社会保険料の将来見込みが変更され,保険料がさきゆきえらい上昇することになり大変だ,てなことらしい.日経はこれまで「年金生活者を守れ」とかなんとか言っていた気がするが,ここへきて給付を削って拠出を減らすことを考えなければならない,なんてことを書いている.
アタリマエである.
払う人よりもらう人の比率が増えているんだから,もらうひとが遠慮するか,払う人が我慢するしかない.ただ,もらうひともはらうひともめっちゃたくさんいるわけだから,一堂に会して「あ,いやいやわたしはこれくらいで」とかいちいち相談するわけにはいかず,そのために国会があるわけなんであろう.ま,国会は一般的にはもらうひとの立場の人が多いから,そっちに意見が傾くのはわからんでもないが,それでは「選ばれし者」とは言えんのじゃないかしらん.
しかし,社会保険料が増えると「社会の活力」なるものが失われる,と本気で思っているひとがどれくらいいるんだろうか?あるいは,実証されたんだろうか? もらえる量が確定しないから払う気にならん,というんなら分かるけど.
それにもましてよく分からんのは,「公的年金はいまや賦課方式である」とかいう解説記事のなかに,「社会保険料の高騰を避けるべく,税金の投入もやむを得ず」うんぬん,と書いてあることだ.社会保険が賦課方式ということは,個人にとっては社会保険税なんであって,社会保険料として払うか税金として払うかは名前の問題でしかない.この名前の問題は「誰から取るか」というはなしだから,給付額は一定にして拠出もあんまり増やさずに税を投入,ということになると,もらうはずの受給者はたとえば消費税という形でおカネを返すことになるので,実質的には給付削減となる.もちろん,拠出の側も税を納めるから,拠出も同時にふやしていることになり,拠出もちょっと増やして給付もちょっと削減して,という,きわめて分かりやすい結論を,いたって面倒な方法で実行しているに過ぎない.
まあ,いたって面倒な方法をとって政治的に解決するなら,経済的にはあんまり問題はない(取引コストが増えるけど).
だがしかし,人口構成がかりに変えられないとすれば,もらうひとのうちから,もらわなくてもよさそうなひとにはあげないようにして(公的年金給付課税の強化とか,給付開始年齢の引き上げなど),払う人の負担の上がり方を極力抑えることしかないとおもうのだがどうなんだろうか? で,人口構成が変化できるのだとしたら,あるいは経済成長を変えることができるのだとしたら,そのための施策の思索を惜しまず試作をどんどんだすべきだとおもう.たとえば保育園の整備とか.
経済学的にもそれほど難しい論理ではないと思うのだがなにがいかんのだろうか?
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