脳梗塞で倒れた父は、お酒はあまり飲んではいけない、と言われていた。
もともとお酒が好きで、と言っても、その度を越した飲み方で、暴力はふるわないにしても、酔えば大声で絡み、夜中に響く怒声は、子ども心にも恥ずかしく、そして、とても怖く、酔っていないときの父もあたしは大嫌いだった。
しらふでも気に入らなければ大声で怒鳴り、テレビを見て笑っても、うるさい、と怒鳴られ、息を潜めていなければならない毎日は生きた心地もしなかった。
今でも、酔っ払いが大声で怒鳴っていたりするのを見ると、それだけで緊張し、パニックになるときがある。
それほどに酔った父の醜態はあたしにとっては耐えがたいものだったのだ。
そんな父も、体を壊したのを機に、健康のためにもお酒は止める、と約束をしたのだった。
そんなある日、いつもより遅く帰った父は、足元もおぼつかなければ、ろれつも回らない状態で帰宅した。それを見て頭に血が上ったあたしは、無我夢中で父親に殴りかかり、倒れた父を足蹴にしていた。
いつも不機嫌で、いつも怒鳴ってばかりで、いつもその顔色をうかがいながら暮らしていた。その父が、今はあたしに抵抗もせず、されるがままになっている。
そんな父を見て、虚しくなり、あたしは父から離れた。
翌日、身体中が筋肉痛になっていた。それほどまでに、誰かに暴力をふるうことなど、後にも先にもそれっきりだ。
それ以来、父とは、ろくに口も利かず、ただ、それまでの立場が微妙に入れ替わってしまった。
父はそれまでのように威張り散らすこともなくなり、あたしは父に怯えながら暮らすこともなくなった。
あれほど好きだったお酒も、すっかり飲むのをやめてしまった。
そんな父との関係は、結婚して、子どもが生まれても、さして好転することもなく、会ってもろくに会話もない。それでも子供たちを連れて顔を見せれば、しかめっ面をほころばせ、不機嫌を何とかごまかしてくれるようにまでなった。
だからといって、長年のしこりはそう簡単に消えるものではなく、心配性の母の小言を聞くのもうんざりで、仕事が忙しかったり、自身の体調も思わしくなかったりで、だんだんと足が遠のいていた。
ところがここにきて、父に軽い痴呆のようなものが見られる、と母から電話があった。
転んで怪我した足を放置していたために、足も変形して、うまく歩くこともできない。昔倒れたことの後遺症もあるのか、時折漏らしてしまうと言う。
普通ならここで、すぐにでも飛んでいくのが親子なのだろう。
だけど。
あたしは怖くて、動けなくなってしまった。
母からの電話は、きっとよっぽど切羽詰ったものなのだろう、とわかっていても。
電話で何度か話をし、重い腰を上げて様子を見に行くことにした。
思ったよりも、元気そうではあるし、話した感じもしっかりしているけれど、やはり、以前よりは身体の衰えが見て取れる。
何とか自力で歩くことはできるものの、一歩一歩は足取りも重く痛々しい。
帰り際に、母が、
「肩からかけられるようなかばんが欲しいの」
物なんてねだったこともない母がそんなことを言う。
そうか。
もう、あたしは親に甘える側ではなく、親が甘える側になったのだ。
しっかりしなくては。
まずは現実を直視することからはじめよう。
あたしのマイは非通知です。