たまに××したり。
INDEX|これまで。|それから。
例えば、そこに期待する何かがあったときに、それに対する反応が、自分の望んだかたちではなかったとして、そのことで、誰かを責めるのは間違っているのでしょう。
例えば、四角いものを入れるのに必要な箱を探していて、丸い筒を用意されるような。 それは自分の説明が足りなかったのかもしれないし、伝え方が間違っていたのかもしれません。
繰り返し、繰り返し、そういった些細な違いが重なっていくことで、知らない間に見えない壁が出来ていく。
人は常に変化しつづけるもの、あの頃の自分と、今の自分とは違うだろうし、周りにしたって、今とは違う。 同じことをしたからといって、それで満足できるかといえば、そんなこともないのだろう。要求する基準も変わっていく。
どんなに傷つくような、厳しいことを言われても、それが本当のことで、言うべき時に言ってもらえれば、真摯に受け止めることもできる。過ちを、肯定もしないけれど、否定もしない、そういったかたちであれば、救われる。 話の流れで、違うタイミングに、それ見たことか、と責める口実にされてしまうのなら、それはただ傷つけられるだけで、全く意味をなさない。 過ちを否定しつづけるだけで、存在そのものを否定するようなかたちではつらいばかりだ。
すぐ目の前にあるのに、差し伸べられることのない手を、望んで、あがいても、決してそれは差し伸べられることはなく、何度となく繰り返されるそのことに、途方にくれ、いつしか自分で立ち上がることを選んでしまう。 決して強くはないのに。
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