今日のこあら
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こあらの上海旅行記(まとめ

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2002年03月26日(火) その1:書いてしまおう卒業式話(のこり編)/その2:きょうの雑感

【その2】へ

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【その1】
もうすぐ3月も終わってしまうので、この卒業式話も一気に終わらせてしまいます。中学から大学まで一気に終わらせてしまうことができるのは、それほど感慨がないからでして・・・

<中学>
 いろいろあって、はっきり言えば苦痛だった中学時代。だから、卒業式も「やっと終わった〜」という理由で晴れ晴れしたもの。式次第そのものは正直言って覚えていないけど、卒業生が「大地讃頌」を歌ったこと、そして、その指揮をした先生(部活の顧問の先生でもある)が、指揮をしながらうれしそうな顔をしていたことは、きっちり覚えている。
 当然、この曲は声が詰まりましたよ。音楽に弱い私ですから。

<高校・普通科と専攻科>
 普通科の卒業式は、正直言って覚えていません。だって、浪人することが確定していたから、卒業という気分には浸れなかったこと。そしてその浪人中の勉強先が、同じ高校の「専攻科」になるはずだったから、卒業という気分ではなかったのだ。

 専攻科。ご存知の方のほうが少ないと思う。これは、学校教育法48条に規定があり、高等学校卒業者等が、高等学校の上にさらに1年以上の高度な専門教育を行うことを目的として設置されるもの。専攻科そのものは例えば看護士養成課程などで見られるものなのだが、私の行っていた専攻科は、そういう資格を身につけるものではない。要は公立の「予備校」である。
 鳥取県内には、こういう専攻科が3つの進学校に設置されており、公立高校が浪人生用の受験指導専門のコースを持っているのである。浪人することが確定したとき、僕は「ここにくるんだよなぁ」と、専攻科の教室(普通科の隣にあった)を眺めていた。

 そして1年後、専攻科にも卒業式があった。これは、本当に簡単なもので、感慨もなにもなかった。このときは、国立大学の後期日程の結果待ちで、第2志望の大学には合格していたため、「これから学生だ〜」とは思っていたものの、中途半端な精神状態だったということもある。

<大学>
 柴と同様5年生まで大学にいた私。式場には学生証を見せれば入ることができるので、卒業式は2度出席した。4年生のときは友達と会うのが最後だったから。5年生のときは自分が卒業するから。
 4年生のときは、半分はお祭り気分だったので、タキシードに身を包み、式が終わった後に本当に卒業する人間とともにゼミの先生のところに挨拶に行き、「大学に留年する君が一番卒業生らしいねぇ」と、言われてしまった。
 5年生の卒業式のとき、京都の家は引き払っていたので、衣装の調達ができず、おとなしくスーツを着る。式の冒頭、オケのメンバーが創立100周年を記念して作曲された「式典曲」を演奏していたが、正直言って聞くに耐えなかった。うちの大学のオケにも苦手な分野があるんだなぁ・・・と、隣に座っていたはまはま氏と話をする。

 あれから4年。あの曲はどうなったのだろう?

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【その2】

 もうすぐ年度末。あまり「締めきり」とは縁のない僕の仕事も、年度を越えれば、決算書類の作成が待っている。決算処理のメインの業務は確かに経理部であるのは確かなのだが、株式会社である以上、商法に決算の手続きが定められており、法律やさんもそれに参加しなくてはならない。「手続き魔こあら」のうでがなる時期ともいえる。 今日、わが社の関連会社に行ったのだが、最近「こあらの手続き魔」ぶりがグループに広まっているらしく、いろいろ相談を受けた。うれしいことだ。

 最近読んだ岩波文庫の「日本語」という本の中に、「戦前は男はカナをできるだけ使わないようにする傾向がまだ残っていて、例えば会社への欠勤届には『私儀、三月二九日、風邪之為欠勤仕候間、此段及御届候也。』と書いていた。」とあった。現在が現在で良かった。契約書が漢字だらけになってしまうのは、たぶんこの傾向がいまだに残っているからかもしれない。


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