今をさかのぼること、かれこれ、えーっと・・・15年位前のこと?世の人々がバブリーな時代を謳歌していた頃でしょうかね?
世間を騒がせたリクルート事件と言うのがありました。
その頃って言うのはなんか、巨額の賄賂、とかそう言う事件が取りざたされることが多かったような時代。まさに金にモノ言わせる、って言うそんなところがあった時代です。
大なり小なり便宜を図ってもらうには接待だ、お祝い金だ、と意味不明なお金のやり取りが暗黙の了解で行なわれていたんじゃないでしょうか?ばれなきゃいいじゃん的に。
で、その当時、某建設会社のOLだったあたしは、経理を担当していまして、まあ、日々の領収書を見るに、接待、接待、また接待な営業さんがうらやましかったりしました。
会社の金でうまいもん食うのかよ。仮払いまで出すのかよ。足りなくて清算て、まだもらうのかよ。
てな感じでありましたが、やたらと同じ人の領収書がまわってくるに至っては、ほんとに仕事かよ?と思いたくもなり。
そんなある日。
テレビだの新聞だのにあたしの会社の名前が出てるじゃないですか。
巨額の賄賂、ならまだしも、10万円ほどの何がしかで営業のえらい人が逮捕されちゃったんですわ。
額には関係ないし、やったことは悪いことには違いないんですけども、その記事の書かれ方と言ったら、
「会社ぐるみで」・・・くるまれても。( ̄∇ ̄ ;)
だいたいですよ、会社ぐるみって言われても、あたし達のような下々は伝票切ってお金出してって言われたら、事務的に支払いするしかないじゃないですか?
自分は一切悪いことしてるって言う自覚なしに、くるまれるのはなんだか、やり切れない思いでいっぱいでした。
書かれている記事を読んでも、なんだかえらく脚色されてるように感じて、新聞て言うのは事実を客観的に記事にしていると思い込んでいた当時のあたしにとって、このことはとてもショックでした。
それからの日々、銀行に行くと窓口のお姉さんが会社名ではなく、個人名で呼び出してくれたり、気を遣ってくれました。
リクルートの社員の人も同じ扱いを受けていて、なんだか、肩身の狭いもの同士、親近感を覚えたり。
そんなこともあって、伝聞は所詮伝聞でしかあり得ない、と言うことを身をもって知らされ、今日に至るあたしですが、最近のニュースを見ていると気分がウツになります。
全ての人は平等である、とか、人権は守られるべきである、とか、そう言う御託並べたあげく、だれそれが問題発言した、とか言う前に、自分たちの報道のあり方は真に公平なものなのか、よく考えて欲しいと思います。
感情論でなく、繰り返し繰り返し、映される被害者の映像は煽情的であるとしか思えないし、いったん事件として取り上げられたら最後、報道はより一層ショー的な要素をもって、受け手側のもっともっとと言う欲望に応えるべく、センセーショナルな事実を発掘すべく、知る権利であるとか、なにやら履き違えた理論をもって暴走していく様はいい加減にしろ、と言いたくなるのはあたしだけなんでしょうか?
あたしのマイは非通知です。