日々雑感
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2004年10月30日(土) |
「この森を通りぬければ」 |
「クラムボンの会」主催の朗読会へ。休憩をはさんでの第二部、アイリッシュ・ハープの音と共に語られる、宮澤賢治「春と修羅」の中の一編を聞きながら、涙が出てきてどうしようもなかった。声の響きと共に立ち現れてきた風景のその質感、鮮やかさ、そして美しいのに何て悲しい。「まるでにわか雨のやうに」鳥たちが鳴いているのに、ひどく静かな世界である。「本当に静かなもの程よいにきまっています」という土方巽のことばも思い出す。
ことばによって、私たちは伝えることができる(「静寂」ですらも)。そして、ことばによって、私たちは受け取ることができる。その不思議とかけがえのなさとを、しみじみと感じた一夜だった。朗読されたのは次の詩である。
宮澤賢治『春と修羅』第二集より
一五六 〔この森を通りぬければ〕
この森を通りぬければ みちはさっきの水車へもどる 鳥がぎらきら啼いてゐる たしか渡りのつぐみの群だ 夜どほし銀河の南のはじが 白く光って爆発したり 蛍があんまり流れたり おまけに風がひっきりなしに樹をゆするので 鳥は落ちついて睡られず あんなにひどくさわぐのだらう けれども わたくしが一あし林のなかにはいったばかりで こんなにはげしく こんなに一さうはげしく まるでにわか雨のやうになくのは 何といふおかしなやつらだらう ここは大きなひばの林で そのまっ黒ないちいちの枝から あちこち空のきれぎれが いろいろにふるえたり呼吸したり 云はゞあらゆる年代の 光の目録を送ってくる ……鳥があんまりさわぐので 私はぼんやり立ってゐる…… みちはほのじろく向ふへながれ 一つの木立の窪みから 赤く濁った火星がのぼり 鳥は二羽だけいつかこっそりやって来て 何か冴え冴え軋って行った あゝ風が吹いてあたたかさや銀の分子 あらゆる四面体の感触を送り 蛍が一さう乱れて飛べば 鳥は雨よりしげく鳴き わたくしは死んだ妹の声を 林のはてのはてからきく ……それはもうさうでなくても 誰でも同じことなのだから またあたらしく考へ直すこともない…… 草のいきれとひのきのにほひ 鳥はまた一さうひどくさわぎだす どうしてそんなにさわぐのか 田に水を引く人たちが 抜き足をして林のへりをあるいても 南のそらで星がたびたび流れても べつにあぶないことはない しづかに睡ってかまはないのだ
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