墓参り - 2006年02月28日(火) 最近はあまり公表できない仕事をポツポツ。 地下に潜る仕事をダラダラ。 イエ・ドロの稽古に・・。 第七の稽古と・・本番近しヤバ! そして帰省してたり。 この歳になると挨拶って大切だなぁーと思ってね。 身近にコンタクトを取ってる方々とは勿論の事、 つい疎遠になりがちな「家族」とか「親戚」に対してとかね。 一番のきっかけは義理母の死だね。当たり前の様に「そこに居た」存在。 姿が見えなくなった時、俺の足りない頭にも「疑問」を投げかけてくれる出来事となった。 で、ちょっと今回は墓参りとルーツを探りたくて田舎に帰ったわけでして。 お百姓さんの出は分かってるんだけど。 うちの親って言うのが両親とも「戦争」と「病気」で 「育ての親」に育てられた経験の持ち主でね。 なかなか血縁が遡れないの。 子供の頃に「生みの親」方の親族とは疎遠になってるからね。 昭和20年代前後の話でしょ。 で、唯一過去に詳しい親戚のおじさんと会うことが出来て、 お袋方の話は聞く事が出来た。(お袋も聞くのは初めてだったみたい) 曾ばあちゃん、曾じいちゃんってのが明治の終わりに「須賀川」という町から逃げるように山また山を越え2日間かけて歩き「いわき」に流れついて住み着いたとかね。(この話を聞いてるとき「砂の器」のドリカムの曲が頭の中でグルグル流れてた。) そこで知ったのは母方の本家っていうのは「須賀川」にあるらしいって事。 これは俺が30年も生きてて初めて聞いた話。 今は母親から見るとハトコあたりの方がその土地に住んでるらしいが、 やはりおじさんも疎遠になってそれ以上の事は詳しく分からないらしい。 うる覚えだが住所を教えてくれた。 早速ネットで調べると、福島空港の近くだ。 お寺がその町には一軒しかなく、電話で尋ねれば先祖の墓に会えるかもしれない。ちょっとした火曜サスペンス気分だ。 江原さんの番組の影響かな・・・。 でも会ってみたいんだよね。お墓でもいいから。 5年前に一度、おやじの「生みの親」のお墓に出会えた事もあったんだよね。おやじが5歳の時に亡くなっていて、その後「育ての親」の手前、 そちらか方の親戚とは連絡は一切取り合ってなかった。 風の便りで、お墓の場所が分かって、墓参りだけでもと思い家族で行ったんだけど。山間の小さな田んぼの隅の方に「木」で出来た墓標が倒れかけ寸前に立ってたんだよね。それがオヤジの父親、俺のじいちゃんの墓。 60年の年月を経てやっと会えたって感じだったね。 その木の横にはおやじの名前と5歳と明記した文字が。 このお墓を立てた時、当時、長男だったオヤジの名前が明記されてたんだと思う。 と、ここまで書いて・・・就寝時間が・・・。 すげ―中途半端。 でもまあごめんなさい。 記憶力がない自分の為のリハビリ文章なので、 お許しを。 しかし相変わらずまとまらない文章だなぁー。 しかし眠さには勝てない・・。 ではでは。 ...
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