Opportunity knocks
DiaryINDEX|past|will
朝早めの電車にのって、試験を受けるため同朋大学というところにいく。 門の前にいくと、「科目最終試験の方はFの202へ行ってください」 という張り紙がしてあった。 キャンパスの中は人気が少なくて、閑散としている。 日曜日の大学の構内なんてどこも同じようなものなのだろうか。
試験官がくるのを待ちながら、ノートに目を通したり付箋をはった箇所を 再チェックしたりする。 それでも、高校生や専門学校生時代と比べると精神的にずいぶん余裕がある。 落ちたらまた勉強すればいいし、くらいの気持でやっているから当たり前といえば あたりまえなんだけど。高校や専門学校のときもこのくらいキラクにやれたら、もっと勉強ずきな人間になれたのかもしれないな、とふと思ったり。
テストの課題は、 「カタルシスについてその病理的な解釈を述べた後、それを文学にあてはめて説明せよ。その際に「全人類的感情」という言葉を使って書け。」 というもの。 とりあえず、プロティノスの所説云々の問題でなくてよかった、と安堵。 全人類的感情、という言葉をどう使おうと、少し悩んだりしたけど まあおおむねうまく(無難に)書けたのではないかと思う。
答案用紙を提出してさっさと大学を出る。 つかのまの解放感を感じて足取りも軽やか。
時間も早かったので、寄り道してミレー展を観にいくことにした。 つい最近までミレーの「種をまく人」が2点展示してあったのだけど、 1点はすでに展示が終わってしまったとのこと。 もともと所蔵している山梨県立美術館へ戻ったのか、またどこかの美術館へ旅立ってしまったのかわからないが、残念だった。
「種をまく人」は官展に出品するために、同じ構図で2点描かれたもの。 どちらを出品したかは今だ不明なのだそう。 晩秋、もしくは初冬、畑に麦をまく農夫の姿が描かれている。 大きく体を開いて、今にも種を空中に投げだそうとする瞬間を描いた構図が素晴らしい。ミレーは農民を主に描いた画家なのだけど、この絵を観てその理由がわかった気がした。どの絵にもそういう彼の農夫に対する思い入れが感じられた。 ミレーの絵を実物でみたのはこれが最初だったのだけど、やはり自分の目で見るということの大切さがよくわかった。自分の目で対象を見ること、そうすることでしかわからないこともあるのだ。 そんな当たり前のことを実感した展覧会だった。
|