子どもの日に何かプレゼントするって言う習慣はいつ頃から始まったのだろう。
自身が小売業にいるから、あまり否定できない立場ではあるのだけど、1年中、年がら年中プレゼントする習慣は止めて欲しい。
母の日だから、何かを買わなければならない、クリスマスだから、何かをプレゼントしなければならない、そんなのは商業主義に踊らされてるだけで、本当の意味のプレゼントとは大きく異なっている気がするのだ。
ふと立ち寄ったお店で見かけたシャツが似合いそうだ、と想ったから買って来る。
好物のお菓子が売っているのを見かけたから、食べてもらいたいと想って買ってくる。
何の特別な日でなくても、その人を大切に想うからこそ、常に意識のどこかにその人を置いているからこその行為が、本来のプレゼントの意味であると想うのに。
それはモノでなくても、よく晴れた日の新緑の元ですごす時間であってもかまわないはずなのに。
おばばが作った悪い習慣に、便乗する夫を諌めても、それは彼にとって否定にしかならないから、「ケチなママ」「優しいパパ」という図式を当てはめられながら、休日に1日分の給料を上回るお金を使わなければならないことのむなしさは、いくら握り締めても、さらさらとこぼれる砂にも似て。
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