、まとめ
)
こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
2003年05月27日(火) |
最近ぐるぐるしているのです |
道元の著作正法眼蔵の第20巻「有時(うじ)」に、
以下の一節があります。
しかあれば、松も時なり、竹も時なり。
時は飛去するとのみ解会(げえ)すべからず、
飛去は時の能とのみは学すべからず。
<現代語訳>
そういうわけであるから、松も時であり、竹も時
である。時は飛び去るとのみ理解してはならない。
飛び去ることは、時の性能であるとのみ学んではならない。
*玉城康四郎著『現代語訳正法眼蔵1』(大蔵出版刊)
思いっきり要約すると、
ここで(だけではないけど)のポイントは「今を大切に」である。
それは、理屈の上ではなんとなく理解できる。
でも、それを僕が他人に説明しても、
たぶん、上滑りな言葉に聞こえるだろう。
だって、自分の体からあふれ出てくる言葉じゃないもん。
頭ではなく心の底から、
この言葉の意味について「腑に落ちる」経験をしたいと
何となく考える最近でした。