日々雑感
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この3月に定年退職した中1のときの担任の先生が東京へやって来た。
学校と名のつくところで何人もの先生に会ってきたけれども、こんなふうに連絡をとったり、遊びに行ったり、何かあったら報告したいと思ったり、そう思うのはこの先生だけである。よれよれのジャージを着て、頭はボサボサで、ばかしゃんべ(馬鹿話)ばかりしていたけれども、何があっても先生ならば受け止めてくれると思える揺るぎなさがあった。
火曜日には「先生を囲む会」と称して、やはり同じクラスだった友人もいっしょに3人で飲んだ。浅草橋のやきとん屋の片隅にて、瓶ビールを何本たのんだかわからない(8本まではおぼえている)。友人いわく「やきとんの中心で秋田弁を叫ぶ」、まわりのひとがただばなんだとおもったべな。
その先生、今日ははとバスにて富士山のほうまで行ってきたらしい。21時45分上野発の夜行寝台にて帰るということで、友人とふたり、見送りに行く。
今日は暑かった。上野駅前の温度計は28度を指していた。出発までの時間、何はともあれビールを飲むべく、駅前の「聚楽台」というレストランへ。先生が田舎の中学生だった頃には「東京で聚楽に行った」というと羨望の的だったという。つまりはそれくらいの老舗、そこだけ取り残されたように昭和の匂いが色濃く残るレストランである。
このお店、もうずいぶん前に一度だけ入ったことがある。
東北新幹線の始発終発駅が東京駅になるまでは、秋田から上京するときも東京から帰省するときも、必ず上野駅を使ったし、上京してきた親や親戚に会うのも上野駅が多かった。
弟の大学受験には父親が付き添ってきたのだが、そんなふたりとやはり上野駅で待ち合わせ、この「聚楽台」でいっしょに食事をしたのだった。あのとき確か店内は混んでおり、案内された隅っこのテーブルで、特に話をするでもなく、もそもそとラーメンか何かを食べた気がする。
久しぶりに会う父親が、「東京」の中では何故だか一回り小さく見えて、秋田弁でいうところの「へづね」思いをしたのを覚えている。自分の「ホーム」を離れたばかりの人というのは、どうしてあんなに寄る辺なく見えるのか。
他にも、ひとり初めて東京の地を踏んだとき、あるいは祖父が上京してきたとき、次々といろんな光景が出てきて止まらない。久しぶりに行ってみて気がついた。上野にはセンチメンタルの地雷が埋まっている。危険だ。
ひとしきり飲んだあと、先生をホームまで送ってゆく。終着駅「青森」のプレートが付いた寝台車は上野駅構内のいちばん端で待っている。寝台車の中を見学したり、並んで写真を撮ったり、大騒ぎしたあと、タラップのところで握手をして、やがて先生を乗せた列車は行ってしまった。がらんとした人気のないホームに、友人とふたり残る。まだふたりでよかった。
それにしても先生、ビールを中ジョッキで5杯も飲んだというのに、さらに500ml缶を2本買い込んでいった。寝過ごして青森まで行かないか心配だ。
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