TOI,TOI,TOI!
2002年01月12日(土) |
1年前の先生探しの旅 |
友達が、留学準備のため、ドイツ各地を周っている。 先生探しの旅。私も1年前に、そういう旅をした。
会う約束をするために、まずは日本から手紙を書いた。6人の先生に宛てて。 留学経験のある人、留学中の人から、ドイツにいるお勧めの先生はいませんか?と手当たり次第に聞きまくった結果、名前が出てきたのがその6人。ほぼ知らない人ばかりだった。 返信用封筒と国際返信切手を同封し、自分のE-mailアドレス、ミュンヘンN宅のファックス番号も書かせてもらった。
「ドイツで勉強したいのです。一度私の演奏を聴いてくれませんか?」
一番早くに、返事をくれたのがフォーヒャルト。今のところプラッツは満員だけれど、会ってもいいよ。とあった。
クラス(門下)の席のことをプラッツという。普通は10人ぐらい。
あとは、ウイーン人でミュンヘンの歌劇場コンマスW先生、ロシア人のC先生、アメリカ人のS女史が、会ってもいいよと返事をくれた。 一人の先生は、もう引退するのでごめんねという返事をわざわざくれた。 6人中5人の先生が返事をくれた。
旅、スタート。ドイツへ!
始めにミュンヘンのW先生に会った。彼は、ひどく私を気に入ってくれ、プラッツはいっぱいだけど、今度取ると約束した人を断ってキミを取る!とまで言ってくれた。そんな〜その人はどうなるの〜?と思ったけど、Nをはじめ誰もが皆、 「そういうもんだ」と言った。 W先生とは、相性が合わないという直感があった。なんとなく。 ちょっとおいで!と言って、あの有名なミュンヘンの歌劇場のオケピットに連れてってくれたのは、うれしかった。ピットから見渡すオペラハウスは、あんまりに豪華で、口あんぐり。
次はフライブルク。フライブルクではユースホステルに泊った。ユースはサッカー場と川が近くにある、いいところだった。試合が終わる頃にサッカー場の近くを通ると、すごいことになっていた。みんな、ビアガーデンで大騒ぎ!楽器を背負って歩く雰囲気ではなかった。 ユースでは練習できなくて、でもどうしても弾きたくて、川沿いのベンチで練習した。風が強くて弓が飛んでいきそうだった。 C先生は、とってもビルトゥオーゾな先生で、演奏家として現役。唯一、私がもともと名前を知っていた人。パガニーニのカプリスをものすごい速さで弾いてくれました。拍手している自分に 「あれ?なんかちがくない?これ」 と思いました。何しに来たんだっけ?私。 「入試を受けてみなさい。ソリストコースを受けなさい」 と言われた。でもほかにも何人に同じように言ってるかわかんないって感じだった。実際そんなような事を言っていたし。
次はバンベルク。フォーヒャルトの自宅。フライブルクから電話すると、 「ミュンヘンを何時に乗って、ヴュルツブルクで乗り換えは何時何分で・・・」 と乗る電車の時間をすでに調べてくれていた。 「あの、今ミュンヘンじゃなくてフライブルクなんです」 と言うと、 「あ、そ〜う。じゃあ今調べる」 と言って、乗る時間、乗り換えの駅と番線と時間、バンベルクにつく時間をすぐに調べてくれた。駅のホームまで迎えに来てくれるという。 「ボクがキミを探すから。キミはバイオリンを持ってるからすぐ分かるだろう。ボクの顔は、ふたつの目とひとつの鼻がついててね・・・」 先生の人柄があったかくて、天にも昇っちゃいそうに、うれしくなった。にやにやしながら部屋に戻ったのを今でも覚えてる。
Nは、 「典型的なドイツのスタイルというものを習える先生についたほうがいい」 と言った。 弦楽四重奏という分野は、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、とドイツワールド全開!な分野なのである。 ここをやんなきゃ、話にならん!のである。
ドイツのスタイルを、本場で勉強するのだ。 私たち外人だって、少しでも本物に近づくべく努力するんだ。 先生を選ぶ上で、ここにだけはこだわろうと決めてた。
というわけで、もちろんドイツ人に習いたかった。だから会う前からフォーヒャルトには一番期待していた。 会ってみたら、期待以上だった。でもプラッツがいっぱいだと言われた。入試を受けたら?と言ってくれた。 矛盾してる。でもやってみるしかないと思った。
フォーヒャルトに会ってしまってからは、W先生につく気がなくなった。 断られる人を気の毒に思い、W先生に、「フランクフルトを受験します」と手紙を書いた。 「そこまでする必要ない。入試に行かなければW先生には全て分かる。こっちでは普通のこと。お互いそれでうらみっこなしなの。」とNに言われたが、何があっても彼にはつかないと思ったので、その手紙は出した。
今だったらどうだろう。Nの言ってたことは、そのとき理解できなかったけど今は理解できる。今だったら、その手紙は出さないだろう。あの行動はお人好しすぎたな、と今は思う。
S女史は、アメリカ人だけど、ドイツでしっかりドイツ音楽を身につけた人だと聞いた。外人同士として、それも興味があった。 会ってみたらとても素敵な人だったんだけど、 「プラッツがいっぱいだからごめんなさい。」 とはっきり言ってくれた。はっきり言ってもらえたほうが、いさぎよく次にいけてありがたいな、とフォーヒャルトのことを思った。 親切な人だった。スイスの先生を2人紹介してくれた。スイスは学費がかかるので考えてなかったけど、気持ちはすごくありがたいと思った。
少し脱線しますが、ドイツは学費がタダです。税金で勉強させてくれるわけです。 まあ、それを考えると、『いいかげん増えすぎた留学生を、なんとか減らしたい』というドイツの音大の最近の動きも、うなずけ・・・・・ うなずいてる場合ではない。他人事ではない、私がまさにその一人。 外人だけ少し学費払うんでもいいから、平等にチャンスを与えて欲しいよな。
と、こんないきさつで、フランクフルト1本の入試となったわけです。 どうしてもフォーヒャルトにつきたかったので、ほかのところを受験する気になれず、ほかを受けることで余計な労力を使いたくなかった。
フォーヒャルトは「何かあったらここに電話して相談しなさい」 とKの電話番号を教えてくれた。ミュンヘンのN宅からKに電話し、試験曲のことなどを教えてもらった。それから私は「フランクフルトしか受けません」と言った。
旅、終了。日本へ帰る。
曲目を相談しようとフォーヒャルトに電話した。すると、 「キミはほかの学校も受けるべきだ!You should!should!」 と、shouldを連発する先生。私は固まってしまった。 「フライブルクの先生でも、ミュンヘンの先生でもなく、あなたのもとで勉強したい。」 つたない語学力ではこれだけ言うのに精一杯だった。
Kに電話すると、 「電話しようと思ってた。ほかのところも受けるようにノブコに言ってくれって先生から言われたよ。プライベートでつきたがってるある日本人の人がいるんだけど、その人をとることに決めたから、だと思う。」 ちなみにその人とは、後で分かったけど「ハラトモさん」のこと。 私はKに思いをぶつけた。
「C先生は自分が求めるものとは(たとえばボーイングのスタイル)正反対だった。 W先生は自分とは相性が合わなかった。 どうしてもフォーヒャルトのあのボーイングを習いたい。 あんな音出したい。 わけもなく留学したいんじゃない。 つきたい先生に出会えたから留学したいんです。」
熱意は伝わったのか、Kは 「誰でもいいわけじゃないんだよね・・・。ワカル」 と言ってくれた。
この電話をきっかけに少しだけKが優しくなった。それまでは・・・。 何度かこのように電話で話をしていて、5月7日に対面したんだけど、仲良くなってから聞いたら、私の電話での印象はかなり悪かったらしい。あれはよくないよ〜と言われた。だって怖かったんだもん。だからいつも緊張してたの。
Kは、受験が終わるまで 「大丈夫」とか「なんとかなる」という言葉を、ただの一度も口にしなかった。 それは逆にありがたかった。
その代わり、あの電話以降何度か、電話の切り際に 「応援してます」 って、言ってくれた。 そのひとことが、うれしかった。無謀なことに挑戦してる私が、言われて一番うれしいひとことだった。
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