たまに××したり。
INDEXこれまで。それから。


2003年07月10日(木) 主観と客観。

「おまえはこのことに付いて書かないの?」
夜、ニュースを見ながら夫が言う。
このこと、とはもちろん、例の中学生の事件だ。

まあ、思う所がないといえばウソになる。
だけど、あたしに与えられたのは限られた情報だけであって、その情報と言うのはあくまでも誰かが見たり聞いたりしたその人の主観と言うフィルターを通したものであって、本当の姿ではあり得ない。
情報と言うのは発信する側がどんなに客観的に伝えようとしても、100%主観を取り除くことはできない。
まして、今回の事件のように、大方の人が「不快だ」と感じる内容のものについては、そもそもの出発点からしてネガティブなものでしかありえないわけで。

あたしは物事を捉えるときにはできるだけ客観的でありたいと思っている。
何かが欠落しているのかもしれないが、どんなものごとにも理由があって、あたしには理解できないけれど、それぞれの必然性を持ってして起こってしまうのだと思う。
頭ごなしに、
「おまえのやってることはおかしい。許せない」
と言うのは簡単なことだ。
ただ、そこにある原因をきちんと突き詰めてからの糾弾でなければならないと思う。

と言うと、なにやら、
「悪いことしてもそれにはそれなりの理由があるんだから、仕方ないじゃない」
と、擁護するかのように思われてしまうのかもしれませんが、そうでなく。
起きたことはシンプルだと思う。(語弊があったらごめんなさい)
だけど内容はあまりにも難しすぎて、あたしの頭では消化できない。



同じ親として思うのは、
「うちの子に限って」
と言う想いを口にするとき、親と言うのは何を感じるのだろうと言うことだ。
親として精一杯完璧だった、と言う想いがあるのだろうか?
何をどうしたら子どもが道を誤らないように育つことができるのか、って言うのは正直全く分からない。
誰だって、自分の子どもを人殺しに育てようとは思わないはず。




まあこれからマスコミが、いい加減うんざりするほど情報を垂れ流し、分析を行なってくれるでしょう。
それを見て、煽動されるだけで結論を導き出せないのではいけないと思う。

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うらら |あばら家足跡恋文

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