日々雑感
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2002年04月16日(火) 「シッピング・ニュース」

渋谷で映画「シッピング・ニュース」を観る。ラッセ・ハルストレム監督作品。ラッセ・ハルストレムは大好きな監督だ。偏愛しているといっていい。どんな作品であっても、その人が撮ったというだけで無条件で嬉しくなってしまう、自分にとっては特別な監督である。

パンフレットで田口トモロヲ氏がハルストレム作品のことを「いつまでも観ていたくなる」と言っていたが、同感。エンドロールが流れると、ああ、もう終わってしまうのかと切なくなる。どの作品を観ても決まってそうだ。いったいなぜか。ハルストレムの作品が、ずっとつづいてきて、これからもつづいてゆく「人生」という流れの一断片を切り取って見せているからだろう。映画の中ではいろんな出来事が起こるけれども、それらも大きな流れの中のエピソードにすぎない(そんなふうに撮っていると思う)。そして、それが終わったあとも、また時間は流れてゆくのだ。淡々と。

登場人物たちを取り巻く世界がずっとつづいてゆくとわかるからこそ、その流れから自分だけ外れてしまうようで、幕が閉じるのが寂しいのだ。ずっと観ていたくなる。

何かあったとしても、それは人生のほんの一部分。ひとときの出来事。それぞれに重い出来事ではあっても、時間は流れてゆく。自分自身がこの世からいなくなっても、世界は消えない。そうした流れの中に私たちはいる。監督の言葉。

「悲劇と喜劇がうまくミックスされていて、楽しいけれど、どこか悲しい。(中略)もともと悲しいけれどおかしい、というようなことが好きなんだ。人生もそういうものだと思っているし。」(『ギルバート・グレイプ』のパンフレットから)

そして「シッピング・ニュース」。「サイダーハウス・ルール」などと比べると少し地味な気はするけれど、よい作品だったと思う。後からじわじわときそうだ。舞台となっているニューファンドランド諸島の風景もいい。荒涼とした色のない風景。強い風が吹き、一日中低い波の音が響いている。

映画館の外に出ると風が強い。けれども、聞こえるのは波の音ではなくて街の音。


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