たまに××したり。
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月曜日の夜に、叔父が亡くなった。享年66歳。肺がんで、発見されたときはかなりの末期、しかも入院して2週間足らずのうちに見る見る進行し、あっという間のことだった。 生前、取り立てて縁があった叔父ではなかったが、母が独身時代にもう一人の叔父と3人で暮らしていたこともあり、毎年、夏に帰省した折には田舎からのお土産をもって立ち寄ってくれた。そんなに口数が多いわけでもない叔父とは、交わした会話らしいものの記憶もほとんどなく、ただ常ににこやかだった表情だけが思い出される。
子どもの頃の夏休みには毎年行っていた田舎もだんだんと足が遠のいて、親戚に会うってことは皆無だった。最後にいとこ達に会ったのも、15年以上前に催された、「いとこ会」が最後だ。 叔父達にいたっては10年前のあたしの結婚式以来、もしくは7年前の義父の葬儀以来だ。 まさに冠婚葬祭以外では会うことのない関係なのだ。叔父達はまだしも、いとこともなれば、その歳月の流れから、お互いの顔を見ても誰やらさっぱり、という感じで、いや、それはあたしだけだったようで、向こうはしきりに 「うららじゃん、ひさしぶりだねえ」 とか、話し掛けてくる。 「あなたはどなた?」 と問うことも出来ず、適当に話をあわせるがあとで母に確認する、といったありさま。その母ですら、 「さあ、あの兄弟のどっちだろうねえ」 とか言うくらいであったり。
それにしても、どうして葬儀の場って言うのは、人間関係が錯綜するのでしょうね。常日頃垣間見得ない本性の部分があらわにされる、とでも言うのか、故人とのお別れの場であるのに、形式ばかりにこだわったり、なんだか、ずいぶん居心地が悪かったです。 列席の際に、親族席から追いやられ、一般席に座らされ、そのことはまあよしとして、その追い払われ方がなんともはや。。。すごい剣幕の追い払われ方でして。 喪主である叔母や、長男であるいとこからの指示であればいいものを、何であんたがそこまでえらそうに指図しなけりゃならないのよ、と、言うような人がちらほら。 終始堅苦しい席で、一緒に参列した夫もその対応のひどさに、眉をひそめるほど。 まあ、年齢から言って、これからこういう席がますます増えるのは目に見えているのですが、なんともやり切れませんね。
こんな場で会った父を見るとずいぶんと年老いていて、帰りには柄にもなく、 「気をつけて帰ってね」 などと声をかけてしまった。
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