たまに××したり。
INDEXこれまで。それから。


2004年05月07日(金) 愛を形にするのにはどうしたらよいのだろう。

正直に言う。あたしは息子のほうが無条件に可愛い。
親子にも相性と言うものはあるのに違いない。
娘が何をした、と言うのでもないのだが、同性だからなのか、ことごとく気に触る。自分の子どもの頃と比べて、多分、親から見たら同じようなもんだと思われるのだろうけども、どうにも要領が悪くて腹が立つのだ。

先日、連休中の夜更かしのクセで、いつまでも寝ないでしかも翌日の準備もせずにいて、しまいには眠くなってだらだらとし始めたものだから、見ていてイライラし、つい、

「全くグズなんだから!」

と怒鳴りつけてしまった。
たまたま自分の体調もすぐれず、仕事のあとでぐったりと疲れていたこともあって、最高に不機嫌だったのもよくなかった。
娘はしょんぼりとし、部屋へ行き寝てしまった。

翌朝、娘が出かけたあとにベッドを整えているとノートが転がっていた。
最近夜寝る前に日記を書くようになったらしい。
ふと気になって、本当は良くないのだが、こっそり覗くと

「ママはゆうばかりかわいがる。あたしは何をやってもおこられてばかりだ」

というようなことが書いてあった。
やれやれ、やっぱり、と思いながらも胸が痛んだ。

息子が生まれるまでの4年間、あたしはこの子さえいれば他には何もいらない、もし下の子が生まれてきても愛することができるかどうか分からない、と思うほど娘を溺愛していた。
ところが、息子は早くからあやせばニコニコとよく笑い、年がら年中抱いていなければ寝なかったけど、なんと言うか、愛嬌があるというか、甘え上手で、何をされても仕方ないなあと言う気にさせられてしまうことから、あっという間にそんな不安は消えてしまい、いつしか、世話もかかることから娘中心の生活から息子中心の生活へと変わっていった。
夫にしても息子に対してはいつまでも赤ちゃん扱いしていて、どんなに怒ってもついつい甘やかしてしまうくらいだから、得な性格なのだろう。

その点、娘は、甘えべたというか、可愛げがないというか、見ていてじれったくなることのほうが多い。
うまく自分の気持ちを表現することができないのが、見ていて歯がゆいくらいだ。

そんな苛立ちが、ふとした折々に、言葉の暴力となって彼女を傷付けてしまう。
息子に対してもそう言うことはあったとしても、あとあと抱きしめたりしながら、言いすぎたね、と謝れるのだが、娘ぐらいになるとどうも、そう言ったスキンシップすら気恥ずかしく、口先だけの謝罪になってしまいがちなのも良くないのだろう。

だからといって、それは接し方が難しい、と言うことであって、娘が嫌いであるとかそう言うことでは、決して、ない。
あたしは一人っ子であるがゆえ、両親を取り合う、と言う経験がないから、今ひとつその辺の感情が理解しきれない所がある。
どっちが大事、と聞かれて、どっちも大事、と答えるしかないのだが、10年分のいとおしさと6年分のいとおしさの違い、それをどうしたら形にすることができるのだろう。
息子が生まれるまでの4年間に、一身に注がれた愛情の重さをどうしたら伝えられるのだろう。

「あなたを好きな気持ちを形にできたらよいのに。どれくらい思ってるか、どれくらい大切なのかが目に見えたらいいのに」

昔、恋人に言ったことがある。
陳腐な臭いセリフだが、言葉でも伝えきれない想いを、どうやったら伝えられるのだろうとそのときのあたしは本気で考えた。
本当の想いは言葉では言い表すことなんてできやしない。
目に見えなくても大切なもの、それは心でわかるものだ、と思うけれど、時として形にして伝えられたらと思う時がある。
そのことで安心させることができるのなら。


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うらら |あばら家足跡恋文

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