たまに××したり。
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昔から、人から驚かれることのひとつに、わたしが一人っ子であるという事実がある。自身が一人っ子であるのだから堂々といいますが、一人っ子のイメージ、というと、一般に、わがままであったり、自分勝手であったり、良くも悪くもマイペースであったり、と言うものではないでしょうか? 子どもの頃のわたしは、どちらかというと、いい子ちゃんで、わがままを通すとか、強情をはるとか、そう言うおよそ子どもらしいことって言うのをほとんどしない子供で、なんだか、今とはまるで正反対でしたから、周囲の印象も、一人っ子には見えない、というものだったのでしょう。 表面上、とりあえずは誰とでも合わせられるという、八方美人振りも、一人っ子には似つかわしくない理由の一つなのかもしれません。
結婚してすぐは、良き妻でありたいと思い、子どもを産んでからは良い母になりたいと願い、そうなるようにがむしゃらに無理をしていた時期がありました。 こうあるべき、という目標が常に高すぎ、到底たどり着けない目標に、自己嫌悪に陥り、そのことで自分を責め、人を責め、子どもにあたり、思い出しても情けない時期を過ごしました。 それが何をきっかけにしてか、ふと、肩の力が抜け、無理するのはやめよう、と思い始めた頃から、今のような自分勝手なわたしが表に出始めたのだと思います。 わたしの一番の欲求は一人になりたいということ。 帰宅して、誰とも話さず、一人でぼんやりとしたいということ。 テレビなんて見たくない、とにかく一人になりたい、話し掛けられるのもいや、側にいられるだけでもいや、それは好きとか嫌いとかの問題ではなく、とにかくそっとしておいて欲しい、そう言う欲求だ。 それは誰にもある欲求なのか、と思った。でも、どうやら違うみたい。 仕事上、多数の人と接するせいもあるのだろう、教習所時代も、家に帰ると一言も口をきかず、食事をし、風呂に入って寝るだけ、という生活を送っていた。その頃と今と、何らわたしの中では変わらない。それが、家族から見たら自分勝手、と映るのだろう。避けているとも思われるのだろう。説明してもわかってもらえない。 とにかく一人になりたい、消耗していればしているほど、一人になりたい時間は増える。
そのことで、家族が不満に思っているのもわかっていても、側にいれば、苛立ちを押さえることが出来ないから、引きこもってこんなことをしているのだけれど、やっぱりおかしいのでしょうか。それはやっぱりわたしが一人っ子だからなのでしょうか? 一人はさびしい、でも、一人のほうが好き。究極のわがままだなあと思います。
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