TOI,TOI,TOI!
お久しぶり。
ひたすら修了試験の準備中であります。 試験は第一部6月20日とその3週間後の第二部があり、第一部は協奏曲を2曲。第2部はリサイタル形式。
協奏曲はバルトークの1番とベートーベン。伴奏はピアノ伴奏でもいいのだが、私は自分でオーケストラを集める予定。とりあえずの目標としてた指揮者とベートーベンの管打のメンツが決まり、もう後には引けなくなってきたので、最後まで根気よく人集めをしないといけない。これ、分かる人には分かると思うけど、すごく大変なことなんす。でもやります。
バルトークの1番は高校の卒試で2楽章だけ弾いた。かれこれ10年前。有名な2番もいいんだけどね、あれとベートーベンを並べるとすんごいボリュームになっちまうので。1番もいいですよ。20分で終わるし。
ベートーベンの2楽章は私が世の中の全ての曲の中で一番好きな曲だと言い切れる。これは絶対に試験で弾きたかった。で、ほら就職活動中に試験をやらなくてすんだことは非常にラッキーだったんすよ。なぜならオーディションのためにどうせモーツァルトとロマン派の協奏曲をたくさんさらってて、こういう曲を試験でやっちゃう人も少なくないんです。そうならざるをえないと言うか。でも私はずぇったいに嫌だった。願いかなって超ラッキーです。
SWRの仕事が終わり、Operの仕事が始まるまでのこの数ヶ月の期間。こんな時間が来ることは一生ないかも?とも思うので、すごく満喫しています。普段家でさらう私も、最近は学校にいって部屋を取るとかいう、超学生学生したことをしてて、これで一生に最後の学生の期間だなーってけっこう楽しんでます。
しかもオーディション以外の曲をさらえるのが、本当に幸せ。練習してて楽しいし。なんか、あんまり試験まで時間もなくて、いままでソロコースに入ってからというものオーディションばかりやって試験の曲の準備なんてしてなかったし、曲目すらもフライブルクにいる期間にやっと重い腰を上げて曲目を考えたり楽譜を買ってみたりちょっと気晴らしに練習してみたりしてたけど。それでも楽しい。
それと平行して、この夏までの期間は事務的な雑用がまた山積み。でもその中のひとつだった「健康診断」が終わり、超健康ということが分かってひと安心。血液検査の結果はまだ出てないけど、それ以外は健康らしいです。特に、心配してた耳の検査は、すごいいい結果が出たのでびっくり。左右の差もないし(バイオリンの人はたいてい左が悪い)、いい耳してると、平均値を軽く超えてると。おー。すごいね、私の耳。
あとはー、そうそうLohnsteuerkarte2007という直訳で所得税カードというカードが行方不明。でも、私はそれをSWRフライブルクにそこで働いてた時に提出してて、彼らがStuttgartに送るって言ってて、で、Stuttgartに「次の職場のためにLohnsteuerkarteが必要なんすけど。送ってもらえますかねー」とメールしたけど返事なし。で電話したら、受け取ってないと。そんな数ヶ月も前に送ったものを今更届いてないって、しかもそのせいで2007年の給料が入れられないというから確認したら本当に入ってなかった。1月と2月分の給料。ま、気付かない私もちょっとおかしいけど。
ま、私のせいじゃないんで、あんまり深刻には考えてないけど、はやく問題解決してほしい。昨日見たら2か月分の給料が入ってたので、解決への道は遠くない。かな・・。
あとは労働ビザ・・・。まだ申請できない。 フライブルクから引越ししてきてここで住民登録をして、で、私の全部の書類が届くまで通常一ヶ月かかるんだって。一応もうすぐ一ヶ月なんだけど、電話で聞こうとしても、なんか最近外人局は「学生対応部」みたいなのが設けられて、その人たちがうそみたいに電話口ではなーんにもしてくれない。うー。
最後にもうひとつ。 数日前に突然大家さんが亡くなった。この大家夫妻は同じ建物内に住んでいて、全部で六戸のこの建物内で、彼らとの接点は大いにあったのだが、私は特に旦那の方とよくもめて、けんかもして、それをいつも間に入ってなだめてくれたのが奥さんで、亡くなったのは奥さんのほう。私の大家さんは奥さん。 毎年クリスマスには彼女からのチョコレートとカードがポストに入ってたし、あと、不在のときに荷物が大家のとこに届いてるのでその知らせもいつも彼女の手書きでポストにメモが入ってて、あと、鍵を忘れてドアを閉めるという馬鹿を私は何度も何度もやったので、そのたびに夜遅くてもマスターキーを借りに大家のとこにいったり・・。 最後にちゃんと話したのは、私がフライブルク滞在中に4ヶ月も旦那が入院してたということで、私が帰って来たときは一瞬家にいたけど、また入院した、と聞いたとき。痛い痛いって言っててかわいそうだと、そればかり繰り返していたけど、また旦那、戻ってきたんだな、と思ってたらその訃報。 あれはおとといのこと。旦那は私を見るなり、「妻が亡くなった。」とひとこと。私が絶句していると、「これで自分がひとりになってしまった。どうにもならないけど、どうにもならないけど」とわあわあ言って泣いた。
それ以来部屋の電気がついてるのを見たことがないので、多分近所の息子夫婦のところにいるのだろう。 今でもまだびっくりしたままだけど、徐々にそれが悲しさに変わってきた。
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