TOI,TOI,TOI!
月曜は、学校の室内楽コンクール。 火曜は、DAVIDのリサイタルで、 二晩連続で、学校の大ホールで観客していた。
室内楽コンクールは、フランクフルト銀行主催で、 銀行から賞金が出るのだ。
私はコンクールのあとの後味の悪さが嫌いで、 自分の勉強になるのは分かってても、やっぱりイヤで、 もう2度と行かないっていつも思うんだけど。
参加する側は、 結果が出るか出ないかじゃなく、参加することで得られることの方が大事だってのを分かっててやってると思うから、 聞いてる側の私が、友達だからって同情したりするのって、大きなお世話なんだけどね。 それでも結果が自分の考えとぴったり同じじゃない限り、後味は悪いのはどうにもならないんだよね。
参加したのは4グループ。弾いた順に、 ・弦楽四重奏 ・ピアノ四重奏 ・弦楽四重奏 ・ピアノ三重奏
始めのカルテットは、20代後半の女性4人組。 ショスタコ−ビチの4番と、ベートーベンのセリオーソ。
ちなみに、このコンクールでのプログラムを組む条件は、 異なる時代の作品を複数曲。ただしいくつかの楽章を抜粋することも可。
しかしこのグループだけは、それぞれ全楽章弾いた。 選曲を見ても、楽章を抜粋することを嫌っていることから見ても、 彼女達の考え、方向性ははっきりしている。
演奏にもそういう大人っぽさがよく出ていた。 4人の音を1つの音として聞かせることを目指してきたのも分かる。 すごくきれいに聞こえてきた。 これが弦楽四重奏の醍醐味だよね。 それぞれの奏者のテクニックも安定している。
ただ、漠然と、華がないという印象が残った。 これは、具体的に何をどうすればいいのか、私にも分からない。 私が小さいときに習ってた先生のいう、スター性というやつだ。
そして、同じ曲を弾いた者としての個人的な好みの問題を言うと、 ベートーベンは好きではなかった。 テンポが速くて、あっさり味に聞こえてしまったのが残念。 この曲は、もっともっと濃いいと思う。 テンポが速くて激しかったけど、その激しさがちょっと、他人事みたいに聞こえてしまった。 この曲は、他人事じゃなくて、自分という1人称の世界にどっぷりつかっているようなイメージなのだ。私は。 もっと暗くて、痛い。
次のグループ、ピアノカルテットは、 うちのクラスのジュゼッぺ、チェロのトニオ、ビオラはヴァレンティンという男3人+紅一点のピアニストはかーなーり学校では有名らしいグォダさん。 なんだか2年前にカーネギーホールで弾いたとか。ひー。
先に言うと、華があった。 ピアノはめちゃくちゃ上手く、 男3人をぐいぐい引っ張っていた。 アルゲリッチの室内楽を見たことある人は、あれをイメージしてください。 彼女の存在感に男性軍は、少々貧弱に見えたり見えなかったり?
ジュゼッペはテクニック的にほかの3人に比べて危なっかしい部分が多かったが、 イタリア人の彼の明るさは天性のもので、それが舞台でとっても好印象だった。 逆に、才能のあるトニオは、安定していたものの、迫力がなく地味な印象。
そしてこのグループには、ちょっとしたおまけ話まである。 ヴァレンティンが金曜日に、包丁で指を切ったのだ。左手の人差し指を。 彼は、仕事の本番の日にスーツを忘れて、ゲネプロにすっごい遅れて来たり(バートホンブルクのときです)、寝坊して遅刻して室内楽の仕事をすっぽかしたり、ちょっと最近、続いてるらしいのね。
このコンクールでも、金曜日以降の合わせはしてなくて、本番当日まで出るか出ないか決まらなかったらしい。
このグループは、選曲が良かった。 前に弾いたグループと、対照的だった。 モーツァルトの第1楽章、フォーレの第3楽章、シュニトケの曲、そして、ブラームスのc-moll、1、2楽章。
ピアノが入った室内楽は、弦のみに比べて、 それぞれの個性を生かして、ぶつけ合って、っていうのが醍醐味だと私は思う。 ジュゼッペの明るいモーツァルトが私はソロでも結構好きなんだけど、 カルテットでもそれがうまく出てた。ピアニストも音がコロコロしたところがすごくうまかった。 フォーレは何しろピアノがうますぎ。チェロも、彼の繊細さが生かされててきれいだった。 シュニトケは、緻密なアンサンブルもできるというところを見せた。 ブラームス。私の大好きな曲だった。 2楽章の最後の最後で長調になって終わる。鳥肌! これを最後に持ってきたのは、大成功だ。ブラボー!と言いたくなるもの。
休憩になったので、ロビーに出たら、 最後のグループで出るピアノのソンニョにつかまった。 「踏めくりしてくれる?ね?いいよね?ね?」 と激しく、まじめな顔で言われ、トレーナーを来てたからイヤだったんだけど、仕方なく、「JA〜・・・」
つづく・・・。
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