Maddalaの質的反応についての本を読んでいたのだが,適当に9章から読み始めたら読み難いし分からないしの連続で,ついでに4限のはじまるときに ひっじょーにいやな気分になったのとで,もうやだ.あーもー.ゼミ(?)で,
Kocherlakota, Narayana [2001] "Money: What's the Question and Why we care about the answer"
という論文の発表があった.Moneyが交換手段としての役割を果たすときには,自給自足よりもパレート改善する,また,主体間に消費意欲の差が発生するときには,非流動的な(illiquidな)債券を導入することにより,中央銀行が市中の貨幣を吸収することで消費意欲の差に応じた消費を行わせ,パレート改善な配分をもたらす,といった内容の論文(らしい).貨幣が意味を持つのは,契約の限定された強制性(limited enforcement)と,限定された記憶(limited recordkeeping)の前提が必要だ,というのは,"Money is memory"(JET, 1998)やなんかの流れらしい.この論文では,さらに流動性のない債券が共存するときにはパレート改善であることを示している,というのが新しいようだ.話はここから最適な金融政策へと続いていくのだけども,流動性のない債券が存在するときに消費水準に差をつけさせることができるのは,債券への貯蓄を促すこと(中央銀行へ貨幣を吸収すること)によるから,いまの日本に照らし合わせるとオドロクベキ結論が得られる.
一時的にデフレが起きたほうがいいのだ.
ここでのモデルでは価格の硬直性がないので,基本的には貨幣の中立性が成立している(とおもう).さて,中央銀行が消費意欲に見合った消費(の配分)を「今日」行わせるためにできることは,債券を発行して貨幣を市中から吸収し,「今日の」購買力を移転することしかない.とすれば,このときには市中から貨幣の量が少なくなるので,物価水準は当然下落する.もちろん,「明日」になれば債券の償還が行われるから,多少なりとも物価水準は上がる(ことが多いはず).さらに,貨幣を市中から吸収するために,中央銀行は,これまたオドロクベキ政策を取る必要がある.
金利を引き上げなければならないのだ.
要するに,(相対的に)それほど消費意欲がないのに消費をするひとがいるなら,金利を上げることで彼らの貨幣を吸収し,物価を下落させ,(相対的に)消費意欲が高い人が「今日の」消費を多くすることができるようにしてしまおう,というはなし.いまの日本の不況が,信用の連鎖の破綻(小林慶一郎さんなんかが主張している)に多く起因しているなら,こういうのもまた処方箋として考えられるかもしれない(かもしれない).どっちにしても,不況なら金利を下げる,貨幣を供給する,インフレを起こす,というのが,理論的に当然の政策提言になるというわけではない,ということだ.ふぅむ.
まあなんにしても,純粋な(?)貨幣の,理論の論文で,政策までひっぱってこれるってかなりカッコイイ論文ではないかとおもう.
あ,このひと,物価の財政理論についても論文書いてる.すげえ.