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2003年09月25日(木) ■ |
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イミノナイジカン |
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イミノナイジカンとは、無駄を意味している訳ではないけれど、 少し足りないと思っている事は確かかもしれない。
今日は、知り合いのヒトの演劇を見に行ってきました。 行く前は、子連れで行くか、とかいろんなことが渦巻いて、 ヒトに気遣うこと=誰へのやさしさなのかを考えたりして、 結構めんどくなってたけど、 とりあえず行きました。
30歳になっても好きな演劇をやっている方。 その生き方そのものに興味があって行ってみた今日。 けして犠牲が少ないとはいえないその生き方の真髄を観てみたかったのです。
演劇の感想は、一言「イミノナイ」もの。 つまらないんじゃない。 おもしろいし、一生懸命さはすごく伝わってくるんだけど、 なぜかそれだけなのです。 隣で笑う劇団員のヒトに冷めてしまいました。 誰が笑うべきものなのか、 一生懸命何かをしたわけではなく、ただ観に来た人のための場とはなにか、 そういうことを考えました。
何かを残さないとまた来ようとは思えないもので、 ただおかしいだけ、だとそれがなかなか次への価値になれなくて、 帰り道も関係ないことで話が終わり、 劇が終わった後の彼女に何を話し掛けていいのかわからず・・・
イミノナイジカンとは、ほんと難しく考えなくてらくだけど、 もうちょっと何か欲しい、そんな感じ。
劇団の人がもっている夢や情熱を、見ている人に伝えるという点で、 笑いも熱も届けてほしかった、そう思います。
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