言葉的遊戯
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2002年12月15日(日) |
つぎはぎだらけの、人生 |
まずはご報告。 12月1日にいった牡蠣鍋のお話の日記が完成! 別にそんなこと、ここでいわなくてもって感じだけど、初めて画像のせたんで、 (まあ1枚だけやけど) 見てやってくださいな!→おいしかったよ、牡蠣♪
今日、友人からメールがありました。 まあ、いろいろと考えることがあって、悩んでいるということでした。 そのメールを読みながら、人間の心の浮き沈みについて、考えてみたりしました。
本当に難しいですよね。こういうのって、誰かがどうにかしてあげれることでもなく、 もちろん、本人の力でのみ、立ち直れるようなものですから、 まわりの人間からすれば、たとえどってことないじゃないか、ってことでも本人には大事だったりします。 だからこそ、僕は今、その友人にたいして、ただ黙って元気に戻ってくるのを待っていることにします。
さらに自分に置き換えて考えてみたりしました。 先日、会社の忘年会で、いろいろと話を聞くたびに 気がつくとまわりの年の近い人はみんな結婚してくってことに気がつきました。 みんなが結婚するってことには別にどうこうっていうのはありません。 彼ら自身の問題ですから。 でもね、2年前の僕の人生設計だと、この時点で結婚してく同年代の人たちに 「ああ、あなた達も結婚ですかぁ〜」と呑気に入っている「既婚者」だったわけで。 でも、実際のところ、まわりのみんなは結婚し、僕は未だ未婚で。 別に結婚にこだわっているわけではないけど、不思議だなっておもって。
自分の人生設計シートってのを作って、紙に書き出していくとしてね、 僕は1年と数ヶ月前の時点で、自分で書いている予定を書き直しているわけです。 シートっていう紙を一度剥がして、そこに新しいシートを貼り付けるわけ。 そのときにはもちろんだけど、誰にもわからない、本人にしかわからない、 大きな「損なわれるべきもの」っていうのがあるわけ。 もちろん、それはもう戻ってくるわけでもないもので、 それを取り戻そうとしているわけではないけど、 壁に大きく開いてしまった、風穴から「ぴゅーぴゅー」と吹く風がとても冷たく感じたりして。 人生の醍醐味って、そういう人生の欠落してしまったところを一生懸命埋めようとする自分とどう向き合うかってところにも、 存在しているのではないだろうかな?なんて思ってしまったりします。 今の僕は、大きく開いたその風穴にたいしてどういう風に向き合うかっていう期間と それをいかにして埋めるかっていう期間が存在していて、 今までは、どう向き合うかっていう部分にさかれていたような気がする。
以前付き合っていた子が、僕と別れ、あっという間に他の人と結婚してしまったという事実には 僕自身の問題ももちろんのようにあるわけで。 それに対して、いかに向かい合うかっていうのも大きな命題であるわけで。 彼女だけに問題があるわけでないし、 僕にだって、不徳や不貞があったわけで、そういうのを自分できちんと消化して ようやく、風穴を埋める作業に入れるんじゃないだろうか?なんて思っていたりします。 今の僕は、そういうのをすべてふまえ、ようやく風穴を埋める準備に入ったところです。 でもその作業ってのはものすごく大変なものなんだろうな?なんて思います。 「破壊」は簡単でも、その「修復」および「創造」というのは、数倍の時間がかかることでしょうから。
でもね、最近そういうのにも立ち向かえるような気がしてきたんだ。 何があろうと、自分を思いっきりMAXのパワーで奮い立たせたやるんだ、みたいな感じで。 今までだったら、どこかしら尻込みしたりしたようなところでも、今なら立ち向かえるような気がする。 だからこそ、今からの自分を頑張っていきたい、楽しみたいって思う。 一度限りの人生、一度限りのこの瞬間なんだから。
人生とは、まるで上書きしても品質の落ちないビデオテープのようなものかもしれない。
自分の人生に誇りを持って、精一杯いきようと思い、 友人と笑顔で会える日を楽しみにしたいと思います。
★昔の僕はこんな日々を送っておりました!★
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