「サボテンなのかもね」
「そうかも知れな〜い♪」
嬉しかったのは認められたこと。
何かを成し遂げたのを誉められるのは悪い気はしない。
卒業を控え、幼い頃から娘を知る近所の人に、
「本当に良い娘さんに育って。小さい頃はねえ・・・(笑)」
「そうですねえ・・・(汗)どうなることかと思いましたけどねえ・・・(苦笑)」
「お母さんの育て方が良かったのねえ」
幼いころの娘は本当に気が強くてわがままで、自身のミニチュアのようで、そのくせ顔は夫に瓜二つで、腹立たしいことこの上ない存在だった。
どうなることかと心配したが、友達との関係の中で知らぬ間に、大人になったようだ。
「お母さんがきちんとしてらっしゃるから」
よく言われる誉め言葉(社交辞令)だが、あたしは全く手をかけた覚えはない。
むしろ、幼児期までのあたしは人様には聞かせられないようなひどい母親であったと思うし、時折、その話しに触れる娘の言葉に胸をえぐられるような思いがするのも事実だ。
「今日ね、○○ちゃんのお母さんにそう誉められたんだあ」
と娘に話したら、冒頭の会話につながった。
「なんも手なんかかけてないもんね」
「そうだね」
「むしろほったらかしくらいだったよね」
「そうかも♪」
「まああれだ、サボテンみたいにさ、あんまり手をかけて世話しすぎると枯れちゃうでしょ?あれと一緒なんじゃん?だからやっぱママの育て方がよかったのよ〜」
「ああ、そうかも♪」
って納得するな(涙)
まあ、自身で言いながら思わず苦笑したけども。
まだまだ硬くどんな花が咲くのかもわからないけれど、無事にここまで歩んでこれたことを安堵し、感謝し、おごらず、初めて出会ったあの日の温もりと儚げな重さとを忘れずにいたい。
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